表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
13/17

#13 悪魔的侵攻

 帝都モンテ・リマールに吹き抜ける風は、ここ数ヶ月で劇的にその匂いを変えていた。

 かつて反宇宙派のテロリストたちが潜伏、暗躍していたのが嘘のようだ。かつて露店の立ち並ぶ中で起きた爆破テロにより、爆発音と硝煙の煙が漂っていたあの広場の端は、今や地球(アース)035がもたらした最先端の自動清掃ドローンによって、塵一つないほどに清掃されている。帝都のあちこちに設置された自動販売機、宇宙港から運び込まれる新鮮な食料品、そして安価で高品質な生活物資は、不可思議な外来者を拒もうとしていた人々の心を、驚くほどの速さで溶かしつつあった。


 その一方で、トラエッタ少将が捕まってひと月が経ち、テロ行為はぱったりと途絶えてしまった。これを受けて軍司令部内に組織されていたテロ対策の特別組織はその役割を終え、そしてついに解体の日を迎えた。

 テロリストたちにとっても、自称大悪魔カトリーヌ・バートリー以外の強力な悪魔が封じ込められているという話もないため「悪魔復活」という手も使えず、また爆発物の供給ルートを完全に絶たれたこともあり、さらにトラエッタ少将が得ていたテロリストたちの名簿をもとに彼らの主力組織は一掃され、これ以上の活動を続けられなくなったためだ。かつてこの組織に籍を置き、本業を抱えつつも帝都の治安維持に奔走していた士官らは皆、それぞれ本来の所属、本来の職務へと戻りつつあった。

 なお、トラエッタ少将は2週間前に、その反社会的行為により軍法会議にかけられて、極刑となった。


 さて、デルフィーノ中尉もまた、ようやく本業に専念することとなった。本業の傍ら、テロ対策という副業をもこなすという日々から解放された。

 彼はテロ対策の黒づくめの特殊装備を脱ぎ捨て、再び地球(アース)035遠征艦隊の作戦参謀としての、糊の効いた端正な軍服へと袖を通していた。

 彼の仕事場も、司令部端に秘密裏に作られた薄暗い作戦室から、司令本部ビルの上層階にある、一面のガラス窓から宇宙港を一望できる広々とした作戦分析室へと移った。だが、環境がどれほど快適になろうとも、彼が背負う職務の重さに変わりはなかった。むしろ、テロという局地的な脅威から、連盟軍という巨大な脅威へと視線を引き戻された分、彼の神経は以前よりもすり減らされることとなる。


「……やはり、おかしいな」


 正面の大型ディスプレイに映し出された、無数の敵艦隊を示す光点とその複雑な航路の軌跡を睨みつけながら、デルフィーノ中尉は小さく呟いた。

 彼が注視しているのは、この地球1136より18光年先に位置する第23012白色矮星域全体の航行データだった。この宙域は、我ら遠征艦隊の支配圏と、敵対する「連盟軍」の支配宙域が複雑に交錯する、極めて緊迫したまさに最前線と言える場である。


 これまでの連盟軍の動向は、比較的読みやすかった。彼らは常に、約2000隻の艦隊をこちらの支配領域との境界線付近に送り込み、挑発的な動きを見せていた。それはあからさまな牽制であり、我々を白色矮星へ誘い込もうとする、一種のポーズに過ぎないとデルフィーノ中尉は以前の定例会議でも具申していた。


 しかし、ここ数日間のデータは、それまでとは違っていた。

 時折、境界線付近で我が艦隊を挑発し続けていた2000隻ほどの艦隊は、その動きをピタリと止めていた。それどころか、境界線からさらに後退し、連盟支配宙域の遥か奥深く、連合側の観測網の限界近いポイントへと引きこもるような動きを見せ始めているのだ。


「動きがまるでない。偵察艦が時折、現れるだけだ。一見すると、挑発行為に意味が見いだせず、諦めたように見える。だが、連盟がそんな殊勝な連中であるはずがない」


 デルフィーノ中尉は、顎に手を当てて思考を巡らせる。

 もしこの動きは、挑発行為をやめたのではなく、「何か」前兆だとしたらどうか。

 敵の動きが止まったのではない。むしろ、連盟の支配宙域の奥深くで、大規模な戦力が集結しつつあるのではないか。境界線付近の2000隻を後退させたのは、敵の艦隊主力がワープアウトしてくるのを待つため、あるいは、その動きを悟らせないための陽動ではないのか。


