↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
RE:ここにいた みずほ  作者: とおエイ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/16

5話

 どれくらい時間がたったのか、わからない。


 パリ……パリ……と音がした。


 先生は壊れ物を扱うみたいに、ゆっくりとわたしの外側を剥がしていった。


 光が戻ってきた。


 先生はわたしと目を合わせた。


「おつかれさま」


 先生が頭を撫でてくれた。


 後に残ったのは――わたしの「抜け殻」。


 わたしと同じ形をした、空っぽの『わたし』。


 それを前にして、先生はすぐに何かを始めた。もう、わたしのほうを見てはいなかった。


 わたしはただ、その背中をずっと見ていた。


 翌日になっても、先生は作業を続けていた。どうやら一晩中やっていたらしい。


「先生……」


 声をかけても返事はない。


 もう一度呼ぼうとしたとき、先生がふいに振り返った。


「ねえ、ちょっと手を見せてくれる?」


 そう言って、何気なくわたしの手に触れた。


 先生の手が、わたしの手を包む。


 ――先生。


 息が詰まりそうになった。


 ここに手がある。


 わたしの手が、ちゃんとここにある。


 でも、先生の手は何事もなかったように離れていった。


 その瞬間、また何もなくなった。


 何も触れていない。


 何も分からない。


 少し前まで、ずっとこうだったはずなのに。


 一度、先生の手を知ってしまったら、もう耐えられなかった。


 それから先生は、作業の途中で何度かわたしに触れた。


 肩に手を置いて後ろを向かせる。腕を持ち上げ、指先の向きを直す。背中をなぞり、脚の位置を決める。


 そのたびに、触れられた場所から身体が戻ってきた。


 先生に決めてもらった形のまま、わたしはじっとしていた。動いてしまったら、さっきまでそこにあったわたしまで消えてしまいそうだった。


 作業が終わるころ、先生はふとこちらを見た。


「……どうしたの?」


 初めて教室で会ったときと、まったく同じ言い方だった。


「あ、う……」


 何か言いたかった。でも、何を言えばいいのか分からない。


 先生はそんなわたしを見て、そっと頭を撫でてくれた。


「おつかれさま」


「……あ……あ……っ……」


 うまく声にならなかった。


 涙があふれた。


 もう、言葉なんて出なかった。ただその手にすがって、額を押しつけて、子どもみたいに泣いた。


 それから何日も、先生の作業は続いた。


 薬の臭いと、何かが焼けるような匂いに包まれたアトリエで、先生はずっと『わたし』に夢中だった。


 それでも、ときどき思い出したように、わたしにも触れてくれた。そのたびに身体が戻ってきた。


「……せんせぇ……」


 思わず声が漏れると、先生はふっと笑った。そして、また『わたし』へ戻っていく。


 ある日、離れていこうとする先生の服を、無意識に指先でつまんだ。


 つまんだはずなのに、何も感じない。触れているのかさえ分からないまま、それでも裾を引いた。


 先生が振り返り、わたしの指先を見て笑った。


「甘えんぼうさんね」


 嬉しくて、少しの間そのまま先生の服をつまんでいた。


 先生が『わたし』へ視線を戻す。わたしは、そっと指を離した。


 わたしはまた、先生の背中を見ていた。


 昼間、先生はほとんど『わたし』から目を離さなかった。でも、夜になれば、お願いするとそばに来てくれた。


 肩に手を置いてくれる。手を握ってくれる。そうしてもらうと、ようやく眠れた。


 先生の声も、匂いも、ぬくもりも、なくしたくなかった。


「……ねぇ、先生」


「なぁに?」


「もうちょっと、だけ……そばにいて」


「……仕方ない子」


 先生の指先が、わたしの背中に添えられる。


 そのやさしい感触に、わたしは目を閉じた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。