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旅の紀行記怪談  作者: Eisei3


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16/17

紀行記怪談『安土城、信長の館・彦根城』


 『安土城』は織田信長が、天正4年(1576年)、標高199mの安土山に築城させた平山城だった。

 ここ安土の地は、美濃国(みののくに) 岐阜城よりも京の都に近く、琵琶湖という水運を利用できる利便性がある上に、京都から北陸を繋ぐ街道の要所でもあった。そのため信長は、嫡男信忠に家督を譲り、自身は天下統一を視野に、岐阜城から安土城へと拠点を移す。

 

 安土城天主は、望楼型5重6階地下1階の造りであったという。(地下の遺構は、現在残ってはいない)

 天正7年(1579年)、天主が完成。(城郭全体の完成は、天正9年(1581年)のことだとされる)

 安土城天主は世界で初めての木造高層建築といわれ、その高さは33m、絢爛豪華な姿であったと伝わる。近代城郭の原点として、大阪城をはじめ、江戸時代に築城された城郭に大きな影響を与えているという。


 しかし、天正10年(1582年)6月2日、明智光秀の謀反による本能寺の変で、織田信長は「是非に及ばず」の言葉を残し、あっけなく横死してしまう。

 更には同年6月14日から15日にかけ、天下の混乱による原因不明の失火により、安土城も築城からわずか3年余りで焼失する。そしてその後、天正13年(1585年)、天下の盟主の交代を受け廃城となる。

 そのため、安土城は「幻の名城」とも呼ばれている。


 近年、加賀藩の御抱大工に伝わる「天守(主)指図」が発見され、安土城址の発掘調査と実測調査の結果、この図は「安土城」であることが確認されているとのこと。

 なお、近代城郭では「天守」と表記されることが多いが、安土城の場合は「天主」と表記される。これは、織田信長の家臣である太田牛一(おおたぎゅういち)が、「信長公記(しんちょうこうき)」で「天主」と表記していたのがその理由とされている。

 信長が、自身を" 神 "として神格化し、天主を自らの住居として居住したことからも、安土城には他の城にはない" 天下人 "の城としての独自性(オーラ)がある。


 現在、安土城跡は国の特別史跡に指定され、臨済宗の寺院「摠見寺(そうけんじ)」が安土城址を管理している。

 摠見寺は、安土城築城の際に信長が他所より移築し、自らの菩提寺として建立したもので、江戸時代末期の火災で堂宇の多くを失っているが、今は、国の重要文化財に指定される室町時代の三重塔、二王門と、再建された仮本堂が残る。


◇…◆… 


 安土城入り口の無料駐車場に車を停める。

 炎天下の、丁度昼下がりの時間。エアコンが効いた車内から降りると、むわっとする熱れに思わず息を詰める。

 お盆の時期。駐車場には、たくさんの県外ナンバーが溢れている。


 入口の門を潜った先にある、摠見寺の城郭入場受付の建物の、シーサーが乗った三角形の屋根の向こうに、急な階段が上りの傾斜を見せながら、天主閣跡へと真っ直ぐに続く大手道の石段が見える。

 白い日傘を差した長い黒髪の娘さんが、休みやすみ歩を進め、足元を確かめながら急な階段をゆっくりと登ってゆく姿も見える。


 天主跡まで続く上りの勾配の石段、その数実に405段。大手道の幅8m、180mも直線の石段が続くとのこと。

 天主へと伸びる階段の両側には高く積まれた石垣が続き、その左右の石積みの上には盛夏の強い日射しを受け、鬱蒼と生い茂る濃い緑色の木々の梢が煌めいている。

 

 安土城址を訪れたこの日も、午後になったばかりの気温は既に35度を遥かに超え、肌に刺す様な日差しに、滝のような汗が額に首筋にと流れ落ちる。

 前日の、35度を越える酷暑の中での金毘羅さん詣で。その時の785段の石段登りで、既に私の足腰はもうぼろぼろに。

 

