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この世界では、彼女の人生は彼女のものです。  作者: アーエル


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2/11

2.

♧


それから半年が過ぎた。

凪沙に与えられた部屋は、王城の東棟にあった。

窓から庭園が見え、調度品は美しく、衣服も食事も不自由はなかった。


……けれど、そこに自由はなかった。


外へ出る時は侍女がついた。

廊下を歩けば兵士が距離を置いてついてきた。

手紙を書こうとしても、届ける相手はいない。

元の世界の家族に連絡する術(すべ)もない。


それでも最初の頃、凪沙は努力した。

言葉を覚え、礼儀作法を覚え、この世界の歴史を学んだ。

怒鳴られても、笑われても、黙って耐えた。

自分が感情的になれば、「異界人は野蛮だ」と言われると分かっていたからだ。


「まあ、今日もその歩き方?」


「仕方ありませんわ。異界では、それが淑女の作法なのかもしれませんもの」


「この世界では、そのような振る舞いは恥とされますのよ」


この世界では。


その言葉は、いつだって刃(やいば)のように使われた。

凪沙が知らないことを責めるとき。

凪沙が戸惑うことを笑うとき。

凪沙が嫌だと言ったことを押しつけるとき。


「この世界では、身分ある方のお言葉に逆らうものではありませんわ」


「この世界では、殿方に選ばれることは名誉ですの」


「この世界では、あなたのような方でも、役に立てる場所があるのですから」


令嬢たちは扇で口元を隠しながら笑った。

凪沙は紅茶の器を持つ手に力を込めた。

熱い茶が少しだけ指にかかる。

けれど、痛みよりも胸の奥の冷たさの方が強かった。


別の日には、若い貴族の子息たちが凪沙を取り囲んだ。


「異界の娘というのは、本当に珍しいな」


「婚約者が決まっているとはいえ、第二王子殿下も大変だ」


「この世界では、王族の婚約者には相応の務めがある。なあ?」


下卑た笑い声が重なった。

凪沙は一歩下がった。

すると彼らは、それを面白がるように距離を詰めた。


「怖がらなくてもいい。この世界では、女は守られるものだ」


「ただし、守られるにはそれなりの価値を示さねばならない」


「異界の作法を教えてやってもいいぞ。とくに夜(・)の(・)作(・)法(・)を、手取り足取りな」


凪沙は何も言わなかった。

言えば、もっとひどい言葉が返ってくる。

そう学んでしまっていた。

助けを求めようにも、周囲にいた使用人たちは目を伏せるだけだった。


そして第二王子、エリオル。

凪沙の婚約者に据えられた男は、最初から彼女を嫌っていた。


「父上も愚かなことをなさる」


婚約を告げられた日の夜、エリオルは凪沙を見下ろしてそう言った。


「異界の娘など、王家に迎えて何になる。しかも、礼儀も血筋も持たぬ者を」


「私だって、望んでここに来たわけじゃありません」


「知っている。だからといって、同情されると思うな」


彼は冷たい目をしていた。


「この世界では、王族の婚姻は国のためにある。お前個人の事情など、考慮されない」


まただ、『この世界では』。


「では、私の世界ではどうだったか、聞いてくれますか」


凪沙がそう言うと、エリオルは鼻で笑った。


「必要ない。お前の世界の常識など、ここでは何の価値もない」


その時、凪沙の中で何かが静かに折れた。

怒(いか)りではなく、悲しみでもなかった。

もっと冷たい、澄んだ感情だった。


ああ、そう。

この世界では、私の世界の常識に価値がないのね。

なら、私の願いにも、この世界の常識を当てはめる必要などないわ。


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