#10悪魔的事件
「出港用意よし! 駆逐艦0020号艦、発進する!」
「繋留ロック解除、微速後進、ドック離れます!」
戦艦パレストロで2週間、デルフィーノ中尉と悪魔カトリーヌは様々な実験やブリーフィング、そして参謀会議に出席した。
が、得られたものは少ない。連盟軍は依然として不可解な軍事行動を行うばかりで動きはなく、一方で悪魔の身体調査は謎だらけで解明できたものは少ない。
この2週間で得られたことと言えば、カトリーヌという悪魔には、途方もない力が宿っている。一方で、それが発揮できていない状態にあると、あの技術士官は結論付けたことくらいだ。
つまり、魂を売って悪魔との契約をすれば、もしかしたら艦隊一つを吹き飛ばすほどの力が得られるかもしれない。
もっとも、そのためだけに命を差し出すことはさすがのデルフィーノ中尉であっても躊躇する。それはそうだろう。敵とはいえ、同じ人間だ。それを悪魔の力で滅ぼしたとあっては、たとえ敵であっても浮かばれまい。
もっとも、艦隊戦そのものが行われる気配は、今のところない。それゆえに、魂を売り渡す機会すらないというのが現状だ。
「いやあ、ごつごつとした灰色の岩山にしては、なかなかよいところであったな」
さて、そんなデルフィーノ中尉の傍らでは、悪魔の癖に人間に堕落させられた本物の悪魔が、自らの堕落ぶりを披露しているところだった。もっとも、これはデルフィーノ中尉の策謀が成功した証ではあるのだが。
それほどまでに、この悪魔は堕落した。もう、人間の施しなしには生きられない。
さて、そんな作戦参謀と悪魔を乗せた駆逐艦は、一路、地球1136へと向かっている。その途上、この地球1136星系の第5惑星の近傍を通過する。
第5惑星は、この星系では三番目に大きなガス惑星だ。表面が茶色に覆われ、その表層は風速700メートル以上の暴風が常に吹き荒れている。
それを間近に見たカトリーヌは、こう呟く。
「何とも神秘的な光景じゃな。が、まるでカフェオレのようじゃな」
「その、お前の言うカフェオレのような場所では、地上では考えられないほどの暴風が吹き荒れているんだぞ。近づけば、たとえ悪魔のお前でも即死だ」
「どうせ、妾らがそのような場に行くことはなかろう。にしても、我が丸い大地も雄大であったが、さすがにそれ以上の大きさの星となると、途方もないな」
駆逐艦の窓越しに見る巨大惑星を前に、興奮気味なこの悪魔。そして、それを呆れ顔で眺める作戦参謀。
だが、この二人を待ち受けていたのは、その暴風に匹敵する巨悪の暴力であることを、この時点ではまだ、知る由もない。
「第37番ドックまで、あと700……500……300……200……100……着底!」
ズシンという音と共に、駆逐艦0020号艦が着地したことを知らせるオペレーターの声が響く。
「繋留ロック! 機関停止!」
「繋留ロック、正常に作動! 機関、停止します!」
ヒィーンという音と共に、機関音が小さくなっていく。艦長が、マイクを取る。
「達する。艦長のナルディーニだ。本艦はモンテ・リマール港に到着した。全員に、下艦の許可が出た。各自、2時間以内に荷物を持って下艦せよ。以降、当艦は補給と整備のため、閉鎖される。忘れ物だけはするな。以上だ」
艦内放送が終わると同時に、艦橋内の皆が伸びをしつつ、各々、立ち上がる。そしてぞろぞろと、左右両側にある出入り口から順次出ていく。
「雄大な星を見たが、その後はただ、暗いだけの世界であったな」
「当たり前だ。宇宙の大半が、あのような空虚な場所だ。この地球上にある様々なものは、まさに奇跡の産物なのだぞ」
「くっくっくっ……その奇跡の産物が破壊される様を、妾は見てみたいものじゃ」
「だが、それをやったらお前、その日から大好きなカレーやハンバーグ、チリソース味のタコスが食えなくなるぞ」
「うげぇ、それは困る」