 天守閣へと続く大手道に入る門から奥は摠見寺の境内の管理地で、入口にある入場受付で入山料700円を支払う必要があった。

 

 「うーん …」

 しばし大手道の石段を見上げながら、考え迷う。


 「またで、いいか …」

 天守台を見たいという私の気持ちも、その時の、暑さと疲労の前にくじけてしまっていた。結局、後で強く後悔することにはなるのだが …


 だが、戻ってから調べたところ、安土城城郭跡を全て回るには、歩行の距離約1.9km、高低差およそ110mの上り勾配のきついかなりのコースとのこと。所用時間も1時間半あまり。

 やはりあの時、行かなくて正解だったかも …


 

 安土城のご城印は、JR安土駅前の『安土城郭資料館』で頂くことができた。



挿絵(By みてみん)



◇…◆…


 幻の名城として名高い安土城であるが、不思議な話についても事欠かないようでもある。

 その一つとして、『蛇石(じゃいし)』の話がある。


 それは「信長公記」やルイス フロイスの「日本史」といった複数の歴史書に記載がある大石である。

 

 安土城の普請のために、膨大な安土城の石垣の石材は、近くの観音寺山や、長光寺山などから切り出されたが、この蛇石は、信長の甥で近江(滋賀県)高島を拠点にしていた、津田信澄が持ち込んだとされる。

 蛇石は、約10mの大きさで、その重量はおよそ112トンあったという。


 通常の大石の運搬は、多くて3.000人ほどで行っていたものを、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉の3人の重臣を奉行に任じ、この蛇石に関しては昼夜三日かけ、のべ1万人を動員して天主の敷地に運んだとの事。

 しかしルイス フロイスの日本史では、天主への引き上げ途中で綱が切れ、滑った蛇石に150人余りが挽き潰されたと記されている。


 だが、現在の城内にはこれほどの飛びぬけた大石は見当たらず、鎮め石として天主の地下に埋められたという説や、他の城を築く時に砕かれ運ばれたなど、様々な説があるようである。

 そして確かに、安土城の廃城後、八幡山城や彦根城を築く時、安土城の石を運んだことが知られている。

 しかし、蛇石の様な巨石を運んだという記録や伝承は、ないとの事。


 … そうすると … …  

 『蛇石』は、いまだ天主のどこかに、眠ったままでいるというのだろうか。

 それは天主台の地下なのか、あるいは野面積(のずらずみ)の高石垣の奥なのか …。

 




 「いてぇ~ よ ~    いてぇ  いてぇよ ~ …」


 「たすけて…   たすけてぇ … くれぇ~ … … … 」


 今宵も、この打ち捨てられた城郭(安土城址)のどこかで、亡者たちの痛みに悶え、泣き叫ぶ声が響く。


 かつて、この蛇石と、大手道わきに聳え立つ高石垣に積み重なる大石に押し潰され、砕け散ったその骸骨(むくろ)を夜闇に晒しながら。



 … だから、死者たち(黄泉の国)とこの世との ” (霊道) ” が開く逢魔が時は、城郭跡への入場が禁じられているのだろうか。

 もし、その亡者たちの泣き叫ぶ声を聞いてしまったとしたら …   … その時、… … …

 


 どこかで今も、蛇石はじっと息を潜め、日の目に会う時を待っているのだろうか。亡者たちの、無言の叫びとともに。 


 果たして …






挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

( 天主 大手道への入場入口 )




◇◆◇◆◇…



 文芸の郷 『安土城天主 信長の館』。


 ここに展示されている安土城天主は、1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメイン展示として、安土城天主の最上階の5階と6階部分が原寸大で忠実に復元されたもので、当時の万博期間中には、最も多くの来場者の人気を博していたという。

 

