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完全に意識を失った赤の宰相の首元を掴み、葉太郎は大きく息を吐いた。
「お兄ちゃん!お兄ちゃん!今治すからね!」
ひまりが木箱から身を乗り出し、必死に兄に手を伸ばす。
葉太郎は慌てて木箱に近づいた。
「待つんだひまり、そんなに身を乗り出したら落っこちちゃうぞ!」
わたわたとひまりを木箱に押し戻す男を、アイヴィーはぼうっと眺めていた。
さっきまで赤の宰相と命のやりとりをしていた人間と同一人物には到底見えなかった。
(……これで、前王達との約束を守ることができた)
ついでに、勇者召喚に対する不満も今回の件でおさまるだろう。なにせ王を救った英雄だ。
裏切り者も消え、戦争の火種も消えた。十分な結果だ。
なのに、胸にぽっかりと穴が空いてしまったような気持ちなのは、何故だろう。
「……さま、王さま」
はっと我に返る。ひまりが心配そうにアイヴィーを見つめていた。
アイヴィーはなんとなく視線を逸らした。
「葉太郎の治療は終わったのか」
「あ、うん」
「ならばさっさと下に降りるぞ」
ひまりの治療を受けた葉太郎が、脇腹をさすりながら頷いた。
「そうだな。下は今頃、眠ったレッドドラゴンが落下してきて大混乱だろうからな」
「……そうだな」
すっかり忘れていた。下の惨状を想像して、すごく降りたくなくなった。
頭を振ってこれからのことを考える。まず下に降りたら自身の無事を皆に知らせて、赤の宰相と青の宰相に指示を請おう。
(……いや、違う。赤の宰相はもういないんだ……)
「おい、大丈夫か」
今度は葉太郎に肩を掴まれ軽く揺さぶられた。この男に心配されるとは自分も重症だ。アイヴィーは軽く自嘲し、口元を無理やり釣り上げた。
「なんのことだ? ああ、そうだ。お前らには私を助けた褒美をくれてやろう。なにが望みだ」
いつも通りに振舞おうと何気なく言った言葉だった。
だが、ひまりがその言葉を受けて、勢いよく手を挙げた。
「はいっ、王様!私、ここの領空権が欲しいな!」
「は?」
「社会の時間に習ったんだ。海と土地と空って、それぞれ所有権があるんでしょう?」
ひまりは指を3本立てた。
「私はここの空の権利が欲しいです。ええと、ここからあそこくらいまで!」
そう言ってひまりが身を乗り出して指差した空間は、人が3人程度入るくらいの、ほんの小さなものだった。
そんなものを欲してどうするのか。ひまりの意図が分からず眉をひそめる王だったが、彼女の必死な表情にとりあえず首を縦に振った。
「……まあ、いいだろう。あとで書面でも作ってやる」
「ありがとう、じゃあ王様! 今からこの場所ではひまりが王様です!」
そう宣言して、ひまりはアイヴィーを抱きしめた。
「なっ」
「だからね、泣いていいよ」
「……」
「この場所では王様は王様じゃないから、我慢しなくていいよ。ひまりが、王様の、アイヴィーの安全地帯になるよ」
アイヴィーの肩が震えた。
「なにを、言ってる。部下に裏切られて、怒りこそすれ、悲しみなど、わ、私は」
「うん。でもね、でもね、アイヴィー」
ひまりの体も震えていた。声も震えていて、今にも泣きそうだった。
「大好きな人がいなくなったら、悲しいよ」
その言葉で。
両親が亡くなった日のことを思い出す。
1人涙を流す自分の部屋の前に、赤の宰相と青の宰相がずっと立っていてくれたこと。
思い出す。
厳しく、時に優しく、自分にたくさんのことを教えてくれたことを。
思い出す。
武術も魔術も得意なところを。大好きなところを。
たくさん、たくさん思い出す。
ああ、もうあの姿を見ることはないのだと考えた途端、眼から想いがこぼれ落ちた。
「……あ……う……ぅ……っあぁ……」
嗚咽がひまりの肩口で消えていく。
ひまりが優しく背中をさする。蓋をし続けた想いが決壊した。
「わあああああーーーっっ!!」
ただ溢れる感情のままに、アイヴィーはひまりの腕の中で泣き続けた。
□□□□
上空で葉太郎と宰相の戦いに決着がついたころ。
地上ではレッドドラゴンの落下により、輪をかけて混乱が広がっていた。
「うわああ、レッドドラゴンが落ちてきたぞーっ!?」
「王は無事なのか!?」
「くそ、勇者達はまだなのかっ!」
青の宰相と騎士団長が混乱する場を収めるべく声を張り上げる。
「狼狽えるな!ドラゴンは寝ている。おそらく勇者達が無力化したのだ」
「この程度で陣形を乱すな馬鹿野郎共! いいからさっさと並べ、飛行術が全員にかかり次第速やかに報告!」
ドラゴンは騒ぐ人々の声などものともせず、大きな腹を規則的に上下させながら寝息を立てている。
青の宰相がちらりと爆睡するドラゴンに目をやった。
「騎士団長。あれは寝ている間に始末したほうがいいのでは」
「なし。あのドラゴン、相当長寿ですよ。一撃で屠るのは難しい。下手に傷つけて敵と見なされた方が厄介です」
喧噪の中、イェルとフィーロが、拳を握りしめて空を仰ぐ。
「……ヨータロー、ヒマリ……」
イェルが祈るように呟いたそのときだった。
澄み渡った空に、小さな点が見えた。
その点少しずつ大きくなり、こちらに近づいてくる。
徐々にはっきりと輪郭を帯びていくそれは、四角い形の箱と、人の影だった。
「おい!あれを見ろ」
「人じゃないか!?」
「勇者だ、勇者が戻ってきた!!」
「王は、王は無事なのか!?」
下降してくる四角い影を人々は食い入るように見つめた。彼らの願いに応えるように、四角い影からひょこりと小さな影が身を乗り出した。
プラチナブロンドの少女がゆるりと手を振る。それに気づいた青の宰相の顔がくしゃくしゃに歪んだ。
「……王……!」
城からわっと歓声が上がる。
「勇者たちが王を連れて帰ってきたぞ!」
「我らの勝利だ!」
「うおおおおっっ!」
イェルは泣きそうになるのをぐっとこらえて涙を拭う。
フィーロは大きく息を吐き、空を見上げて笑った。
歓声に包まれながら葉太郎達が下りてきた。彼らは人々が集まっていた地上ではなく、それを見下ろせる城の屋上に降り立った。
木箱の中からアイヴィーが下りる。アイヴィーが地上を見渡すと、ざわめいていた人々が少しずつ少しずつ静かになり──、ついには全員が城の屋上を見上げる。
生還した王の言葉を、皆一様に待っていた。