もはやすっかり悪魔としての自覚が抜けているな。そう確信したデルフィーノ中尉は艦橋を出て部屋に戻り、小さな荷物と、新たに増えたカトリーヌの荷物も抱えて下艦する。
「なあ、宿舎に戻ってから、ショッピングモールで夕食を摂らぬか?」
これだ。もうこの悪魔、食事なしには生きられなくなった。もっとも、何も食べずとも死ぬことはないのだろうが、一度覚えてしまった蜜の味を失うことに、耐えられなくなってきたようだ。
「構わないぞ。ならば、あの店に行くとするか」
「おおっ! 良いぞ良いぞ! 妾はミディアムレアじゃ!」
「俺はミディアムでいいかな。とにかく、まずは宿舎に荷物をおいてからだ」
そう言いながら、嬉々としてロビーへと向かう。が、そこにはこの悪魔を誘惑する別の何かがあることを、知る由もない。
しかし、その悪魔もロビーを通り過ぎた辺りで、そこに広がる煌びやかなる店舗を目にして、思わずくぎ付けになる。
「な、なんという場所じゃ。おい、これはなんだ!?」
そう、土産物が売られたコーナーに、この悪魔は引っかかった。そういえば、行きはバスで直接、駆逐艦に乗り付けたから、このロビーにある売店の存在を知ることなく宇宙へ向かった。
で、帰りは他の民間船と同様、ロビーを経由して宇宙港出口を目指したから、そこで売店の存在を知ることとなる。
「まあ、なんだ。菓子や珍味の類いを売っている店だ」
「おお、これなど美味そうだぞ! 一つ、買って行かぬか!?」
悪魔の堕落ぶりに呆れるデルフィーノ中尉ではあるが、漆黒の姿の小娘が見せるその笑顔に、ついほだれてしまう。
気づけばもう、3週間以上も共に暮らしているんだよな。寝食どころか風呂も共にし、おまけに常に3メートル以内にいる相手だ。無視するわけにもいかない。
「仕方ないな。なら、三種類までだぞ」
「おおーっ!」
ふわふわと浮きながら、土産を物色する漆黒の悪魔に、店員も驚きを隠せない。が、どことなく愛嬌のあるその顔と態度に、しばらくすると店員の方も心を開いてくる。
「こちらが地球035の名物である、バナナ味の菓子ですよ」
「おお、それはなんだか美味そうな感じがするのう。それを一つと、この白い玉のようなやつ、それに、このクッキーじゃ」
「はい、かしこまりました」
やれやれ、悪魔だというのに、人となじむのが上手い。やはりこいつは人間だったころの性格を、取り戻しつつあるようだ。そう中尉は感じた。
で、思わぬ戦利品を得て、宿舎に戻る。荷物をおいて、ショッピングモールにあるあのステーキ店に向かった。
「おう、嬢ちゃん、今日は500、行ってみるか!?」
「うむ、それくらい食わねばやってられぬほど、散々こき使われたからな」
「はっはっはっ、ならいつものミディアムレアでいいな?」
「ついでに、チリソースマシマシじゃ」
それにしてもこいつ、甘いものだけでなく、辛いものもよく食べる。がつがつと、辛味の効いたステーキを食らうカトリーヌを見て、デルフィーノ中尉がふとこう投げかける。
「おい、悪魔」
「なんじゃ、今、食うのに忙しいんじゃ」
「お前、南国出身だろう」
それを聞いたカトリーヌの手が止まる。図星だったのだろう。少し震えが見えるその悪魔の手に構わず、デルフィーノ中尉は続ける。
「300年ほど前、かつて南国に小国があった。が、帝国に飲み込まれ、王族は皆、処刑されたと聞く。が、そこの王女だけが行方が知れぬと、記録には残されている」
そう、デルフィーノ中尉はおそらく、その300年前に滅ぼされた南国の王女こそが、カトリーヌの正体ではないかと推察していた。なによりも、その悪魔自身のフォークとナイフを持つ手の震えが、その確からしさを物語っている。
「……いかにも、妾がその、パートリー王国唯一の生き残りの王女、カトリーヌ・パートリーじゃ」
中尉の推察通りであった。その根拠としていたのは、その地は香辛料の産地であること、そしてかつてはその香辛料で莫大な利益を上げていた国であることを、歴史書で知った。
