46.甘すぎでは?
黄龍元年(194年)5月 揚州 丹陽郡 建業
建業で新たな政策について話し合う中、話題は北辺の防衛に移った。
「北辺の守りですが、陛下はいかがお考えですか?」
「ああ、こちらもやはり、硬軟おり混ぜてだな。具体的には、遊牧民になめられない軍備と、宥和政策を並行して進めるつもりだ」
「ほほう、軍備はどの程度をお考えで?」
すかさず問う程普に、俺の構想を伝える。
「そうだな……涼州、并州、幽州全体で、最低でも5万ぐらいか。彼らには最新の装備を与え、厳しい訓練を課して、常に練度を保ってもらう。そのためには北辺への物流を整え、兵士の不満を解消する施策も必要になってくるだろう。例えば、色街を作るとかな」
「なるほど。さすがは陛下、兵のことを考えておられる。しかし5万程度で遊牧民の略奪に対応するのは、困難ではありませんかな?」
「ああ、その程度じゃ足りないだろうさ。そこで一部の遊牧民を味方につけて、それを補うんだ。考えてるのは、こんなことだ」
そう言ってまた、素案をまとめた紙を出す。
1.遊牧民との交易を進め、羊や馬などと引き換えに穀物などを売る
2.辺境の土木作業や護衛などの仕事を、斡旋する
3.天候不順などで食料不足に陥った場合には、無償で食料を提供する
すると孫賁が、真っ先に不満の声を上げた。
「ちょ、陛下。いくらなんでもこれは、遊牧民どもに甘すぎではありませんか?」
「おいおい、孫賁。お前、漢帝国がどれだけ遊牧民に悩まされてきたか、分かってんのか? 奴らはこちらが弱いと見れば略奪するし、逆に攻めれば、どこまでも逃げていくんだ。無理に攻めた武帝の時代に、何が起きたか考えてみろ」
「えっと、どんなことが起きたんですか?」
漢の歴史の中で、最大の版図を得たという前漢の武帝だが、その内情はボロボロだった。
彼は最大で30万という軍勢を差し向け、遊牧民を討伐しようとしたのだ。
その結果、遊牧民を追い払って、北辺を安定化させはしたものの、その代償は甚大だった。
なにしろ大規模な遠征を、何度も繰り返したのだ。
その財政負担は半端でなく、それまでに蓄えられた莫大な遺産を、あっさりと食いつぶした。
そこで様々な税を掛けたり、塩や鉄を専売にするなどして、財政を再建しようとしたらしい。
しかし在位54年のうち、43年も戦争をしていたのだ。
そんなもんで賄えるはずもなく、財政は悪化の一途をたどった。
だから官位や官職を金で売ることもやっているし、金で罪を免除する制度まで取り入れたらしい。
そんな事をしていれば国内が荒れるのは当然で、反乱や犯罪、農民の流民化に歯止めが掛からない。
おかげで最盛期に6千万を数えた漢の人口は、武帝期に半減したと言われるほどだ。
減少分の全てが死滅したわけでなく、戸籍を外れた者も多かっただろうが、とんでもない大混乱だったのは間違いない。
一般に武帝は成功者のイメージがあるが、実はけっこうな失敗をやらかしている。
そんなことを話しつつ、改めて俺の軍事方針を打ち出した。
「どうやっても駆逐できない敵なら、むしろ懐柔した方がいいんだ。結局やつらも、食えないから略奪しにくるんだしな。それと並行して軍備を固めておけば、そうそう攻めてはこねえよ」
「フフフ、さすがは陛下。最も効率的な策を考えておられます。そのうえで、華南の開発を促進して、国を豊かにするのですね?」
「ああ、そのとおりだ」
絶妙な賈詡の指摘に、俺は上機嫌で応じてみせる。
すると程普がうなずきながら、さらに問うてきた。
「ふむ、陛下の方針は理解しました。しかしその北辺の防衛は、誰に任せるのでしょうか?」
「基本的に董卓閥の連中と、韓遂、馬騰、公孫瓚、それと曹操なんかを考えてる。任地も固定でなく、定期的に交代させれば、士気も保ちやすいだろう」
「なるほど。しかし北辺以外にも、不届きなことを考える輩はおりましょう。それらの統制はどうされるので?」
「それについては、俺の親族を各地に王や公として封じ、にらみを利かせるつもりだ。まずは孫静を平壌王(涼州)、孫賁を魏王(冀州)、呉景を蜀公(益州)にしようと思う。それから洛陽には策を置いて、華北を統制させるつもりだ」
