5-4
高く高く飛び上がっていたドラゴンが、赤の宰相の命令で動きを止めた。
ドラゴンの背中で赤の宰相は右腕を動かそうとするが、だらりと垂れたままだ。
(あー。呪い付きで斬られましたねえ。さすがは騎士団長。これはしばらく回復魔術は効かなそうだ)
雲に隠れて見えなくなった城を見下ろす。追手はまだ来ない。
左腕に抱えた王は、死んだかと思うほど静かだ。
「なかなか追ってきませんねえ。このままじゃ王様、殺されちゃいますよ」
「……もともと私を殺すつもりではないのか」
ずっと黙っていたアイヴィーがようやく喋った。
この状況でもまったく取り乱す様子はない。さすがは王だ。教育係だった赤の宰相は満足げに頷く。
裏切っておきながら、教育係としての成果に喜ぶ。
自分でもおかしいとは思うが、それが本心だった。
「決めかねております。あなたをどうするのが1番良い戦争の火種になるか」
それは適当な言葉ではなく、本当に迷っていた。彼女を殺せばグラース国の内部崩壊が起こり、間違いなく戦争が始まるだろう。
悪くないが、王という利用価値のあるこの娘をすんなり殺すのももったいない。
「……わな」
「ん?」
「平和な世界が生きづらいなら、宰相以外の仕事はできないのか」
眉をひそめる。この少女が何を言いたいのか、よく分からなかった。
「もう騎士団には入れないだろうが、王家の裏の仕事を与えてやる。危険地帯への斥候や、凶悪な魔物の討伐。生死の境をさまよう仕事は山ほどある」
赤の宰相は言われた言葉を何度か反芻し、ぽかんと口を開けた。
「えーっと。まさかとは思いますが『今なら許してやる』って言われてます、私?」
「罰はきちんと受けてもらうぞ。勘違いするな、使える人材は使うというだけだ」
だから、とアイヴィーは顔を上げた。
「もう少し私に従って、生きてみないか?」
前王から遺伝した緑の瞳が、赤の宰相を貫いた。
幼い少女の表情は、言葉より雄弁に感情を伝えてきた。
生死を握られている恐怖も、生きたいと思う気持ちも。
……裏切り者に生きてほしいと祈る気持ちさえ。
赤の宰相は息を吐いた。子どもだ。呆れるほどに、子ども。
だから勇者召喚なんておとぎ話に頼ろうと思ったのだろう。
結果的にそれでここまで追い詰められてしまったのだから、なかなかどうして侮れない。
(うん、決めました)
赤の宰相は魔術を使って光の紐を生み出す。その紐で切られた右腕を縛って無理やり動かした。
そうして両手でアイヴィーを高々と持ち上げる。
幼い子どもをあやす父親のように。
「王様。あなたは間違っていない。おかしいのは、私の方なんですよ」
数えきれないほど人を殺して、時代についていけなかった死に損ないは笑った。
あ、とアイヴィーは小さく呟く。その笑顔はいつもの赤の宰相のものだった。
青の宰相と言い合いをして、訓練で兵士をかるくいなして、文句を言うアイヴィーを嗜めて玉座につかせて笑う、その顔だ。
アイヴィーの胸にわずかな期待が芽生えた。
まだ戻れるのだろうか。あの日々を、もう一度取り戻せるのだろうか。
「赤の宰相」
その答え合わせのように、アイヴィーは宰相を呼んだ。
──だが。
「さようなら」
赤の宰相がその手を放す。
「あ……」
アイヴィーは宰相に手を伸ばすが、何も掴めないまま。
支えを失った体は、死に向かって落ちていく。
──その体を、力強い腕が抱きとめた。
赤の宰相は唇を吊り上げて相手を見下ろす。きっと最初に彼が来ると思っていた。
さて、自分をここまで追い詰めたおとぎ話の登場人物は、どうするつもりだろう?