一族を殺された、その想いがなければ、悪魔などになるはずもない。そこに至る過程は分からないが、なぜ帝都をも揺るがすほどの大悪魔となったのかの直接的原因は、亡国の姫だということで一応の説明がつく。実際、たった今、カトリーヌはそれを認めた。
「必死だったのじゃ。突如襲い掛かった、帝国の悪魔どもの侵略に、妾は少数の手下と共に逃げる他なかった。次々と配下がやられる中、妾だけはとある廃屋に逃げ込み、そこで悪魔と出会ったのじゃ」
「なるほど、それで、悪魔としてこの世に君臨するようになったと?」
「そこで妾は……」
「おっと、それ以上は言わなくていい」
「なぜじゃ? お前が蒸し返した話じゃろう!」
「それ以上は、聞いたところで良いことはない。お前自身、心えぐられる想いしかないだろう」
しばらく、無言の時が流れる。が、デルフィーノ中尉という男はそういう空気を読まない、いや、戦略的に読まない。
「それはともかくだ、せっかくのステーキが冷めるぞ」
「わ、分かっとるわ!」
その悪魔は、再びガツガツとステーキ肉を頬張る。正直言えば、デルフィーノ中尉にとって今の会話は、不要なものだった。なぜならば、相手の過去をほじくり返す、最悪の悪手であったからだ。
が、敢えてそれをやったのは、相手を知りたいという、中尉自身が抱える欲望からだった。3週間も寝食を共にして、それで相手を知らぬというのも彼にとって耐えがたいことになっていた。
それから二人は宿舎に戻り、いつも通り、中尉は悪魔を抱き枕代わりにして眠りにつく。悪魔はそのぬくもりを感じつつ、眠りについた。
その、翌日のことだ。
その日は休日で、二人揃って買い出しに出かける。いくら悪魔とはいえ、日用品は必要だ。それに、食材がこれまでの倍、必要となる。いや、下手をすると食材だけは倍以上、必要か?
ともかく、二人揃ってショッピングモールへと出かけた。
「おい」
「なんだ」
が、その途中で、カトリーヌが呼び止める。腕……ではなく、髪の毛を引く悪魔が、デルフィーノ中尉の目線を右側に向ける。
そこは、公園だった。
「なんだ、いつも通り過ぎている公園じゃないか」
「おい、あそこを見よ! 何か、匂うぞ」
その目線の先には、露店らしきものが見えた。ああ、公園にありがちな露店かと、デルフィーノ中尉は思った。
「何が売っているか、気になるではないか。行ってみるぞ」
まあ、それほど急いでいるわけではない。散歩がてら寄り道する時間は十分すぎるほどある。そこで中尉は、その悪魔のわがままに付き合うことにした。
ゆっくりと、その店へと近づく。周囲の人々も、突然現れたその露店に集まっているのが見える。
その店で売られているものは、たわいもないものだ。チュロスや飴、マシュマロと、甘味中心の雑多な店だ。が、その店に、違和感を覚える。
普通、売るものに何か統一性がないか? ショッピングモールの菓子売り場じゃないんだから、売るなら特徴的な一点に絞るべきだろう。どうしてこれほど雑多な品揃えなんだ。
が、感じた違和感はそこまでだった。それ以上の何か、危機感や警戒感は感じなかった。
それが、油断だった。
「何やら不可解な店じゃな」
だが、その油断を断ち切るべく、悪魔がそう述べる。
「違和感こそあれ、不可解とまでは思わないが」
「いや、あそこからは何か、邪悪な気を感じるんじゃが」
邪悪な気、どうして甘味を売る店からそんなものを感じるのか。不可思議極まりない感性だ。
が、直後に中尉もそれを感じる。売り場の男が人の集まり具合を確認しつつ、しゃがみこんで何かをし始めた。
「全員、伏せろ!」
中尉が叫ぶ、と同時に、悪魔の手を引いて地面に伏せようとする。が、間に合わない。
その露店が、突然、爆発した。
衝撃波が、一瞬にして集まった人々に襲い掛かる。少し離れた位置にいる中尉にもそれは襲い掛かる。
が、その猛烈な風で吹き飛ばされたことで、思わぬ事態が起きる。
そう、中尉が吹き飛ばされるということは、3メートル以上離れることができない悪魔も吹き飛ばされた。が、その際に、副産物が生じる。
