第三十話 (第一章 闇の迷宮 最終話)
第一章 闇の迷宮 最終話です
――破壊なくして創造はない。
しかし破壊すれば確実に、そこに在ったものは失われる。
失ったものの大きさは、失って初めて分かるものだ。
フォボスとハルがそれぞれに、事件の顛末の報告要請を主張していたが、カナメは通信機を無視したままコックピットで項垂れたまま沈黙を続けた。
赤茶けたハルの大地にも鈍い鋼色を弾くフォボスにも向かう気になれない。茫漠とした気持ちのまま宇宙空間を漂う。
そんなカナメの意識に飛び込んできたのは、イブキの声だった。
『カナメ、聞いてくれ……』
イブキの泣く直前のような乱れた声が耳に響く。
『今、ルドからメールが届いた。俺宛てとおまえ宛てに一通ずつ。ルドの部屋の端末から自動で送られたものだ。すぐにおまえに伝えて欲しいと書いてある。オービターに送信しても構わないか?』
カナメはノロノロと顔をあげる。
「……ルドから?」
少し躊躇して後、送信してくれと頼む。躊躇したのは送信すればフォボスにも内容を知られることになるからだ。しかし今更だ。誰に何を知られたところで今更なのだ。
しばらくすると受信音がして、モニターにメールが表示される。
『カナメ、このメールを受け取ったと言うことは、既に俺は宇宙の塵になったってことなんだろうな。おまえ、怒ってるか? 怒ってるだろうなぁ。
俺に初めてアール・ダー村で会った時のことを覚えているか。俺にとっては忘れられない強烈な思い出なんだが……。
色々なものを壊しまくる問題児、当時俺はおまえのことをそんな風に聞いていた。だから会った途端おまえに説教をした。おまえは覚えていないかもしれないけどな。』
覚えているさ。会うなり説教を始めた大人、それがルドだった。当時、他の大人たちは自分とイブキのことを腫れもののように扱った。もしくは天才児だとご機嫌をとった。あの頃の僕とイブキは、失う痛みも知らずに、自分達に不可能はないなどと思いあがっていて、大人など何もできない木偶の坊だと見下していて、今から思えばとんでもなく生意気な子どもたちだった。
『確かあの時、俺はこう言って声をかけた。
――破壊魔なんだそうだな。物壊して、大人を困らせて、何が楽しいんだ? もっと人の役に立つ、人に喜んでもらえることをしたらどうだ? 亡くなった両親だってそう願っていると思うぞ?
そうしたら、おまえは小馬鹿にしたような目で俺を見つめてこう言った。
――破壊なくして創造はないんだよ、おっさん。
あの時はクソ小生意気なガキだと思ったもんだが、その実、虚を突かれた思いでたじろいでいた。所詮子どもだと思って甘く見ていたからな。
実際、破壊なくして創造はなかった。おまえの言った通りだったよ。地下都市ハデスはおまえたちなしには存続不可能だった。おまえの破壊は創造の為の破壊だ。
あれ以来、俺はどこか心の片隅で願っていたのかもしれない。もし自分が破壊される時があれば、おまえに破壊してもらいたいってな。おまえに破壊されるなら無駄にはならない、そんな気がしていた。だから俺の勝手な願いをかなえさせてもらった。おまえには酷なことをさせたと思ってる。悪かったな。許せ』
何が許せだよ……。
カナメは眉間にしわを寄せる。
『プランEはもう走り出した。加速する事はあっても止まることはない。ハルから我先に逃げ出そうとする人々でハデスは益々混乱するんだろう。命の重みは益々軽んじられるに違いない。人を分解する事に一番罪の意識を感じているおまえが、はやる人々の重しになってくれると俺としてはありがたい。以上だ』
なにが重しになれだよ。そんなの市長の……ルドの仕事だろうが……。なに人に押しつけてんだよ……。
分解装置を開発した者として、人を分解することへの罪悪感を、いままで誰にも話したことはなかった。しかしルドは知っていたのだ。カナメの気持ちを、何度も夢にまで見てしまうほどの強い罪の意識を。
ルドは様々な人々の思惑や怒りや悲しみを、知りつくした上で市長としての強権を行使してきたに違いなく、負の感情から発生し投げつけられた言葉は少しずつ彼を蝕んでいったのだろう。ルドは見かけよりもずっと繊細な人間だったと言うことだ。不幸だったのは、そのことに周囲が気づけなかったこと。もしかしたら、ルドを支える役を妻が担っていたのかもしれない。惨殺されるまでは……。
