4.
凪沙は目を閉じた。
次に目を開けた時、そこにあったのは、見慣れた夕方の空だった。
商店街のざわめき。
信号機の電子音。
コンビニの明かり。
排気ガスの匂い。
凪沙は、歩道の真ん中に立っていた。
手には、半年間ずっと失くしたと思っていた学生鞄がある。
制服も、あの日のままだった。
けれど胸の奥には、この世界ではない場所で過ごした半年分の記憶が、はっきりと残っていた。
「……帰ってきた」
声に出した瞬間、涙がこぼれた。
嬉しさだけではなかった。
怒りも、悔しさも、安堵も、言葉にならない疲れも。
全部が一度に押し寄せた。
その頃、ひとつの国からは、王侯貴族の主だった者たちが姿を消していた。
王城の大広間には、倒れた杯と踏み荒らされた花だけが残された。
誰も理由を説明できなかった。
ただ、当時その場にいなかった者たちは、後になって知ることになる。
彼らが口にしていた言葉が、どこまでも自分たちに返ってきたのだと。
この世界では。
そう言って他者を縛った者たちは、今度は別の世界で、その言葉の意味を思い知らされることになる。
♧
後日、凪沙はしばらく学校を休んだ。
家族は泣きながら彼女を抱きしめた。
凪沙の感覚では半年ぶりだったが、こちらの世界では、彼女が姿を消してから数時間しか経っていなかったらしい。
警察へ届け出を出す直前だった母は、凪沙の顔を見た瞬間に座り込んでしまった。
病院で検査を受けても、異常は見つからなかった。
けれど、異常がないからといって、何もなかったことにはならない。
夜になると鐘の音が聞こえる気がして眠れなくなり、白い照明の下に立つと、召喚の間にいた自分を思い出した。
それでも、凪沙は少しずつ日常を取り戻していった。
朝起きて、制服に袖を通し、母の作った味噌汁を飲む。
玄関で靴を履き、見慣れた道を歩く。
その一つひとつが、以前よりもずっと重く、ずっと大切なものに思えた。
凪沙は、異世界で何があったのかを誰にもすべては話さなかった。
話しても信じてもらえないと思ったからではない。
信じてもらえたとしても、その記憶を他人の好奇心に晒したくなかったからだ。
ただ一度だけ、凪沙は近所にある神社の石段に座って空を見上げた。
「ねえ、神様」
返事はなかった。
それでよかった。
もう、神の声など聞きたくなかった。
謝罪も、説明も、慈悲もいらない。
ただもう二度と、自分の人生を勝手に弄らないでほしいと心から願った。




