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皇紀二八〇五年

挿絵(By みてみん)

 高野連一行は乱と静馬に案内され、村の大通りを歩いていた。

 道の両側には整然とした家々が並び、田畑では農業ロボットが休むことなく稲を刈り取っている。子供たちは元気に駆け回り、老人たちは縁側で将棋を指していた。どこにでもある日本の農村風景であったが、代表団の目を引いたのは、通りを横切るように掲げられた巨大な横断幕だった。

 

 『皇紀(こうき)二八〇五年 大東亜(だいとうあ)戦争戦勝二百周年記念』

 

 一同は思わず足を止めた。

「戦勝……二百周年?」

 乱は不思議そうに振り返った。

「はい。今年は村中でお祝いなんですよ」

 松岡は静馬へ視線を向けた。

 静馬も穏やかに笑うだけで否定しない。

 代表団は誰一人、その話題を深く口にできなかった。


 十分ほど歩くと、森が突然開けた。

「こちらです」

 乱が指差した先に、高天原高校の野球場が姿を現した。

 天然芝の美しい球場だった。

 しかし観客席は質素で、外野フェンスも低い。

 そのかわり、フェンスの向こうには紺碧の海がどこまでも広がっていた。

 断崖の上に築かれた野球場なのである。

「ホームランになったら……」

 代表団の一人が思わずつぶやく。

「海へ落ちます」

 乱はあっさり答えた。

「ですから外野手は捕らないと大変なんです」

 ちょうど打撃練習が行われていた。

 マウンドには最新式のピッチングマシーン。

 甲高い駆動音を響かせ、次々と白球を射出している。

 打席に立つのは白銀剛(しろがねごう)だった。

 堂々たる体格に、左頬を走る大きな傷跡。

 無駄のない一閃。


 ――カァーンッ!


 乾いた快音が球場いっぱいに響いた。

 打球は一直線に右翼へ舞い上がる。

「ホームランだ!」

 代表団が叫ぶ。

 しかし次の瞬間だった。

 右翼から一人の少年が風のように走り出した。

 長い黒髪をなびかせた朝霧(あさぎり)一郎である。

 その動きに呼応するように、左翼では朝霧二郎も同時に走り始めた。

 二人は鏡を映したように左右対称のフォームで加速し、フェンス際でほぼ同時に跳躍した。

 先に白球へ届いたのは一郎だった。

 体をいっぱいに伸ばし、海へ落ちる寸前の打球を片手でつかみ取る。

 着地すると、そのまま笑顔でボールを掲げた。

「やった!」

 乱が拍手を送る。

 二郎も何事もなかったように持ち場へ戻っていく。

「毎日ああなんです」

 乱は当然のことのように言った。

 代表団は言葉を失った。


 再び快音が響く。

 今度は左翼へ一直線。

 二郎が軽々と捕球した。

 代表団はただ見送るしかなかった。


 ベンチ脇では、鬼塚渚(おにづかなぎさ)が一人、黙々とグラブへ油を塗っている。

 細く白い指先が革を丁寧に磨き上げる。

 あまりにも整った横顔に、代表団は男なのか女なのか判断がつかない。

 しかし本人は周囲の視線などまるで意に介さず、道具の手入れだけに集中していた。

「ずいぶん熱心ですな」

「渚は道具を家族だと思っています」

 乱は笑った。

「毎日ああして話しかけながら磨いているんですよ」


 さらに視線を移すと、大きな木陰で一人の部員が寝転がっていた。

「……あれも部員ですか?」

「はい」

 坂巻万次郎(さかまきまんじろう)だった。

 ぼさぼさ頭のまま芝生へ寝転び、古びた漫画本を夢中で読んでいる。

 表紙は擦り切れ、紙も茶色く変色していた。

「練習は?」

「終わってます」

 乱は平然と言った。

 万次郎は顔も上げず、ぼそりとつぶやく。

「白銀先輩、次は内角高めですよ」

 その直後、マシーンの発射口がわずかに動いた。

 白球はまさしく内角高めへ。

 白銀の豪快な一振りが再び快音を響かせた。

 松岡たちは、もはや誰一人として言葉を発することができなかった。

挿絵(By みてみん)

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