紀行記怪談『鶴ヶ城・大内宿、高遠そば(ねぎそば)』
世界遺産 中尊寺とその関連遺構を見学し、岩手県を後にする。
岩手から宮城、そして福島へと東北自動車道を南下する。
初夏の日差しが目に眩しく、フロントガラスを澄み切った青空と爽風が通り抜けていく。
午後も遅めの高速は、走る車も少なく自然と速度は上がり気味に。自ずと、心にも自制のブレーキを掛ける。
◇◆◇◆◇…
宮城県仙台市。
ケヤキ並木が美しい、緑の定禅寺通りを走る。さすが杜の都、仙台。立派な街並みだった。
宿泊したビジネスホテルは、この通りにあった。
通り沿いの、ホテル指定のタワー駐車場に車を入れる。
◇…◆…
『大崎八幡宮』
伊達政宗公の命により、当代随一の名工を集め、城下鎮護のために慶長9年(1604)から3年をかけて造営されたお社。
豪華絢爛な装飾が見事なご社殿は、現存する最古の権現造りの社で、安土桃山時代を代表する建築物として国宝に指定されている。
八幡宮前の、道路を挟み向かいにある無料駐車場に車を停める。
駐車場からお社までは、交通量のかなり多い広い道路で隔てられていた。道路を渡る横断歩道がある交差点は、遥か向こうに見える。
「ウーン …」
そう唸りながら左右を見渡し、車の車列の切れ目を狙って道路へと。やはり後ろでも、駐車場に車を停めた夫婦連れが首を左右に振っている。
お社の方が、「かなり危険な通りなんですよ。歩行者の事故も多くて …」と、言っているのを後で聞いたのだが …。
お社の建物はさすが国宝だけあって、落ち着いた風格を漂わせながらも、雅な雰囲気を纏い立っていた。
お社敷地に建つ幾つもの社を巡り、お札の授与所でお守りと御朱印を頂く。
( 国宝 社殿 )
◇…◆…
『仙台城跡』
仙台藩62万石の礎を築いた初代藩主、伊達政宗公。
慶長7年(1602)の伊達政宗による築城以来、約270年にわたり伊達家代々の居城となった名城跡。
往時の建物は残ってはいないものの、天守台には伊達政宗公の騎馬像が建ち、仙台の街並みを見晴らすビュースポットとのこと。
東北大学構内を横目に、仙台城跡を目指す。
カーナビに、城跡の住所を打ち込む。
「よしっと …」 ナビに従い走る。
「うん⁈」
ナビの指示に従い、何回同じ道を辿っても、また同じ場所を堂々巡りに …。
宿に戻り後で聞いたところ、直前にあった東日本大震災の余震である大きな地震で、城跡へと上る道が崖崩れで通行止めになっていたとの事。そして見てみたかった伊達政宗公の騎馬像も、この地震で傾きブルーシートで覆われていて、上ったとしても見ることは叶わなかったとのことだった。
確かに、唯一の道だと思える上り坂が、途中で通行止めになっていた。それで、不慣れな場所でもあり、迂回路の表示もなく、城跡に行くことを途中で諦めてしまっていたのだが …。
まぁ、またいつか …
◇…◆…
『瑞鳳殿』
伊達政宗公の遺言により、寛永14年(1637)に建立された霊廟。
桃山時代の遺風を現在に伝える絢爛豪華な廟建築として、国宝に指定されていたが、昭和20年(1945)の仙台空襲の戦災により焼失してしまう。後年再建され、2001年の改修で、創建当時の色彩が蘇る。敷地内の資料館では、改修工事の際の発掘調査で確認された副葬品などを展示していた。
霊廟に続く石畳の参道は濃い緑の杉の大木に囲まれ、しっとりとした空気を纏いながらひっそりと、霊屋へと石段は続いていた。
初代 伊達政宗公の霊屋、瑞鳳殿。二代藩主 忠宗公霊屋、感仙殿。三代藩主 綱宗公霊屋、善応殿。
黒を基調に、絢爛豪華で雅やか、そして金、赤朱、青などの色鮮やかな色彩に彩られた霊廟が建ち並ぶ。
緑に囲まれた霊廟の中に、雅でありながらも落ち着いた雰囲気で佇む霊屋は、見事の一言に尽きた。
霊廟に隣接する資料館へと。
ここでは、空襲で焼失した藩主三代の霊屋が再建される際に行われた、発掘調査で発見された貴重な副葬品を展示していた。