人の言動に反論する事は容易いことだ。実際カナメでさえ、不満をぶつけるだけだったではないか。ルドの大樹のような安定感に、みな寄りかかり過ぎだったのだ。
ルド……。
少し行間が開いて追伸が書かれていた。
『おっと、いけねぇ、忘れるところだった。おまえんちで飼ってた星ウサギな、付いて来ちまったから俺のコンパートメントで預かってるぞ。ケージに入れてあるから、あとで回収しておいてくれ。ほっとくと飢えて死ぬぞ。ケージを開けて逃げるほど頭良くなさそうだったからな。
しかし、ありゃ星ウサギじゃねーな。ただの森ウサギだ。しっぽが光っているように見えたのは恐らくヒカリゴケでもくっついてたんだろう。星ウサギじゃなくて残念だったな(笑)』
――星ウサギ? まさか……。
「こちらオービター575-03、今からハルに帰還する。着陸許可を願いたいっ」
◆◇◆
ルドのコンパートメントは、既に公安の捜査が入った後らしく、戸棚という戸棚、クローゼット、シャワールームに至るまで、すべてのドアが開けられた状態になっていた。リビングのテーブルの上には、小動物用ののケージが置いてあって、その入口も開いたままになっている。
「グラブラ最高技官……来ると思っていました」
振り返ると、ルドの下で補佐官をしていたセビア・ピエリスが立っていた。薄い金髪に薄紫色の瞳。
キレ者だがルドに輪を掛けて冷徹だと言われている男だ。冷徹で、自分の利益のみに忠実な男だと……。
「市長はとんでもないことをしてくれましたよ。お陰で公安の信頼は地に堕ちたも同然です」
皮肉いっぱいの歪んだ笑い顔をカナメは苦い気持ちで見つめる。ルドを救えなかったという点においては、僕だってこいつと同じだ。
「……努力さえすれば信頼は取り戻せる。欲しければ取り戻せばいい。それが残された君たちの仕事だろう?」
そう言い捨ててケージの中を丹念に覗きこむ。
「星ウサギだか森ウサギだか知りませんが、その様子だと逃げたしたようですね」
「……そのようだね」
「あなたにペットを愛でる趣味があるとは知りませんでしたよ」
「公安は、情報不足だな。僕のデータに加えておいてくれよ」
「そうしましょう」
呆れたようにピエリスが部屋を後にすると、入れ換わるようにイブキが入ってきた。
「あいつ何しに来たんだ?」
さあ、と肩を竦めるカナメにイブキは、一枚の紙切れを差し出した。
「ルドのメールをもらってすぐ、フェリシアにここに来させたんだ。そのケージは今と同じように開いていて、中にこの紙切れが入っていたそうだ。その地番にも行ってみたが、その場所に彼女はいなかったらしい。公園だったらしいんだが……」
その紙切れには、地番らしい数字が書かれている。
「……そうか。ありがとう。フェリシアにもそう伝えてくれ」
カナメは自分のコンパートメントに戻って、ルドが残していた紙を何度も確認する。ひっくり返したり、逆さまにしてみたり、折りたたんでみたりした挙句、ふと思いついてコンピューターに向かった。
地下都市ハデスの地番は、ハル連邦の庁舎を軸の中心とした碁盤の目状の数字で表されている。庁舎の地番が(0/0/0)だ。庁舎の一つ北隣なら(1/0/0)南隣なら(-1/0/0)東隣なら(0/1/0)西隣なら(0/-1/0)、そして、一つ下の空間ならば(0/0/-1)となる。紙切れに書かれた地番は確かに公共の公園に当たっている。
しかし、そんな場所に置かれたならば、頭の良くない星ウサギでも逃げ出さないわけはなく、もし星ウサギがディモルフォセカを表しているのならば、彼女がルドの凶行を知りながら何もアクションを起こさない訳が無いのだ。彼女はどこかに閉じ込められているはずだ。アクションを起こせないように拘束されているはずだ。
カナメは考えを巡らせる。
――そもそも、この座標の軸は庁舎がゼロ地点なのか? 彼女はこの部屋から連れ出された。だとしたら、この場所がゼロ地点なのでは……。
突然カタカタとキーボードを叩くと、ある地点が特定された。カナメは部屋を飛び出した。
◆◇◆
ある時点を境に、手と足を拘束していた紐が緩んだ。
――ヒースが死んだんだ。
