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それゆけ、孫堅クン! 改 ~ちょい悪オヤジの三国志改変譚~  作者: 青雲あゆむ
第4章 呉王朝創設編

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【人物紹介】

【孫堅 文台】39歳(194年時点)

本作の主人公。

現代人のおっさんが憑依転生し、元のソンケンの人格と同居している。

出自は貧乏な庶民だったが、その武力と前世知識によって、とうとう呉の皇帝に成り上がった。

ただし本人は生き残ることが最優先で、皇帝になるつもりはなかった。

しかし現代人を憑依させた何か(神?)が、瑞兆を示したため、漢の献帝より禅譲を受けるはめに。


皇帝となってからは、前世知識を活かし、呉の発展に努めた。

外征は一切おこなわずに北辺の守りを固め、華南の開発を促進したため、国内は安定する。

その総人口は後に7千万人を超えるほどで、呉王朝は300年の繁栄を謳歌した。

孫堅自体は10年ほどで統治の安定を確認すると、さっさと孫策に譲位して隠居。

故郷で呉皇后と静かに暮らし、70歳で逝去した。



【周瑜 公瑾】20歳

廬江周家の神童。

14歳から孫堅の配下となり、その智謀で孫堅軍団を支えた。

特に軍略と諜報に長け、反乱鎮圧に大きく貢献している。

呉の建国後は親友の孫策をよく支え、洛陽で辣腕を振るった。

孫策の即位後も常にそばにあり、後に丞相として呉の安定に努める。

孫堅にとっては張良であり、孫策にとっては蕭何しょうかだった。



賈詡かく 文和】48歳

涼州出身で、元は董卓の配下だった文官。

董卓の失脚後、孫堅に目を掛けられ、やがて腹心として働くようになる。

戦場では周喩と共に献策し、反乱鎮圧に大きく貢献した。

その智謀と処世術には並外れたものがあり、”賈詡に失策なし”と言われるほどの天才軍師。

孫堅から”我が蕭何しょうか”と呼ばれ、終生頼りにされた。



【孫策 伯符】20歳

孫堅の長男、呉の2代皇帝。

呉の建国後は副都の洛陽にて、華北の統治に努めた。

張昭と周瑜の補佐を受けて無難にこなしたが、あまりの忙しさに愚痴をこぼすこと多数。

そして孫堅の早期隠居により、30歳で即位。

父親の方針を受け継いで、呉をさらに繁栄させた。



呉雨桐ご うとう】39歳

孫堅の嫁さん。(名前は創作)