「死ににきたんですか、勇者様?」
「観念しろ、死にたがりの悪党」
勇者は反逆者を真っ向から睨みつけて微塵も怯むことなくこう言った。
「俺の可愛い妹が、ハッピーエンドをお望みだ」
それが勇者がすべてをかける、たった1つの行動原理だ。
□□□□
グラース城の遥か上空。
勇者が対峙するはレッドドラゴンと反逆者。
葉太郎の後ろには子ども2人入れるほどの小さな木箱が浮かんでいた。そこからひまりがひょこりと顔を出す。
「王様、大丈夫!?」
「……ヒマリ」
葉太郎はアイヴィーをその木箱の中にそっと下ろした。
なるほど、と赤の宰相は状況を把握した。飛行術をひまりではなく箱にかけているのだ。動きに制限はあるが、あれなら複数の人間を空に浮かせることができる。
アイヴィーを妹に守らせて、葉太郎がレッドドラゴンを相手取るつもりなのだろう。
その予想通り、葉太郎は一歩前に踏み出した。
「お兄ちゃん、気をつけて」
ひまりがその背中に声をかける。葉太郎は振り返って優しく微笑んだ。
「ああ、任せろ」
赤の宰相はドラゴンの背を撫でた。
「勇者ヨータロー。あなたの能力はフィーロから聞いていますよ。その身に受けた魔術を自在に操れるギフテッド。その上魔術の改編も可能だとか」
信じられない能力だ。だが、勝てないとも思わない。
「どんな攻撃が飛び出してくるか分からない。ならばこちらが増やすべきは、攻めの手数より守りの厚さ」
赤の宰相はレッドドラゴンを見上げた。
「はるか未開の地に住まう長寿のドラゴンです。召喚するのには苦労しましたよ。しかしその硬い鱗はあらゆる魔術を跳ね除け、あらゆる武器を打ち砕く。いわば最強の盾です。あなたにこのドラゴンを倒せるでしょうか」
「…………」
葉太郎は沈黙した。確かに葉太郎は強い。ひまりはすべての属性魔術を使う才能がある。
それでも圧倒的に経験不足な2人では、おそらくこのドラゴンの守りを貫通することはできないだろう。
だが勝ちの目がないわけではない。
葉太郎は空を飛ぶ前にフィーロ達に言われた言葉を頭の中で繰り返した。
フィーロの示した突破口。それは宰相とレッドドラゴンの距離を取ることで、レッドドラゴンを正気に戻すというものだ。
上空に飛んでいる最中に、ひまりとの打ち合わせも済んでいる。
ドラゴンを倒せるのか、その答えは「否」だ。
だがドラゴンを倒そうとしていると錯覚させ、赤の宰相の懐に入り込むべきだ。故に葉太郎はこう吼える。
「やってみなければ分からない。覚悟しろ、レッドドラゴン!」
葉太郎が空を蹴り飛ばしドラゴンに迫る。ドラゴンが雄たけびと共に、鋼のように鋭い5本の爪を葉太郎にふりかぶった。
葉太郎は一瞬立ち止まり、自ら爪に向かって跳んだ。爪の隙間をすり抜けてドラゴンの腕の上を走る。
このままドラゴンの心臓を狙うと見せかけて、一気に赤の宰相に迫るつもりだった。
──もっともその狙いは、すべて赤の宰相にばれているのだが。
(ま、私狙いで来るでしょうねえ。私を吹っ飛ばしてレッドドラゴンの使役を解くのが一番確実だ)
葉太郎が魔物を吹き飛ばす魔術を編み出したというのは、以前の報告で受けている。
王は妹に守らせて、葉太郎が自分をどこか遠くへ吹き飛ばし、自我を取り戻したレッドドラゴンをどこかへ逃がす。自分という反乱分子を取り逃がすことにはなるが、王を守るには一番確実な作戦だろう。
赤の宰相にとって少し意外だったのは、王を守る護衛として、騎士団長ではなくひまりを連れてきたことだった。
いくら魔術に長けているといっても、幼い子どもだ。なんの戦力にもなりはしない。
(ああそれとも、私1人を吹っ飛ばすだけならすぐに終わると思ったんですかねえ)
確かに人除けの魔術を葉太郎が使っているのなら、赤の宰相は葉太郎に触れられた時点でゲームオーバーだ。
条件だけでいえば大幅に不利だろう。しかも自分は右腕を負傷している。
赤の宰相の予想通り、葉太郎はドラゴンの心臓を狙うフリをして、軌道を変えて赤の宰相に向かってきた。
迫りくる葉太郎を見つめ、ふっと笑う。
葉太郎手のひらが赤の宰相の肩に触れる寸前、くるりと赤の宰相の体が反転した。
「ぐっ……」
同時に葉太郎のみぞおちに重い痛みが走る。
赤の宰相が懐から取り出した20センチほどのロッドが、葉太郎の脇腹を抉っていた。
赤の宰相は杖で葉太郎を押し出す反動で後ろに飛び、葉太郎に触れることなく距離を取る。
葉太郎は脇腹を抑えた。体が痛みを訴えて、どっと汗が出る。たった一撃で、宰相は人間の痛点や急所を確実に打ち抜いてきた。
赤の宰相はにこりと笑って、左手でロッドを一振りした。20センチほどの杖が倍の長さに伸びる。
「良かった。やはり武器であれば『人間』とは認識されないようだ」
相手に触れてはいけない戦いなんて、若い頃にいくらでもしたことがある。
赤の宰相が指を鳴らすと、ドラゴンが尾を振りかぶった。狙いは葉太郎ではなく、その後ろの木箱にいるひまりたち。
「っひまり!」
「大丈夫!」
尾が木箱に当たる寸前で見えない壁に弾かれた。うっすらと光を放つ膜が球体の形をしてひまりたちを守っている。
(ふむ、木箱の周辺に強力な防御の魔術を展開しているようですね)
つい先日、王が防御の魔術をヒマリに教えていたのを思い出した。すっかり使いこなしているようだ。
だが勇者ヒマリは、王と自分を守るので精一杯。ドラゴンがいる限り葉太郎の援護まではできない。
あと考えられるのは、アイヴィーが魔術を使って援護してくる可能性。しかしあの少女に戦闘を教えたのは自分だ。攻撃パターンなどいくらでも予想がつく。
(……なにより今は、私の裏切りに大変動揺しているご様子です。まともに戦えるとは思えませんねえ)
木箱の中に隠れて、うつむいた王の姿を見て、赤の宰相は片目をすがめた。
自分の勝利は揺らがない。赤の宰相にはギフテッドなどないが、死地で積み上げた経験がある。たった子ども3人に負けることはない。
(まさかこの年で、勇者殺しの称号を得るとは思ってもみませんでしたねえ)
そうひとりごちて、赤の宰相は葉太郎の頭蓋めがけてロッドを振りかぶった。