 セビリア万博の終了後、その展示されていた「天主」を旧安土町が譲り受け、解体移築し、その後の調査で新しく得られた安土城天主の知見を基に、新たに復元された部分をも含め再現し、信長の館建屋内で保存・展示している。 


 館内では、見事な再現された天主の展示だけでなく、CGで再現された、在りし日の安土城城郭の姿が映像で上映されていた。

 残念なことに、メイン展示である、再現された安土城天主の画像は、無断公開禁止とされていました。

( 煌びやかな天主の写真を、沢山撮ったのだが … )



◇◆◇◆◇…


 

 安土城からの国道を、琵琶湖畔に沿って北上する。

 道路わきの案内の看板に沿って左折する。


 城郭を取り巻く道を、駐車場に向かい入る。

 

 時は晩夏の、旧盆の最中。広い駐車場には沢山の県外ナンバーの車がひしめく。

 エアコンの効いた車内から降りると、外からは、もわっとした熱気が身体を包み息もできないほど。

 駐車料金を見回りのおじさんに払い、城へと歩く。



 特別史跡 彦根城跡 『国宝 彦根城』。

 現存12天守の一つにして、国宝に指定された見事なお城。

 彦根城天守は、関ケ原合戦の前哨戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年(1607年)頃に完成したと伝わる。昭和27年(1952年)に国宝に指定。

 『松本城』、『犬山城』、『姫路城』、『松江城』とともに、現在5つの城が国宝として指定されている。江戸時代以前に築城され、現在まで建築当初の姿を留め、天守閣の遺構が残る貴重な歴史的文化遺産。

 江戸幕府の大老も務めた、徳川譜代大名筆頭 井伊家代々の居城。


 城に隣接する彦根城博物館では、井伊家伝来の甲冑などの名宝の数々を展示していた。  



 恐らく、気温は35℃を越える中、急な石段を歩き、大汗をかきながら息も絶え絶えに辿(たど)り着いた天守台。

 端正な石積みの天守台の上に、金の装飾が散りばめられた唐破風が軒を豪華に飾る、立派な天守閣の姿が聳え立っている。


 「見事だ …」

 さすが、国宝 彦根城。

 凛とした美しさと、風格を兼ね備え持つ国宝天守。

 

 しかし、そこにはロープで囲われた天守閣入り口へと続く誘導路が …。

 そしてそこに並ぶ、沢山の観光客たちの姿。

 このかんかん照りの青空の、猛暑の中。

 

 『天守への入場待ち、只今(ただいま)、2時間』

 目の前に、見事に残酷な案内板が立つ。

 「このくそ暑い日差しの中、並ぶのか? 2時間も … 」

 思わず、そう口から愚痴がこぼれる。



 「… あきらめるか ……」

 しばらく天守近くの広場に張られたテントの天井から漂うミストの霧で涼んだ後、私は写真だけを撮り、天守のある本丸跡地から下りの石段へと向かう。



挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



◇…◆…


 彦にゃんショーの案内板に気づく。

 入場門を潜り、ショーが開催される建屋の縁側に。

 会場には、炎天下にも係わらず、大勢の小さな子供連れの観客がひしめき並ぶ。


 日に何回かのショーの開始時間となり、彦にゃんショーの司会を務める若い女性がマイクパフォーマンスを始める。


 「こんにちは! 暑い中、ご来場ありがとうございます。」

 「ご来場の観客の皆様も、この暑さで大変だと思います。

  皆さまお待ちの彦にゃんも、この後直ぐに登場の予定です。ですが … 彦にゃん(中の人)も、この暑さに大変でして …  今日は予定の時間を短縮してお送りいたします。」

 「では、どうぞ!」

 

 縁側の向こうの白い障子戸が開く。

 そして、赤い兜から二本の(つの)を生やした、白い体の彦にゃんが現れる。

 「彦にゃ~ん!」

 あちこちから子供たちの黄色い声援の声が、彦にゃんに向け投げかけられる。


 彦にゃんは張り切って、ひょうきんな動きで場を盛り上げる。

 ( カシャッ! カシャッ! )