「嵐の前の静けさ、というべきか。これは単なる小競り合いの予兆ではないだろうな。経験的に、敵艦隊による、本星域への本格侵攻の前触れと考えるのが自然だろう」


 大規模な艦隊戦の可能性がある。背筋に冷たいものが走るのを覚えながら、中尉はそこから導き出される結論を戦略解析AIに分析させる。当然のことながら、いくつかの選択肢の一つに、艦隊戦準備の可能性が示された。これは、デルフィーノ中尉の直感とも一致する。一刻も早くこの分析結果を取りまとめ、タルデッリ少将に報告しなければならないと考えた。手元にある端末で報告書作成を進める中尉の脳裏は、数手先までの艦隊戦シミュレーションで埋め尽くされていた。


「ふあぁあ……、お前は相変わらず、そんな光る画面ばかりを睨みつけて、退屈な男じゃのう」


 そんな緊迫した宇宙の状況など、文字通り一光年も気にする様子もなく、間の抜けた大きなあくびの音が室内に響いた。

 デルフィーノ中尉が視線を斜め上に向けると、そこには頭上にだらしなく寝転がっている漆黒の悪魔の存在があった。

 炭のようなつや消しの黒い肌に、頭部から生えた見事な水牛の角。そしてお尻からは、マウスポインターに酷似した矢印型の先端で電気コードのように細長い尻尾が気だるげに垂れ下がっている。この悪魔は空中だらしない格好をしつつも、最近手に入れたスマホを両手で持ち、液晶画面を食い入るように見つめていた。


「おい悪魔、静かにしていろと言ったはずだ。これは我が軍の今後を左右するかもしれない解析作業中だぞ」

「知るか。戦だの策略だの、人間どものちっぽけな争いごとなど、(わらわ)には何の関係もないわ。それよりも見よ、デルフィーノ!  この『どうが』というものは、本当に奇妙で、そして実に愉快じゃな!」


 カトリーヌはデルフィーノ中尉のすぐ真横まで飛んできて、スマホの画面を無理やり彼の顔の前に突きつけてきた。

 画面の中で流れていたのは、最近帝都の若者の間で流行している、動画配信の映像だった。怪しげなローブを纏った男が、薄暗い部屋で水晶玉を叩きながら、大真面目な顔で視聴者に語りかけている。いわゆる「呪術系スピリチュアル」なチャンネルだ。


『さあ、皆さんの運気を解放しましょう。この秘術の呪文を毎日三回唱えるだけで、あなたの魂は浄化され、望む未来が引き寄せられるのです。嫌な上司も、この一撃であなたの前から消えるでしょう』


「呪術系スピリチュアル配信か。お前、悪魔の癖に、よりによってこんな怪しげなものを見ているのか」


 中尉が呆れ果てた声を出すと、カトリーヌは勝ち誇ったように胸を張った。もっとも、相変わらず絶望的なほどに平坦な胸なので、張ったところで大した変化はないのだが。


「ふふーん! どうじゃ、恐ろしかろう!  この『はいしんしゃ』とやらは、言葉一つで数万人もの人間の心を操り、見えない力を送っておるのじゃぞ!  ほれ見よ、コメントという文字が滝のように流れておる!  これぞまさに呪術の極みじゃ!」

「ただの娯楽動画だ。見ている連中も信じているやつは少ない。大半は暇つぶしか、あるいは冷やかしで眺めているに過ぎん。現に、その呪文とやらで上司がいなくなったり、空から幸運が降ってきたという報告は一件もない」

「 そ、それは、動画を見る者の力が足りぬだけじゃ!  妾の全盛期の呪術に比べれば、このようなものは子供の砂遊びも同然。(わらわ)がその気になれば、この『すまほ』とやらの画面を通じて、帝都中の全人間に同時に呪いをかけ、一晩で全員の髪の毛をむしり取ることだってできるのじゃぞ。 どうじゃ、恐ろしかろう。 さあ、今すぐ妾の偉大さにひれ伏して、その魂を捧げる契約を結ぶのじゃ!」

「相変わらずだな。だが、今のところお前がそのスマホでやったことと言えば、動画の広告をスキップできずにイライラしていたことと、可愛い猫動画に高評価を押したことくらいだろう」

