2話
その日の私は、どうしても先生と長く話していたかった。
「最近、よく眠れないんです。……何か、ずっと落ち着かなくて」
先生は少し考えてから、私の顔を見た。
「そっか。どんな感じ?」
「じっとしてても、なんかそわそわしてて。寝ようとしても考えごとが止まらなくて……気づいたら朝になってることもあって」
「それじゃ、ちゃんと休めないね」
そう言ってもらえると、少し気持ちが楽になった。
「……うん」
「学校にいるときも?」
「はい。誰かに見られてる気がして、ずっと落ち着かなくて……。ここにいるときだけ、ちょっとマシで」
「そうなんだ」
もう少し、話していたかった。
「だから……」
そこまで言って、急に恥ずかしくなって視線を落とした。
「いいと思うよ」
すぐに返ってきた言葉に、顔を上げる。
「少しでも楽になれる場所があるなら、大事にした方がいいから」
先生は何かをメモしてから、私を見た。
「少し、頭を休ませてあげようか」
「……え?」
先生は鞄から小さな銀色のケースを取り出した。中には、丸くて白い錠剤が三つだけ入っている。
「これ、飲むと少し楽になるよ。頭の中が、ちょっとだけ静かになるの」
私は黙って錠剤を見つめた。先生は目を伏せたまま、ケースの蓋を指先でなぞる。
「でも、本当は、使わないで済むのが一番なんだけどね」
それから、ゆっくり顔を上げた。
「もし、みずほちゃんがどうしてもつらいなら、あげる」
「……ほしいです」
先生の目元が、ふっと緩んだ。
ケースを開け、一粒を取り出す。てっきり私に渡してくれるのだと思ったのに、先生はその錠剤を自分の口に入れた。
「……先生?」
何をしているんだろう。そう思った次の瞬間、頬に手を添えられた。
「……っ」
唇が重なった。
頭の中が真っ白になった。先生の舌が入ってきて、何かを押し込まれる。驚いているうちに、反射的に飲み込んでしまった。
先生が離れてから、それがさっきの薬だったのだと気づいた。
「えっ……せ、先生……? どうして……」
頬には、まだ先生の手が添えられていた。先生はほんの少し首をかしげる。
「……あんまり可愛いから。もし嫌だったら……ごめんね」
答えになっていない。そう思うのに、何を言えばいいのか分からなかった。
顔が熱い。心臓の音がうるさい。びっくりしたし、どうしてあんなことをしたのかも分からない。
でも、嫌じゃなかった。
先生にキスされた。そう思うと、嬉しかった。
「もしまたつらくなったら飲めるように、これ持ってて」
先生は残った錠剤の入ったケースを、私の手に握らせた。
「まとめて飲まないでね」
「……はい」
返事はしたけれど、頭の中はさっきのことでいっぱいだった。
「じゃあ、今日はこれで。夜までには効いてくると思う。無理しないでね」
先生はいつものように手を振って、空き教室を出ていった。
私はその場から動けなかった。そっと唇に触れてみる。
まだ、顔が熱かった。
***
その夜、ベッドに入っても眠れなかった。
目を閉じるたび、昼間のことが何度も蘇ってきた。先生の顔も、頬に触れた手も、あの瞬間も。
思い出すたびに恥ずかしくなって、布団を頭までかぶった。
「……先生……」
小さく呟いてから、自分で何をしているんだろうと思う。
机の上には、先生から渡された銀色のケースが置いてあった。布団から手を伸ばして取り、両手で包むように握っていると、自然と頬が緩んだ。
しばらくそうしてから、ケースを枕元に置いた。
目を閉じると、また先生の顔が浮かんだ。
結局、その夜もなかなか眠れなかった。




