第2話「善意の、檻」②
船の便の返事は、数日たって、届いた。
「調べてもらったのですけれど」
と、女官の人は、申し訳なさそうに眉を下げた。
「この秋は、帝国行きのお船がとても少ないようなのです。時節柄、荷のお船ばかりが多くて、お客様をお乗せできる船がなかなか」
「そうなんですか」
「次の良いお便が分かりましたら、すぐ、お知らせしますからね」
時節柄、というのがどういう時節なのかは、よく分からなかった。
秋は商いの季節だから、荷の船が忙しいのかもしれない。
分かりました、待ちます、と私は言った。女官の人はほっとしたように微笑んで、お茶を淹れてくれる。いつもより、少しだけ良い茶葉の匂いがした。
散歩の付き添いが、ひとりから、ふたりになった。
「近ごろ、都に物騒な噂がありますので」
案内の人は、そう言って頭を下げる。
物騒な噂がどんな噂なのかは、教えてもらえなかった。
心配をかけまいとしてくれているのだと思う。ふたりは私の三歩後ろを、静かについてくる。
三歩後ろ。
懐かしい距離だ、と思ってから——少しだけ、胸の奥が変な音を立てた。
この距離は、春に消えたはずの距離だった。
テオ様と都を歩くようになっていつのまにか消えていた距離が、いつのまにか、戻ってきている。しかも、ひとりぶん増えて。
市へは、もう半月、出ていない。
「今日は市がたいへん混み合っているそうですから、また今度にいたしましょうね」
「今日は雨になりそうですから」
「今日は催しの日で、人が多うございますから」
理由は毎回、ちゃんとある。
ちゃんとあって、毎回、違う。
断られているのではない。延ばされているだけだ。延ばされているだけなのに——半月分の「また今度」を並べてみると、今度がいつ来るのか分からなくなってくる。
アルフォンス様への包みの中身は、まだ見つかっていない。探しに行く市が、遠くなっていく。
「テオ様に、ご相談したいことがあるのですが」
思いきって、そうお願いしてみた日もあった。
「殿下はいま、公務がたいへんお忙しくていらっしゃいますので」
女官の人は、本当に申し訳なさそうに言った。
「お手すきになりましたら、必ず、お伝えいたしますね」
はい、とお願いして、それきりになっている。
稽古の間の隅の、あの椅子と机には、うっすらと埃がのりはじめた。朝の稽古のたびに、埃だけが、少しずつ確かになっていく。
夜、部屋の扉の外に、人の気配がひとつ常にいるようになった。
お見回りを増やしましたので、安心してお休みくださいね、と言われている。
扉一枚の向こうの気配は、私を守ってくれている気配なのだと思う。
そう思って、眠る。眠りながら、ふと、考えてしまう夜がある。守るための気配と、見ているための気配は——扉のこちらから聞くかぎり、同じ音がするのだ。
部屋の隅の、荷物の山は、あの日から育っていない。
育てたくないのではない。
育てる材料が、来ないのだ。
船の便が分からなければ、日取りが決まらない。日取りが決まらなければ、支度は、山のまま止まる。洗濯に持っていかれた服は綺麗になって戻ってきて、山ではなく衣装箪笥に、丁寧に納められていた。
ご親切に、畳んで、納めてくださったのだ。
旅の鞄は、いつのまにか、部屋の隅から納戸へ移されていた。
お邪魔でしょうから、お預かりしておきますね、と言われた。
鞄が要るときは、言えば、すぐ出してくださるのだと思う。
鞄が納戸へ行く前に、底の小瓶だけは、枕元に戻してある。思うけれど——鞄のない部屋は、支度の前の部屋と、同じ顔に戻っていた。
夜、寝台の中で、ここ半月のことをひとつずつ並べてみる。
船が少ない。付き添いが増えた。市が遠い。テオ様に会えない。鞄が納戸にある。
ひとつずつは、ぜんぶ、親切だった。
誰も私に、駄目だとは言っていない。声を荒らげた人も、意地悪をした人も、ひとりもいない。全部が優しくて全部に理由があって、全部、私のためを思ってくれている。
親切なのに。
並べて、遠くから眺めてみると、その親切たちがなにかひとつの形に見えてくる。
見えてきた形の名前を、私はまだ、口にしたくない。口にしたら、この半年の優しさぜんぶが、違う顔をして振り返る気がするからだ。
今夜も、石に夜のひとつを送る。
——また、朝に。
朝は、来る。来るけれど、私の帰り道はこの半月、一歩も進んでいなかった。
ひとつずつは、ぜんぶ、親切でした。
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