発掘調査では、完全な遺骨や武具、文具などの貴重な副葬品が多数発見されている。
政宗公を始めとする三藩主の復元容貌像も展示されており、その復元された政宗公のお顔をとても興味深く拝顔させて頂いた。
中でも、再現展示されていた墓室の棺桶の上に死出の賽銭として供え置かれていた、何枚かの黄金色に光る小判の姿が、今でも私の脳裏に印象深く残っている。
( 涅槃門 )
( 瑞鳳殿 )
◇◆◇◆◇…
福島県に入ると東北自動車道を降り、国道49号線を西進し会津若松へと。
途中、道の駅猪苗代で一服。背後に、磐梯山の雄大に抉れた山肌を、そして駐車場からは眼下に青く広がる、猪苗代湖の姿を望み見ることができた。
連休中の週末近い道の駅の駐車場には、様々なナンバーのカラフルな車が溢れ、物販と飲食スペースにも親子連れなどの沢山の観光客たちがざわめく声が賑やかに響いている。
私もブラックの濃い目のコーヒーを飲みながらブラつき、道の駅の記念切符と道の駅カードを購入する。
( 磐梯山遠景 )
◇…◆…
『鶴ヶ城』(会津若松城)
幕末に戊辰戦争の舞台となり、新政府軍の約一か月に渡る猛攻に耐え抜いた名城。会津のシンボル。
戊辰戦争で傷つき荒れ果て取り壊されたが、昭和40年(1965)に天守閣が再建された。
城郭を取り巻く高い石垣に沿って、くねくねと続く道を天守へと走る。
鶴ヶ城は他の多くの城とは異なり、天守閣を間近に望む駐車場まで車で乗り入れることができる城だった。
野面積みの高石垣の上に、堂々として聳え立つ天守閣。地上からの高さ、36mとのこと。冬の寒さに耐える赤瓦の朱が青空に映えり立つ。
入場券売り場でご城印を頂き、城内へと歩く。
五層の天守からは、雄大な会津の街並みを一望に。そして各層には、これまで歩んできた会津の歴史の展示がされる。
悲しい歴史の跡を、今に繋ぐ会津。心に響く、会津の歴史に触れることができた。
本丸跡地には、茶室麟閣が移設復元されていた。
天正19年、千利休が豊臣秀吉の怒りにふれ死を命じられた後、千利休の茶道が途絶えることを惜しんだ会津の領主 蒲生氏郷が、利休の子の少庵を会津に匿い、秀吉に千家再興を願い出たという。
結果として千家茶道が現在まで伝わることとなったというが、この麟閣は少庵が会津に匿われていた時に氏郷のために造ったものだとのこと。
千家茶道の歴史を想うと感慨深くもあったのだが、残念ながら時間が無く、見学することは叶わなかった …。
( 鶴ヶ城天守 )
◇…◆…
私が福島に来たのには、名高い鶴ヶ城の見学のほかに、私には別の目的もあった。
それは、『ねぎそば』だった。
会津若松から国道118号線を南に下り、大内宿を目指す。
大内宿は、江戸時代に宿場町として栄えていた頃の面影が色濃く残る、茅葺の民家が保存され並ぶ街並み。
そこには、『高遠そば』(ねぎそば)が食べられるお店があった。
しかし、時刻は既に午後3時。確か、お店は4時迄だった。
宿場までの道は、単調な一本道。 … だが、ずっと白い軽トラが前を走る。
「ちくしょう … 間に合うか?」
鶴ヶ城で時間を食い過ぎた … ハンドルを握る手に、気ばかりが焦る。
『高遠そば』
曲がった一本の長ねぎで、そばを掬って食べる。
以前、偶然テレビの旅番組で目にしてから、その見た目のインパクトの虜になっていたから。
特に、そば好きの私としては、何時か食べてやろうと、その時を狙っていたのだった。そう、その時が今だったから …。
軽トラの白いケツを追いかけ続けた後、道路標識の指示に従い右折する。
国道を外れ、山間を流れる渓流沿いの、かなり蛇行の多い県道へと入る。
すれ違う車は少ないものの、右へ左へと深いカーブが続く。フロントガラスに夕闇が、直ぐそこまで迫っていた。
道が開けると、すぐ右手に木造の観光案内所の建物と、広い駐車場があった。停まる車も、もはやまばらに。