「な、なぜそれを知っておるんじゃ!」


 真っ黒な顔を心なしか赤くして、カトリーヌは空中でジタバタと足を動かした。尻尾がピンと逆立ち、恥ずかしさと怒りでピリピリと震えている。申し訳ないが、こいつのスマホの履歴はデルフィーノ中尉が把握できるようにしている。何や危ないことに使われる恐れがあるから、というのが理由だが、今のところ、下らないことにしか使われていない様子だ。

 デルフィーノ中尉は、ふぅと深い溜め息を吐きながら、端末から手を放す。

 どんなに深刻な宇宙の危機に直面していようとも、この未契約の悪魔が横にいる限り、緊迫感はあっさりと霧散してしまう。だが、彼女をここへ置いていくわけにはいかない。悪魔のルールとして、目覚めて最初に名を交わした中尉と契約を結ぶまでは、彼女は中尉の周囲から物理的に離れることができないのだ。それは中尉にとっても同様であり、彼がどこへ行くにも、この黒くやかましいストーカーがまとわり付いてくる。


「ちょうどいい、報告書も書けて、少将閣下に送信したところだ。今日の業務は終了、おい悪魔、出かけるぞ」

「お、どこへ行くのじゃ? またあの美味いイモを食わせてくれるのか?」

「いや、仕事が終わったと言ってるだろう。となれば、ショッピングモールへ行くに決まっている。お前がよく食べるから、我が家の冷蔵庫も空だからな。食料品の買い出しも兼ねて、でかけるぞ」

「ショッピングモールか。人間どもが蟻のように群がる、あの光景はいつ見ても爽快じゃな」


 先ほどまでの退屈さはどこへやら、カトリーヌはスマホを器用にポケットに収めると、中尉の後を嬉々として追った。


 帝都の中心部にそびえ立つショッピングモールは、スヴェラン帝国の王宮よりも巨大だ。中世的な佇まいを残すスヴェラン帝国の帝都モンテ・リマールの脇で、ひときわにぎやかな場所となっていた。

 建物内に一歩足を踏み入れれば、初夏の陽気を忘れさせる涼しい風が吹きつける。様々な店舗から軽やかな音楽や香ばしい匂いが漂ってくる。帝都の住民たちは、最初は恐る恐る遠く宇宙からもたらされる技術を眺めていたものの、今や完全にこの便利さと娯楽の虜になっており、地球(アース)035の住人に混じり、家族連れや恋人たちで大いに賑わっていた。


「今日はどこに行くのじゃ? やっぱり、あの溶岩焼きステーキの店か?」

「おい悪魔、あんな店ばかり行ってたら、俺の給料が持たない。あと、店の売り物にその邪魔くさい角を引っかけるんじゃないぞ」

「分かっておるわい。そんなドジな悪魔ではないわ!」


 不満げに言いながらも、カトリーヌの視線はあちこちへ激しく動いていた。彼女はおとなしく中尉の隣を歩いてはいるものの、その尻尾は相変わらず好奇心を隠しきれず、メトロノームのように左右へ激しく振られている。その漆黒の肌と水牛の角という異様な風貌は、モール内を行き交う人々の注目を集めていたが、最近の帝都の住民は「デルフィーノ中尉の連れている、無害でちょっと生意気な黒い何か」くらいに認識されつつあり、驚かれるようなことはなくなりつつあった。むしろ、近所の子供から「あ、悪魔姉ちゃんだ」と手を振られ、カトリーヌがまんざらでもない表情で「ふん、無礼な人間め!」と言いながらも嬉しそうに振り返る一幕すらあるくらいだ。


 で、中尉は慣れた手つきでカートを押し、大型スーパーのエリアで地球産の新鮮な野菜や真空パックされた肉、そしてカトリーヌが所望すると言って聞かなかった大袋のスナック菓子を次々と放り込んでいった。

 買い出しを終え、流れるような手際で自動決済を済ませると、中尉はモールの二階にあるオープンカフェへとカトリーヌを促した。


「少し休憩していくか。お前、さっきからあの看板を穴が開くほど見ていただろう」


 中尉が指差したのは、カフェの入り口に飾られた大きなメニュー看板だった。そこには、何層もの生クリームと色とりどりのフルーツ、そして濃厚なチョコレートソースが美しく盛られた、地球発祥の芸術的スイーツの姿があった。