すると張昭から驚きの声が上がる。
「なんと! 孫策さまは、次期皇帝になられるお方ですぞ。それを手元からお離しになるのですか?」
「これもあいつの勉強のためだ。補佐として周瑜を付けるし、連絡は密に取る」
「ふうむ、しかし……」
いまだに納得いかなそうな張昭に、周瑜がとりなす。
「大丈夫ですよ。私がしっかり補佐しますから。それに孫策さまを洛陽に置くことで、華北を軽視していない証にもなります」
「ふうむ、なるほど。それなりに意味はありますか」
「ああ。そうだ、そんなに気になるなら、張昭も洛陽に行ってくれないか? 周瑜と一緒に、策を支えてほしいんだ」
「……なんと、私をそこまで信頼してくださいますか。分かりました。誠心誠意、お仕えいたしましょう」
「ああ、頼む」
俺が信頼を寄せたことに、張昭はいたく感激したようだ。
この分なら、しっかりやってくれるだろう。
孫策にとっては、ちょっとうるさい存在になりそうだがな。
そんなことを考えていると、張紘が話題を変える。
「して、陛下。国内の開発はいかがなりましょうか?」
「そうだな。基本的には華南の水路と堤防を整備して、農地の灌漑を進める。そうしてできた農地を移住者に与え、食料の安定供給を図りたい」
「すばらしい。そうなれば水害や飢饉が減り、国内は安定しましょうな。しかし問題は、それだけの移住者が確保できるかどうかですが?」
「それについてはまず、今回の戦乱で発生した流民を当てればいいだろう。それから小作農から移住希望者を募るのと、農奴への課税を徹底することで、確保できるんじゃないか?」
「ふむ、たしかに倍の人頭税を払うとなれば、豪族も農奴を手放しますか」
元々、漢の税制では、成人の領民1人当たり120銭の人頭税が掛かっていた。
そして奴隷については、その倍の人頭税を払わねばならない。
奴隷ってのは、贅沢品みたいな扱いなんだな。
しかし漢の時代が進むにつれて、豪族は土地や民を吸収し、肥え太ってきた。
もちろん多数の農奴を抱えていても、まともに税なんか払ってない。
そこでその税をきっちり取り立てると言えば、さすがに割りに合わなくなって、農奴を解放する豪族も出てくるだろう。
すると程普が懸念の声を上げる。
「しかしそうなると、またぞろ豪族の反乱が増えそうですな」
「まあ、多少は出るだろうな。だからそうならないよう、多少は税の減免をして、奴らの不満をなだめてやる必要がある」
「なるほど。一気にやるのではなく、真綿で首を締めるようにジワジワと、ですな」
「ああ、そうだ。ついでに一般の人頭税も、しばらくは減免しようと思う。作物による現物納入ってのも、考えたいな。まあ、これはちょっとした人気取りだが、せっかく禅譲が成ったんだ。それくらいの恩恵があってもいいだろう」
「フハハッ、さすがですな。しかしそれでは、開発の費用が出せないのでは?」
張紘が懸念を口にするが、俺はそれも考えていた。
「ああ、それは商人に出させよう。その見返りに、彼らの要望を開発に反映させればいい。もちろん、国内の景気が軌道に乗るまでの、一時的な措置だと断ってな」
「ふうむ、なるほど。一考の余地はありますな。幸いにも今の皇帝陛下は、あまりお金が掛かりませぬし」
「ああ、俺は後宮とかいらないからな。民のために銭を使うと言えば、みんな喜んでくれるだろう」
「ええ、もちろん、そのように噂を広めます」
俺と張紘が悪い顔で笑い合う。
しかし現実の話として、俺は無駄遣いをするつもりがない。
たしかにこの建業ではそれなりの宮殿を造っているが、それだってちゃんと人夫に銭を出すから、公共工事の意味合いが強い。
そして俺にはすでに4人の息子がいるので、後宮を造る必要もない。
もちろん、今後はいろんなところから、愛妾の候補が差し出されてくるだろう。
しかし呉雨桐ラブな俺にとっては、それに手を出すつもりはない。
そんなことして子供を増やしても、継承騒動の元だからな。
なので俺は質実剛健、民を思いやる慈愛の皇帝として、やっていくのだ。
そして早めに孫策に譲位して、田舎でのんびりしてやろう。
そのためにも、しばらくは頑張ろうじゃないか。




