5-7
アイヴィーは地上を見下ろし、先ほどのやり取りを思い出していた。
アイヴィーの涙が乾くように、地上に向かってゆっくりと降りていたときのことだ。
「俺が演説?」
葉太郎はアイヴィーに「地上に降りたら皆に演説をしろ」と言われて首を傾げた。ひまりも一緒に首を傾げる。
「こういうときは王様がするんじゃないの?」
「……私が無事に帰ってくれば、一時的に皆は喜ぶだろう。だがすぐにこう考える。国を担っていた男の1人が裏切った。さらに王は分別の分からぬ幼い子ども。いったいこの国はどうなってしまうのか、とな」
実際この1年間国を動かしてきたのは、赤の宰相と青の宰相だといっても過言ではない。
城に長く仕えてきた赤の宰相の裏切りを、幼い王のせいだと考える者も出てくるだろう。
今後、国の内部に影響が出るのは明らかだ。
「人々の不安を少しでも解消するために、勇者の言葉が必要なんだ。……臣下に裏切られ、連れ去られるような子どもではなく、な」
アイヴィーは自嘲気味に笑った。
「心配するな。お前の言葉にはそれに見合う力がある。なにせドラゴンを退けた英雄だ。みんなお前の言葉ならちゃんと聞くさ」
葉太郎は口元を一文字に引き結んで話を聞いていたが、アイヴィーの額を人差し指でとんと突いた。
「だったらなおさらお前が言え」
「あのな、話を聞いていたか。なんの力もない私では駄目なんだ」
「力が人を動かすというのは事実だ。だがなそれだけじゃない」
葉太郎はひまりに視線を向けた。ひまりも葉太郎に目を合わせて、にこっと笑う。
「……人が誰かを助けようと思うのは、それだけじゃないんだ、アイヴィー」
静かに諭すような声に、アイヴィーは額を抑えて俯いた。
「私の言葉にはなんの実績も裏付けもない。ただの願望でしかないんだぞ」
「これから現実にしていくんだろ。だったらそれでいい」
「うんうん。私も、王様の言葉が現実になるよう、お手伝いするよ」
2人の勇者がにっと笑う。なんの根拠もないのに、引き寄せられる笑顔。その表情がよく似ていて、ああ兄弟なんだな、と思う。
「だから現実にするために、声を上げろ。他の誰でもない、王様のお前が」
葉太郎の言葉に王はしばし考え、やがて「分かった」と小さく呟いた。
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静まり返った地上を見渡し、グラース国の若王、アイヴィー・グラースは告げた。
「皆、心配をかけた。私は無事だ。ここにいる勇者2人のおかげだ」
アイヴィーがうながすと、葉太郎とひまりが一歩前に出た。勇敢な勇者に惜しみない拍手が送られる。
「だが、これで終わりではないだろう。これから先も、きっとこんな試練が襲ってくる。何度も、何度もだ。……私は、王がいるから大丈夫だ、なんて言えない」
今だってこんなに簡単に攫われてしまった。
本当に自分は弱い。
けれど、それでも。この国の王は自分なのだ。
「大丈夫だなんて断言できない。今の私に約束できるのは、この場から逃げないことだけだ。国のために、民のために、この玉座でのどんな学びからも、逃げない」
自分に誓えるのはそれだけだった。
「私は前王と王妃が願った平和な世界を、守り続けたい。……だから皆、どうか力を貸してくれないか。これからも共にこの国を守ってほしい」
アイヴィーは言い切って頭を下げた。
脳裏に赤の宰相の最後の笑顔が頭をよぎる。
(もし、皆も同じだったら)
心臓がばくばくと音を立てた。汗のにじむ手で、服の裾をぎゅっと握る。
──だが次の瞬間、 割れんばかりの拍手があたりを包み込んだ。
地上から、城の者たちの大きな声が届く。
「もちろんです!」
「共にこの国をお守りします!」
青の宰相が、大きな声を張り上げた。
「我らが王、ばんざい!」
「ばんざい! ばんざい!」
言葉だけでは足りないと、人々は手に持っていた杖や頭に巻いている布など、とにかく色々な物を空に放り投げ始めた。
アイヴィーの心からの言葉が、民の心を打ったのだ。
そんな人々の様子を見て、アイヴィーは顔をくしゃくしゃに歪めた。
「──ほらな、言った通りだろ」
得意げに笑う葉太郎。
アイヴィーはぐっと涙をこらえる。全部お見通しだと言わんばかりの葉太郎に同意するのもなんだか癪で、葉太郎をずいっと前に押し出した。
「お前もなんか言え」
「はあ?この後何を言うんだ」
「うるさい。いいから行け」
ぐいぐいと押し出されて、仕方なく屋上のへりに立つ。
人々はお祝いムードだったが「今度は勇者の言葉か」と再び騒ぐのを止めた。
葉太郎は何を言うべきか考える。自分は王ではない。国をどうのこうの、と言うのも変だろう。
ならばアイヴィーが今後動きやすくなるように、彼らが勇者を支持したくなるような発言でもしておくか、と考えた。
それなら葉太郎の得意分野だ。
だって、勇者ひまりの良いところを挙げるのは、葉太郎にとって呼吸も同然の行為なのだから。
「いいか、貴様ら。そこで寝てるレッドドラゴン。それを倒せたのはひまりのおかげだ」
鼻ちょうちんを膨らませて眠るレッドドラゴンをびしっと指さして葉太郎は言った。
「そうだったのか」「さすが勇者」「幼いのにすごいな」といったざわめきが上がる。
葉太郎は人々の反応に満足げに頷き、話を続けた。
「王を助けられたのもひまりの心が美しいおかげだ。つまり国の平和はひま
りの優しさで保たれたといっても過言ではない。むしろ足りない」
そ、そうなんだ、ととりあえず皆が頷く。
さっきまでいい感じだった雰囲気が怪しくなってきた。
「ひまりの優しさが国を救う。つまり国はひまりのかわいさと優しさでできている。つまり世界とはひまりである。すなわち!!」
葉太郎が「ばっ!」と両手を広げて舞台俳優のように声を張り上げた。
「幸福とはひまりのために生きることだ!」
腹の底から言い放ち、どどん! とポーズを決めた。
──しぃん、とあたりが静まり返った。
葉太郎の心からの言葉に、民は心を震わせた(困惑で)。
「なあ、やっぱりあの勇者危ないんじゃないか……?」
「青の宰相さまだけで、あいつを止められるだろうか」
「い、いやでも、ヒマリ様がいらっしゃれば下手なことには」
広がるざわめき。ひそひそ話。伝播する動揺。
皆の心は1つになった。
すなわち「一体この国はどうなってしまうんだ」である。
ちなみにいきなり崇拝の対象にされたひまりは、眉を下げておろおろと首を振っている。
ドヤ顔の葉太郎の横で、アイヴィーはふるふると震えた。
「さあ続け皆の衆っ! ひまりイズプリティー! ひまりイズピースフル! ひまりイズ」
「貴様のせいで私の演説台無しだ馬鹿者ーーっっ!!」
王の怒りのタックルが、葉太郎に炸裂した。
こうして、グラース城で起きた反乱は幕を閉じた。
若王への信頼と、勇者への一抹の不安を残して。