「べ、別に欲しかったわけではないぞ。ただ、人間どもがどのような邪悪な食べ物で胃袋を満たしておるのか、悪魔の(わらわ)として見定めねばと思っただけで……」

「何が見定め、だ。食わなければ分かるはずもないだろう。この『特製チョコレートパフェ』と、ブレンド珈琲のセットを一つ、頼んでやろう」

「ほ、ほんとか!?」

「やっぱり、これが目当てだったんだな。この堕落悪魔め」

「な、何を言うか! お前が食えと申すから、食うてやらんでもないと言うたまでじゃ」


 相変わらず、この悪魔は素直じゃない。デルフィーノ中尉がテラス席の端末で注文を済ませると、3分もしないうちにトレイに乗せられた注文品が、配膳ロボットによって運ばれてきた。

 目の前に現れた、自らの背丈の半分ほどもある巨大なガラス器に盛られたパフェを見て、カトリーヌの目が文字通り皿のように丸くなった。漆黒の顔の中で、琥珀色の瞳が爛々と輝き、尻尾はもはや視認できないほどの速度で震えている。


「な、なんという禍々しい食い物じゃ。これほどまでに甘美な甘味……いやいや毒を盛るとは、人間どもめ、恐ろしい陰謀を企ておるな」

「その陰謀とやらにまんまと引っかかっているやつが、何をぐちぐち言っている。ほら、珈琲と交互に食べると美味いぞ。珈琲の苦味がパフェの甘さを引き立てるんだ。さっさと食え」

「ふん、そなたに教わらずとも、妾の卓越した舌にかかれば……んっ!?」


 長いスプーンで生クリームとチョコレートアイスを掬い、口に運んだカトリーヌの動きがピタリと止まった。

 次の瞬間、彼女の背中がビクンと跳ね、喉の奥からという、悪魔にあるまじき締まりのない声が漏れた。


「ふにゃぁ……」

「なんだ、どうした、美味いか?」

「う、美味すぎる……。なんじゃこれは、冷たくて甘くて、それでいて口の中で一瞬で消えてなくなる。このクリームとアイスの合間に挟みこまれた、茶色いサクサクしたシリアルというやつとの食感の対比も完璧じゃ。そして、この黒い苦いお湯(珈琲)を飲むと、口の中が引き締まり、再びあの甘さを新鮮に味わうことができる……誰じゃ、これを作ったやつは!?」

「元は地球(アース)001という星からもたらされた食べ物らしい。まあいい、ともかくおとなしく食べろ」


 中尉は苦笑しながら、自らのアイスコーヒーを口に含んだ。

 目の前で、小さなスプーンを忙しなく動かし、頬を黒く染めながらパフェを貪り食う悪魔を眺めていると、先ほどまで作戦室で一人、緊迫したデータとにらめっこしていたのが嘘のように思えてくる。宇宙の境界線で2000隻の敵艦隊がどう動こうと、このカフェのテラス席には、ただ穏やかな時間が流れていた。

 自称悪魔のカトリーヌは、パフェの半分ほどを一気に平らげ、珈琲を上品に一口啜ると、ふぅと満足げな、どこか遠い目をして呟いた。


「おい、デルフィーノよ」

「なんだ」

「このような日が、これからもずっと続くと良いな」


 その言葉は、いつもの傲岸不遜な大悪魔のものとは思えないほど穏やかで、どこか切なさを感じる。300年もの間、冷たい壁の中で孤独に眠り続け、目覚めてみれば自分の知る世界は一変していた。かつて自分を呼び覚まそうとしたテロリストたちは消え、今や自分に食事を与え、隣にいてくれるのは、天敵であるはずの軍人だけだ。彼女にとって、この騒がしくも平和な日常は、何よりも得難いものになりつつあった。

 だが、デルフィーノ中尉はその言葉に、敢えて冷徹な皮肉を込めて返した。


「何を勝手なことを言っている。そもそもお前は、この帝都を混乱に陥れ、人間たちの営みを破壊することを望んで蘇った災厄の大悪魔じゃなかったのか? 安穏を欲するようなセリフは、お前の存在意義を全否定することになるぞ」