ディモルフォセカはそう直感する。
涙がひっそりと流れた。
『カナメ……お願い。アール・ダーを守って。お願い。お願いよ』
録音された私のあの声は、アール・ダーを守れたんだろうか、カナメは無事だったんだろうか、不安で胸が押しつぶされそうだ。
地下都市に来てすぐに迷い込んだ下水道。その中にこっそり作られていた隠し部屋。ひっそり暮らしていたヒース。彼は地下都市ハデス市長であり、公安委員会の委員長であったルド・B・ラキニアータの息子だったのだ。彼は森の民の力を発症したが、ラキニアータ夫人の懇願によって、その存在を隠ぺいされた。そして皮肉にも、その場を訪問しようとした夫人は暴漢に襲われ死亡。再生治療したが、不完全な再生しかできなかった。ルドの凶行はそこに端を発していた。
ルドの部屋を出た後、ディモルフォセカはこに監禁された。
ディモルフォセカの姉、アリッサムをカナメがすぐに分解させたことについて、この部屋に来るまでの道すがら、ルドはこう説明した。
「死亡した森の民は検体として地下都市に送られてくる。当然記憶採取をしていないから、再生されても中身は空っぽだ。何の記憶もない。そんな風に再生された女性が、ほっといたらどんな目に遭うか想像がつくか? カナメはそんな邪な考えを持ったやつのターゲットにさせない為にすぐに分解させたのさ。あの映像をおまえに見せたのは、単におまえを動揺させて連れ出す為だったんだ。おまえ、本当に馬鹿で単純だな」
下水道の部屋で待っていたヒースに森の民の力を使わせてディモルフォセカを拘束すると、ルドはこう言った。
「計画が完了すれば、その拘束は解けるはずだ。そう長い間ではない。その後は好きにすればいい。逃げてどこかで生きるもよし、いつ来るとも分からないカナメを待つもよし、来た時と同じようにガイアエクスプレスに乗り込んでアール・ダーに忍びこむもよし。アール・ダーに入る時は、記憶チェッカーを通らずに入村しろ。抜け道というものはどこにでもあるものだ」
ルドはそう言い残すと、リュックに詰められた夫人とヒースと一緒に出て行った。
ディモルフォセカの手足を拘束していたのは、ヒースを護っていた木の根だ。丸一日経たないうちに、手足に軽い衝撃が走る、同時に木の根はディモルフォセカの拘束を解いた。ヒースが死んだのだ。木は悲しみに喘ぐようにその根を揺らした。
口を塞ぐ布をとることもせず、膝を抱えた体勢で声を殺して泣く。布をとってしまえば、悲しみと恐怖で叫び出してしまいそうだ。部屋の外に誰が居るとも限らない。不用意に声を出すことはできない。
ディモルフォセカにとって、気が遠くなるような長い時間が過ぎた頃、人の足音が聞こえた。
ドアが荒々しく開かれ、息を弾ませた人影がおずおずと声をかける。
「……ディム、ディモルフォセカ?」
膝を抱えて蹲っていたディモルフォセカはその声にびくりと顔をあげた。
「カナメ? カナメ!」
もしも、願いが叶うなら……これが夢ではありませんように!
泣きながら駆け寄るディモルフォセカを力強い腕が抱きとめた。
「ディム、ディモルフォセカ!」
抱きしめたままの状態で、カナメのくぐもった声が聞こえた。
――僕は……君を永遠に失ったんだと思った。取り返しの付かないことをしてしまったんだと……そう思ってた。ディモルフォセカ、僕はもう二度と君を失わない。君を愛してる。愛しているから……。
言いたいことは山ほどあった。カナメが無事で良かったとか、勝手に部屋を出てごめんなさいとか、カナメにとても会いたかったとか、色々言うはずだったのに、出てくるのは涙ばかりで、ようやくのことで紡ぎ出した言葉は、聞き取れないほどに震えていた。
「私も……愛してる……カナメを……愛してる」
世界が崩れ落ちる瞬間まで、僕は大事な人を守ってゆこう。
それで法を犯すことになろうと僕の何を犠牲にすることになろうとも構わない。僕は最後の瞬間まで守り抜く。
もう二度と失わない。君の声を、君の笑顔を、君の命の輝きを、こんなにも愛しているから。
(了)
「光の砂漠 闇の迷宮」 第一章 闇の迷宮 最終話です。
長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。招夏(拝)