カーナビの示す時刻は、既に4時目前。
車を停め駐車場を飛び出ると、目の前に続く真直ぐな道沿いの左右に沿って、古い茅葺の民家の建物が並び建っているのが見える。それが、大内宿の宿場町だった。
私の目指す、高遠そばを食べさせる三澤屋は、この町並みの中にあるはずだった。
北へと真っ直ぐに延びる、昔の宿場の家並みが綺麗に整備された街道脇の右手に、その三澤屋があった。
店は、宿場町の古風な茅葺家屋の落ち着いた佇まいを見せ、茜色に染まろうとする夕日の中に静かに佇んでいた。
「あのう … まだ、時間は?」
店の入り口を覗き、尋ねる。
「大丈夫ですよ」
割烹着を着た若いお姉さんが、そう笑顔で店の中に招き入れてくれた。
テーブルの上に置かれたメニューを手に取る。料理の写真が載ったメニューを漁る目には、全ての料理が美味しそうに映る。
暫し見入り、考える。
「 … … … 」
「『高遠そば』と『水そば』、それに季節の野菜の天ぷらの盛り合わせをお願いします」
注文を取りに来た、割烹着に前掛けを着けた女性に、そう注文をする。
注文を復唱する店員の若いおねーさんは、なぜか私の顔と注文伝票とを見比べ、目を丸くしていた。
やがて、私の座る目の前のテーブルには、注文した沢山の料理が並ぶ。
「高遠そば」はねぎそばと呼ばれるだけあって、大きな漆器のそばの器からは、先が丸く丸まった、青首の青い茎の色も鮮やかな一本の長いねぎが飛び出している。
そして何んと、もうひとつ頼んだ「水そば」の黒い器からも、先端が瑞々しく青い長ねぎの姿が覗く。それに大皿に、野菜の天ぷらの盛り合わせが。
「 うーん … 」「ちょっと 頼み過ぎたか … …」 ‥ ‥ ‥
長い一本ねぎと割りばしを両手で使い、そばをすくいつつ食べる。時々、薬味として、その長い青首のねぎの先をかじりつつ。
普段、刻みねぎの薬味しか知らない身には新鮮で、しかもすっきりとした味わいのねぎの味。
「 家でもやってみるか …」
そばをすすりながら、何んとなくそう思う。
( ねぎそば、水そば )
… ◆ …
「ふーっ !」 「美味かった …」
座卓の食卓の前でそう息を着くと、足を投げ出して背中を後ろに反り伸びをする。
お腹が張り、苦しい。満腹感をはるかに凌ぐ、息苦しさ。
「いやー さすがに食い過ぎたか …」
暫く食卓で休ませてもらう。 … 時間は既に、もう店じまいの時になろうとしている様だったけれど。
「ご馳走さまでした」
伝票を手に、お店の入口脇の会計所に向かう。
「どうでした? お口には合いましたか?」
そこには、料理をテーブルに運んでくれたおねーさんがレジを打っていた。
「美味しかったですよ!」
私のその言葉に頷き、おねーさんは笑いながら聞く。
「あんなに沢山。しかもお一人で …」
「食べきれないかと、心配しながら見ていたんですよ。 … でも、良かった」
「いやー …、さすがに多かったです。でも、ねぎそばがいつか食べてみたくて。そのために県外から訪ねたんです」「だから、目が、食べたくて …」
「美味しかったです。ありがとうございます」
「そうですか。それは、ありがとうございました」
おねーさんは、笑顔で私にお釣りを手渡す。
「じゃぁ」 私は暖簾をくぐった。
外は既に日も暮れ、濃い茜色が空を漂っていた。
「さてと …。今日は、何処に泊まるか … …」
私は再び南へと、高速を下った。
(了)
お読み頂き、ありがとうございました。
大分前に、岩手県で、中尊寺と関連のユネスコ世界遺産を見学した後、東北自動車道を走り、宮城県仙台市、福島県会津若松市と南下しながら『仙台城跡』、『鶴ヶ城』などに立ち寄り、見学した時のことを書いてみました。
杜の都 仙台、そして会津。いづれも、歴史ある、緑豊かで素敵な街並みでした。
またいつか、訪れてみたいと思います。