悪魔はとりついた相手からはがされようとすると、引き込まれる。そこに大きな障壁があると、駆逐艦や哨戒機に搭載されているのと同じシールドと同じバリア粒子を放出し始める。
それが、中尉に襲い掛かる衝撃波を、防いでしまった。
ドンと音を立てて、カトリーヌがデルフィーノ中尉の背中にぶち当たる。が、逆に言えば、二人はその程度で済んだ。
しかし、周囲はそうはいかない。
「な……何が、おきたのじゃ?」
あの雑多な品ぞろえの甘味の店は、跡形もない。その周囲にいた人々も、爆発によって生じた衝撃波で、ずたずたに引き裂かれている。
目を覆うばかりの惨劇、というやつだ。無論、あの時、店の中でしゃがんでいた男の姿は、跡形もない。自らの命を引き換えに、無辜の市民多数を巻き添えにした。
明らかにこれは、テロだ。
「こ、こちらショッピングモール傍の公園中央。爆破テロ発生、直ちに救助作業に当たれ」
デルフィーノ中尉は、スマホの無線モードを使って軍司令部に知らせる。ものの2、3分ほどで消防、救急の航空機体が上空に滑り込んでくる。
火の手は、それほどでもない。だが、公園の木が放射状に倒れていることが、その爆発の衝撃の大きさを物語る。爆心地から半径百メートル以内にいた者は、ほぼ即死だった。
その中で生き残ったのは、カトリーヌとデルフィーノ中尉だけだった。
「お、おい! お前、怪我はないか!?」
そんな悪魔が、取り憑く相手の身体を気遣う。
「いや、大したことはない。しかし、妙なことを言うやつだな」
「なんじゃ、何が妙だというのじゃ」
「悪魔が、俺の怪我の有無を気遣うとか、これを妙と言わずになんというか」
「当たり前じゃ! お前がいなくなれば、妾はどう生きていけばよいのじゃ!」
まるで告白されたような言葉だが、冷静に考えたら、デルフィーノ中尉が死んでしまったら、この悪魔はさまようことになる。
自身の保身のため、そう叫んだのだろう。が、この3週間ほどを共に過ごした身としては、そんな保身の言葉でもどこか安堵した。
「そうだな、生き残ってよかった。だが……」
そう、デルフィーノ中尉は生き残った。しかし、亡くなった人は大勢いる。
珍しくできた露店に引き寄せられた人々の多くが、その命を奪われる結果となった。
それを仕掛けた実行犯も、道連れでその命も身体も消えた。が、それでやつが許されるべきものではない。
ともかく、デルフィーノ中尉はたまたま悪魔を伴っていたがゆえに、生き延びることができた。
「結局、何人がやられたんじゃ?」
「報告によれば、38人だ」
それを聞いた悪魔は、絶句する。
「な、なんじゃと……あの一撃で38人も亡くなったのか……」
かつて疫病や厄災で何万人も死に追いやったと自称する悪魔にしては、随分な驚きようだ。それとも、自分の仕業ではない所業でこれほどの人を巻き込んだことに、驚いているだけなのか?
どちらにせよ、爆心地に近いデルフィーノ中尉が生き残ったのは、本当に偶然であった。偶然、カトリーヌが発したシールドによって守られた。
「ともかくだ、俺がその39人目にならなかったのは、お前のおかげだ」
そう中尉は素直に告げると、悪魔の黒い顔がすこし赤く染まる。
「お、おい! 妾はそなたの魂を狙っておるのだぞ! そんなやつに、礼を言うやつがあるか」
「命が助かったのは事実だ。それに、テロがとうとう宇宙港の街の中まで及んでいることを知ることができた。由々しき事態だ。それを目の当たりにできたことは、この先の対策のために役立つことになる」
悪魔にとって「役立つ」と言われることほど、屈辱的なことはないだろう。
が、すでに人間化されつつあるこの悪魔にとっては、それはむしろ紅潮感を覚えるほどの一言であった。
後に振り返ってみれば、これがきっかけだったのだろう。
この悪魔カトリーヌが、デルフィーノ中尉に並々ならぬ好意を抱き始めたのは。