「うぐっ……!」


 完璧に論破されたカトリーヌは、珈琲カップをカタカタと震わせながら、中尉をキッと睨みつけ、そして言い訳を始める。


「い、いや、いずれは契約を成立させて、このショッピングモールも恐怖に陥れてやるつもりじゃ。その前に、この甘美な味に飼いならされた者たちが大勢いるのじゃと、認識したまでじゃ。その甘美から恐怖へ陥れることほど、悪魔にとって快感なことはない」

「なるほど。自分の力を思い知らせるために、今の安穏を肯定する、というわけか。随分と都合のいい悪魔の論理だな」

「うるさいわい! (わらわ)がそう決めたらそうなのじゃ! ほれ、珈琲おかわりじゃ!」


 カトリーヌがぷんすかと怒りながら、空になりかけたカップを突き出した、まさにその瞬間だった。

 ウィィィンという警報音が、ショッピングモールの天井に設置されたスピーカーから、突如として耳を劈くように鳴り響いた。

 華やかなBGMはかき消され、建物内の照明がパッと赤色の警戒色へと切り替わる。賑わっていた客たちが一斉に動きを止め、驚きと恐怖の表情で天井を見上げた。


『緊急警報。全軍属、および関係各員に告ぐ。ただいま、第23012白色矮星域において、連盟軍の大規模な艦隊集結を確認。数、およそ一万。敵艦隊は我が方への攻撃を目的として進軍を開始。軍属はただちに出撃態勢を整えよ。なお、これは訓練にあらず。全軍属は直ちに出撃準備に移れ!』

「くそっ、やはり来たか!」


 デルフィーノ中尉はアイスコーヒーのグラスを置き、即座に立ち上がる。彼の予想は的中した。あの不気味な静寂は、やはりこの大侵攻のための時間稼ぎだったのだ。


「おい悪魔、行くぞ。緊急非常事態だ」


「ひゃあぁっ! なんじゃ、この騒がしい音は! (わらわ)の珈琲が、まだ残っておるのじゃぞ!」

「そんなもの置いていけ! 全軍への発進命令だ、一分一秒を争う!」

「おい、冗談ではない! 大悪魔たるもの、人間都合に振り回されるなど……ひゃぁ!」


 カトリーヌは抵抗し、珈琲を飲み干そうとするが、中尉が立ち上がり店の会計を済ませると、強制的に外に連れ出される。

 デルフィーノ中尉は、口の周りを珈琲まみれにした悪魔の細い手首をガシッと掴むと、ショッピングモールのテラス席を飛び出した。

 ショッピングモール内は、戸惑う一般市民と、中尉と同様に顔色を変えて宇宙港へ急ごうとする軍人たちで大混乱に陥っていた。


「通してくれ!」


 中尉はカートと買い込んだ食料品をその場に放棄せざるを得なかったが、そんなことを悔やんでいる暇はなかった。

 エスカレーターを駆け下り、自動ドアを突き破るようにして外へ出ると、宇宙港へと急行するバスが数台、横付けされていた。はるか上空の軌道上では、遠征艦隊の主力戦艦たちが、出撃のために主機関を点火し、巨大な影を蠢かせているのが地上からでも視認できる。


「おい、デルフィーノ! いい加減にしろ、腕が千切れるわい! (わらわ)は放っておいてもお前について行かざるを得ないから、いちいち引っ張るな!」


 中尉はそのバスの一台に乗り込み、カトリーヌごと宇宙港へと向かった。モーター音が響き渡り、車体は猛烈な加速で宇宙港へと続く道を滑り出す。


 カトリーヌはデルフィーノ中尉の頭上に浮かびながら、必死に角を天井にぶつけないよう身を縮めていた。その顔はやや驚愕にまみれていたが、中尉の横顔をじっと見つめて言った。


「デルフィーノよ。あの連盟とかいう奴ら、(わらわ)のせっかくの日常を邪魔しおってからに。宇宙の藻屑にしてくれるわ!」

「お前が戦うわけじゃないだろう。戦うのは俺たち、宇宙遠征艦隊だ」


 デルフィーノ中尉は窓の外に目を移し、迫りくる駆逐艦の列に見入っていた。

 宇宙港の巨大なゲートを通り過ぎ、彼の頭脳はすでに、敵である連盟一個艦隊を迎え撃つための、新たなる冷徹な作戦にその全思考を切り替え出し始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