5-5
それから、時間にして5分ほどが過ぎた。
時間にすればほんのわずか。けれど葉太郎にとっては1日中戦闘を繰り広げていたように全身が重い。
それほど目の前の相手は強かった。
なんとか頭部への攻撃は避けているが、あと一撃でももらえばおそらく自分は戦闘不能になってしまうだろう。
「呼吸を整えている暇はないですよお!」
「っ!!」
迫りくるロッドを、上半身を後ろにそらして躱した。
だが次の瞬間に気づく。宰相が今ロッドを持っているのは右手だ。光の紐で縛り上げて無理やり動かした右手のロッドは、大した狙いも定められず空を切る。つまりフェイントだ。
(しまった、左……!)
本命の左拳が、葉太郎の顎めがけて突き上げられた。
「がっ……!」
とっさに腕で守り直撃を避けるが、かすめた衝撃が脳を突き抜け、ぐらりと視界が揺れる。
しゃがみこんだ自分の頭部めがけて、赤の宰相のロッドが振り下ろされた。
「お兄ちゃん!」
ひまりの叫び声が聞こえる。
咄嗟に顔を上げると、宰相の自分を殺すべく腕を振りぬいた動きが、スローモーションで見えた。
葉太郎の額が割られるまさにその瞬間。
見えない障壁に、ロッドが勢いよく弾かれた。
(! 防御魔術、ということは、ヒマリですかあ?)
おそらく発動したのは葉太郎ではなくひまりだと判断する。兄を守るために障壁を張ったのだろう。
だが、最初から葉太郎の周囲に防御魔術を展開しなかったのは、自分と葉太郎の周囲の2か所に防御魔術を張るだけの技量がなかったからだ。
つまりひまりの防御魔術では、どちらか一方しか守れないということ。
ならば、先ほどドラゴンの尾を弾いた防御魔術は、今ひまり達の周囲には張られていないはずだ。
(先に王を潰すといたしましょう!)
ドラゴンに再びひまりたちを攻撃するよう指示を出し、自分もひまり達の木箱に視線を向けた。
だが。
「……え?」
そこで赤の宰相は、初めてわずかに動揺した。
彼の視界に映ったのは、こちらを真っすぐに睨み、木箱から身を乗り出したアイヴィーの姿。
こちらに突き出したアイヴィーの手のひらから、きらきらと白い光がこぼれている。あれは魔術を発動した証だ。
つまり今葉太郎を守ったのは、ひまりではなくアイヴィーの防御魔術。
赤の宰相の裏切りにも思考を停止することなく、勇者達との戦いに協力していた、ということだ。
(……ならば)
ならば、何故。何故彼女は最初から防御魔術を展開して、葉太郎を守らなかった?
最初にドラゴンの尾を防いだあの魔術が、ひまりではなくアイヴィーの魔術だったとしたら。
ならば。──ならば、ひまりは。
(勇者ヒマリは、今何をしている!?)
赤の宰相は瞬時に思考を巡らせ、そして気が付いた。
攻撃の指示を出したはずのドラゴンが、まったく動いていないことを。
ドラゴンの姿を仰ぐ。強靭な鱗に覆われた長い首の先。鼻面についた大きな目を何度もしばたかせている。それは眠気を我慢するような仕草に見えた。
(これ──は)
「眠りの魔術だ。これは予想していなかっただろう? お前はひまりにこの術を教えていないからな」
「っ!」
いつの間にか葉太郎が背後に迫っていた。つかみかかろうとしてきた相手の腕を杖を回転させて弾き、なんとか距離を取る。
「眠りの魔術……!? なぜそんなものを」
「香りの魔術だけでは眠れないかもしれないと、イェルに教わっていたんだ」
王様がゆっくり眠れますように。
少しでも元気が出ますように。
これはひまりの、そんな優しい気持ちでできた魔術だった。
ドラゴンの瞼がゆっくりと閉じた。同時に翼が羽ばたきを止める。その巨体が重力に従って落下していく。
「くっ!」
ドラゴンの落下に巻き込まれかけた宰相が、速攻で飛行魔術を展開し距離を取ろうとする。だがドラゴンの翼が肩に当たり、バランスを崩した赤の宰相に葉太郎が迫った。
触れられまいと杖を前に構える。だが葉太郎の手は、赤の宰相に触れる前に止まった。その手が白く光った瞬間、赤の宰相を猛烈な眠気が襲う。
ギフテッド、と内心で叫ぶ。
(しまった、勇者ヒマリが眠りの魔術を会得しているならば! それをヨータローにかけていれば、この男も……!)
赤の宰相は歯噛みした。
相手の作戦が、自分を吹き飛ばして王を救出することだと思い込んでしまった。
まさかドラゴンを無力化して、自分を捕縛しようとするとは思わなかった。
こうなれば魔術で右腕を切り刻み、痛みで覚醒するしかない。
赤の宰相はそれを実行しようとするが、遅い。
「お前の敗因はな」
葉太郎が、ぐっと拳を握りしめた。
「ひまりやアイヴィーを、子どもだと侮っていたことだよ」
次の瞬間。
人間避けの魔術ではなく、身体強化の魔術を施した葉太郎の拳が、赤の宰相のみぞおちにめり込んだ。
「ぐっ……ふ……」
薄れゆく意識の中で、赤の宰相は自嘲気味に笑った。
子どもだと侮っていた。その言葉に納得するしかなかったからだ。
王が魔術を使えることなど分かっていた。それなのに障壁を張っているのがひまりだと思い込んだのは、王がまともに戦えないと思ったからだ。
ずっとそばにいた宰相に裏切られ、今まさに死の淵に立たされ、恐怖で勇者にしがみつくしかない、小さな子ども。
そしてひまりは勇者といえど、葉太郎に守られているだけの存在だと思っていた。
魔術の才能があろうとも、それを活かす経験は余りにも乏しい。教えられたことだけを学び、自分たちの身を守るだけで精いっぱいだろうと侮っていた。
どうして気づかなかったのだろう。
先ほど『もう一度私のそばで生きてみないか』というあの言葉に、驚かされたばかりだというのに。
……自分でこの前、口にしたばかりだと言うのに。
『子どもは大人の予想をぽーんと上回りますからねえ』
子どもというのは考えなしで、弱くて、甘くて。
そしていとも簡単に、大人の予測を上回ってみせるのだ。
そうして赤の宰相は、意識を手放したのだった。