 会場からは、スマホのシャッター音が鳴り響く。



 「彦にゃん、暑いだろうなぁ~。送風機付の着ぐるみでもないだろうし」

 私も、しばらく彦にゃんの動きを見守るも、強い午後の日射しに汗が流れ続ける。


 この猛暑の中、目の前の白く続く城壁の向こうに見える山並みには、白く輝く入道雲が真っ黒い腹を見せながらもくもくと沸き立ち、その頂には金とこ雲が横へと大きく水平に広がり続けている。そして聞こえてくる、ゴロゴロ という雷鳴が。


 私は御城印を頂きに、開国記念館へと向かった。




挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)

 



◇◆◇◆◇…



 翌日の16日の夜は、京都で五山の送り火を鑑賞予定だった。


 彦根で泊まったビジネスホテル。

 自由な一人旅。宿の予約はしていなかったから、彦根城近くの丸〇製麺で肉うどんを食べながら、グーグルマップでビジネスホテルを探す。

 お盆の繁忙期にも係わらず、ほど近いビジネスホテルが空いていた。


 カーナビに電話番号を打ち込み、ホテルへと。

 ホテルは、4階建てのごく普通のビジネスホテルだった。 


 フロントで指示された、ホテル横の駐車場となっている空き地に車を停め、荷物を下ろす。

 その時、ホテルの裏に広がる敷地に、一瞬黒い石積が見えたような …気が。

 

 泊まった部屋は表通りとは反対側の、4階の部屋だった。

 ドアを開け部屋に入ると、左手にシンプルなベッドが据えられ、正面には、段差の向こうに部屋の大きさには不釣り合いな小さな窓が。そしてその窓のカーテンは、しっかりと閉じられていた。


 「 … ? 」

 


 段差に膝を乗りかけ、カーテンを開ける。

 手を伸ばして曇りガラスの窓を開けると、窓枠から顔を外に出す。


 

 「 … … … 、 … 」



 

 見下ろす窓の下には、一面の ” お墓畑 ” が …   真下のホテルの壁際から全部、見渡す限りが全て墓地。

 その向こうには、こんもりとした林の茂みの中に大きなお寺の三角屋根が見える。 


 折りしも、今日はお盆の真っ最中。そして、今まさに、夕暮れを迎えようとする時刻。

 墓地にはお墓参りの沢山の人たちと、夕刻の湿り気を帯びた墓地の空気を取り巻き包む、お線香の(かぐわ)しき香りが漂う。





 まぁ ~。疲れていたから、コンビニで買ったお弁当を食べて、シャワーを浴びて直ぐに寝てしまったし。


 




 



 





 


 真夜中 …、


















 






 



 何も出てはきませんでした。


 多分 … …











  



  (了)





 お読み頂き、ありがとうございました。


 安土城天主跡、登ってきたかったです。 … が、その時、既にもう足腰はぼろぼろに …。歳には贖えません。


 次回は是非、天主台跡に登り、在りし日の信長が見た安土城天主からの眺めを感じてみたいと思います。


 安土城天主は幻の名城と呼ばれるほど、動乱の世に、その存在期間も短い宿命を負った城でした。

 だからこそ、今も多くの人がその魅力に魅かれるのでしょうか。


 是非、それまでの伝統的な国守の「館造り」の居館が、階層型天守へと転換する契機となった安土城を再建して欲しいとも思っています。

 絢爛豪華であったという天主。自己の権威を示威する事で、天下を治める …。豊臣秀吉の、あの華美で豪荘な天守造りへと受け継がれていったのでしょうか。

 

 近年、安土城址の発掘調査などで、過去の新しい知見も数多く得られているようです。

 ぜひ、安土城再建の機運が高まっていって欲しいと思います。

 

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