幕間: 潰えた野望
儂の名は劉焉 君郎。
漢の皇族 魯恭王 劉余の末裔よ。
若い頃から学問に励み、名声を博してきた。
やがて洛陽の県令を経て、重職を歴任するようになる。
そして中平5年(188年)になると、州牧の設置を天子に進言し、儂は益州牧に収まった。
最初は交州への赴任を希望したが、ある者が ”益州に天子の気がある” と言ったのでな。
そちらの方が、おもしろそうだと思って決めた。
益州に入ると、まず綿竹を拠点として、民心の慰撫に努める。
そしてその陰で、ひそかに独立の機会をうかがっていたのだ。
やがて五斗米道の連中とツテができたため、奴らに関中への道を断たせ、音信不通を装う。
そうこうするうちに、劉宏陛下が崩御なされ、劉弁陛下が即位された。
しかしいくらも経たぬうちに大将軍の何進が殺され、代わりに董卓が洛陽を牛耳って、劉協陛下を擁立したのだ。
あの時は何が起こっておるかと、いろいろと気を揉んだものよ。
やがて反董卓連合なるものが蜂起し、儂もそれに呼応しようとした。
ところがいくらもしない内に、圧倒的だったはずの連合が瓦解してしまったのだ。
なにやら孫堅という男が董卓に味方し、反乱鎮圧に貢献したらしい。
儂は蜂起したことを隠し、再び機会をうかがった。
それから2年ほどすると、今度は呂布と王允が董卓を失脚させた。
奴らはそのまま実権を握ろうとしたらしいが、またもや孫堅がしゃしゃり出て、洛陽を解放したという。
おかげで混乱に乗じて独立する機会を、またもや失ってしまった。
おのれ孫堅、邪魔ばかりしおって。
しかし天は、儂を見捨てておらなんだ。
なんと関東士人が大挙して反乱を起こし、中原のほとんどを占拠したのだ。
儂はこれ幸いと益州の独立を宣言し、関東士人への協力を申し出る。
ちなみにこの時、宮廷に出仕していた3人の息子どもも、洛陽を脱出して帰ってきた。
ちょうど益州を治めるのに人が足りなかったので、儂には都合がよい。
ククク、望む方へ風が吹いておるな。
このまま中原が混乱しているうちに、支配体制を固めねば。
しかし反乱軍の躍進は続かなかった。
一時は皇甫嵩を撃退し、河南尹東部を攻め取りはしたものの、状況は膠着してしまう。
それどころか、今度は孫堅が総大将となって反撃に出たのだ。
反乱軍にその攻勢を退ける力はなく、儂に出兵を求めてくる始末だ。
こちらにも、そんなに余裕があるわけではないというのに。
最初は適当にいなしていたが、いよいよやばくなってきたらしい。
やむを得ず、益州からも出兵することにした。
漢中から漢水を下って、南陽を奇襲する計画だ。
苦労して5千人ほどの軍を編成し、いよいよ侵攻させる。
せいぜい南陽を脅かして、官軍の足を止めてくれよ。
なんたることだ!
自信を持って送りだした軍勢が、南陽で撃退されてしまったのだ。
敵は我らの動向に気づいていて、万全の態勢で待ち受けていたという。
うぬう、小癪な。
新たな皇帝となる儂の邪魔をするとは。
しかしこれで反乱軍への義理は果たした。
後はせいぜい、自分たちの力でなんとかするのだな。
儂は守りを固めるとするか。
なんだと?
冀州に集結していた反乱軍が、敗北した?
馬鹿な、袁隗らは20万以上の兵を集めていたはずだぞ。
それがほんの1ヶ月ほどで敗退し、鄴の城まで落とされたというのか?
一体、何が起こったのだ。
いや、それどころではないぞ。
中原が平定されてしまえば、次は儂の番ではないか。
こうしてはおれん、すぐにでも徴兵を始めよう。
漢中と江州に兵を配置して、敵を迎撃するのだ。
なあに、この益州は天然の要害に囲まれた、難攻の地よ。
そう簡単に落ちはせんわ。
その間に力を蓄え、手出しできぬようにしてやろう。
ククク、見ておれよ。
ば、馬鹿な!
たった1万ほどの官軍に、味方が蹴散らされているだと?
しかも城にこもっても、火のような攻勢によって、短期間で落とされてしまう。
それでは儂もヤバイではないか。
ぐぬぬ、どうすればよいか……
とりあえずこの綿竹に兵を集めて、抵抗するしかないな。
急げ、戦の準備をするのだ。
駄目だ、敵が強すぎる。
まったく相手になっておらんではないか。
官軍がこれほど精強だとは、聞いておらんぞ。
しかも敵の主将は、孫堅配下の無名の男だそうではないか。
なんとふがいない。
このまま城にこもっても、はたしてどれだけもつか?
ば、馬鹿な!
味方から裏切りが出ただと?
不届き者が内側から門を開いたため、敵の侵入を許してしまった。
くそっ、ここまでか。
せっかく皇帝になれると思ったのに、どこで間違ったのやら。
せめて命だけは、助けてほしいものだが。