孫堅の即位後は、呉皇后となり彼を支えた。

才色兼備で、4男2女を産んでくれた功労者。



【孫権 仲謀】13歳

【孫翊 叔弼】11歳

【孫匡 季佐】9歳

孫堅の息子たち。

成長後、孫権は合浦王(交州)、孫翊は襄陽王(荊州)、孫匡は下邳王(徐州)となり、各地域を統制する。

孫堅の教育によって兄弟仲は良く、互いに協力して呉の繁栄に努めた。

ちなみに孫堅が嫁さんにぞっこんだったので、この世界では妾腹の孫郎はいない。



【呉景】36歳

孫堅の嫁さんの弟。

後半はほとんど出てきていないが、南陽の太守という大役を務めていた。

後背地として重要な南陽を見事に治め、反乱鎮圧に貢献している。

呉の建国後は、蜀公に封じられて益州へにらみを利かせた。

なんだかんだいって、孫堅のことが大好き。



【孫静 幼台】35歳

孫堅の実弟。

兄に憧れ、彼を英雄に押し上げるため、戦場を駆け回った俊才。

孫堅が皇帝になったことを、誰よりも喜んだ。

呉の建国後は、平壌王として涼州を統制した。



【孫賁 伯陽】27歳

徐琨じょこん   】26歳

【孫河 伯海】25歳

孫堅の若手親類3人衆。

3人とも孫堅に忠誠を誓い、呉の安定に寄与した。

孫策の時代まで活躍している。



【孫輔 国儀】15歳

孫堅の兄 孫羌そんきょうの息子であり、孫賁の弟。

兄と共に、呉の安定に尽力した。



孫暠そんこう   】20歳

【孫瑜 仲異】18歳

【孫皎 叔朗】17歳

孫静の息子たち。

皇族の一員として、呉の安定に尽力した。



【程普 徳謀】44歳

幽州から流れてきて、黄巾討伐前から孫堅に従っていた武官。

優れた武勇と智謀で大軍を統率し、終生、孫堅を支えた宿将。

呉の建国後は、”呉の3大将”として勇名を馳せた。

太尉を務めたほか、驃騎将軍にも就任している。



【黄蓋 公覆】41歳

長沙で仕官してきた武官。

程普と共に孫堅を支えつづけた猛将で、”呉の3大将”の1人。

最終的には車騎将軍になっている。



【黄忠 漢升】47歳

孫堅の荊州牧就任時に仕官した武官。

無双の剛力でありながら、知勇にも優れた豪将。

”呉の3大将”の1人で、衛将軍を務めた。



【祖茂 大栄】40歳

長沙で仕官してきた武官。

地味だが勇猛で、忠誠心の厚い猛将。



【朱治 君理】39歳

揚州出身で、長沙で仕官してきた武官。

文武に優れる才人で、呉の統治に貢献した。



【韓当 義公】39歳

幽州から流れてきて、黄巾討伐前から孫堅に従っていた武官。

程普ほど目立たないが、弓馬に優れ、勇敢に戦った猛将。



【張紘 子綱】42歳

徐州出身で、孫堅が長沙太守の時にスカウトした文官。

その政務能力は比類なきもので、多方面に渡って孫堅を支えつづけた俊才。

呉の初代丞相を務め、”呉の2張”として名を残す。



【張昭 子布】39歳

徐州出身で、孫堅が荊州牧時代にスカウトした文官。

その政務能力は張紘に匹敵するほどで、”呉の2張”と呼ばれた。

呉の建国後は、孫策のお目付け役として献身的に奉公した。

孫策の時代に丞相を務める。



【劉先 始宗】35歳

孫堅が長沙で見出した文官。

孫堅の地盤であった長沙をよく統治し、彼の活躍を支えた。

最高位は司徒。



韓嵩かんすう 徳高】41歳

孫堅が荊州牧時代にスカウトした文官。

実直で政務能力が高く、孫堅から頼りにされた。

最高位は司空。



【董卓 仲潁】56歳

言わずと知れた三国志随一の悪役。

しかしその実態は、漢朝を存続させようとした悲劇の武人(だと思う)。

孫堅の助けを得て反董卓連合を撃退するも、呂布に襲われて瀕死の重傷を負った。

その後、快復はしたものの、右腕と覇気を失い、隠居している。



李傕りかく 稚然】47歳

郭汜かくし   】49歳

董卓の配下だった武官。

他の董卓閥と共に、北辺防衛に貢献した。

それぞれ征北将軍と鎮北将軍を務めた。



【張遼 文遠】26歳

呂布の配下だった并州出身の武官。

呂布が董卓を襲って逃亡した際、孫堅の手のものに説得され、洛陽に留まった。

その後、孫堅に重用され、武勲を重ねて順調に出世。

孫策の時代には驃騎将軍を務める。



朱儁しゅしゅん 公偉】46歳

孫堅とは昔なじみの武官で、孫堅を引き立ててくれた恩人。

後漢有数の良将であり、3公を務めたほどの要人でもある。

呉の建国後も協力的な姿勢で、統治の安定に寄与した。



【周忠 嘉謀】53歳

廬江周家の頭領。

要職を歴任しており、3公を務めるほどの要人。

董卓の失脚後、ごっそりと名士が抜けた洛陽を支えつづけた。

呉の建国後も、重臣として国を支えている。



【公孫瓚 伯珪】43歳

幽州出身で、騎兵の運用に優れた武官。

皇族と揉めて幽州から呼び出され、右中郎将となる。

関東士人の反乱ではその能力を買われ、車騎将軍にまで昇進。

その期待に応えて各地を駆け回り、多くの賊軍を討伐した。

呉の建国後は幽州に戻り、北辺防衛に重きをなした。



【趙雲 子龍】27歳

公孫瓚配下で、新進気鋭の美青年。

弓馬に優れ、反乱鎮圧で多くの戦功を上げた。

呉の建国後も、公孫瓚と共に北辺防衛に貢献し、車騎将軍まで昇進した。



【劉備 玄徳】34歳

【関羽 雲長】33歳

【張飛 益徳】28歳

言わずと知れた三国志のヒーローたち。

公孫瓚の食客として大暴れし、反乱鎮圧に大きく貢献した。

呉の建国後は北辺防衛に従事し、それぞれ安北将軍、平北将軍、征虜将軍まで昇進。

呉の統治が盤石であったため、野心を抱くことなく人生を全うしている。



【曹操 孟徳】40歳

史実で三国の一角を担った英雄。

この世界では孫堅に降伏し、北辺防衛でこき使われたが、後将軍になっている。

やはり呉の統治が盤石であったため、野心を抱くことなく人生を全うした。

後日談は明日、投稿します。

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前作の”それゆけ、孫策クン! 改”はこちらから。

それゆけ、孫策クン! 改

孫策が暗殺を回避して、新たな歴史を作ります。

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逆行の劉備 ~徐州からやりなおす季漢帝国~

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