第5話 証拠は静かに積まれる
偽聖女セレスティアの聖力の正体は、闇市場で取引される高位魔道具「模倣の鏡」だった。
アリシアの政務日誌は、几帳面を通り越して執念に近かった。
王宮に出入りする物資の記録を、彼女は七年間欠かさず写していた。品目、数量、納入業者、搬入日時。公式の帳簿とは別に、自分用の記録を残していたのだ。職務上の習慣だと手紙には書いてあったが、ここまでやる補佐官を私は他に知らない。
その記録の中に、不自然な購入履歴があった。
高純度の魔石。月に二度、同じ業者から王宮に納入されている。用途欄は「聖女の儀式用消耗品」。だが、正規の聖力浄化に高純度魔石は使わない。竜脈のエネルギーを直接引くからだ。
では、この魔石は何に使われていたのか。
「模倣の鏡。他者の魔力パターンを模倣する禁制の魔道具です」
ナハトが資料を広げた。竜族の情報網は人間の官憲よりも広い。闇市場の流れを掴むのに二週間かかったが、末端から元締めまでの経路はほぼ特定できた。
「魔道具の動作に竜脈のエネルギーが必要です。共存条約第七条、竜脈に干渉する犯罪は竜族の管轄。国王陛下にはすでに管轄権の行使を通告しました」
「返答は」
「異論なし、と。国王陛下は詳細を知りたがっておられましたが、捜査中であることを伝えたところ、了承されました」
国王アルディスは穏健な男だ。息子の不始末をどこまで把握しているかは分からないが、竜族が正式な法的根拠で動いている以上、妨げはしない。できない、というべきか。
「捕縛に入れ」
「本日中に」
ナハトが退室しかけて、足を止めた。
「陛下。一つ報告を」
「何だ」
「些事ではありますが。——陛下が人の姿で食事をお取りにならなくなった、と厨房が申しております」
黙った。
言われてみれば、そうかもしれない。最近は竜の姿でいる時間が長い。人の姿に戻るのは政務と会議の時だけだ。食事は——いつ食べていたか。
アリシアがいた頃は、昼前に茶と軽食を持ってきた。それに合わせて人の姿に戻っていた。戻る理由が、あった。
今はない。
「些事だな」
「はい。失礼しました」
ナハトが出ていった。あの男が「些事」を報告することは滅多にない。些事ではないと思ったから言ったのだろう。
何が些事でないのか。食事を取らないことか。人の姿でいなくなったことか。それとも、その理由か。
考えるのをやめた。今日は闇商人を捕まえる日だ。
辺境の村ブレンハイムでは、別の一日が流れていた。
これは後から、ナハトの報告で知ったことだ。
アリシアが子供たちに読み書きを教え始めたらしい。村には学校がない。薬草師の仕事の合間に、板に炭で文字を書いて教えている、と。
その授業の中で、竜族の話もしたという。子供に「竜って怖い?」と聞かれて、「怖くない」と答えた、と。それから、竜族が鱗を渡す習慣のことも話した、とナハトが付け加えた。
「鱗を渡す習慣、ですか」
ナハトに問い返した。
「はい。竜が生涯で一度だけ、自分の鱗を他者に渡すことがある。渡す行為は求婚を意味し、渡した場所の鱗は受け取った者が生きている限り再生しない、と。正確に伝えていたそうです」
なぜそんなことを子供に教えたのか。竜族の文化に詳しいのは補佐官として当然だが、辺境の子供たちにわざわざ鱗の話をする理由は——。
分からなかった。分からなかったが、胸の奥で何かがわずかに動いた。
闇商人の捕縛は、その日の夕刻に終わった。
竜族の兵は手早い。人間の官憲なら令状と手続きで三日はかかるところを、共存条約の管轄権で半日で片がついた。
元締めの男は、取り調べで即座に口を割った。竜族の兵に囲まれて黙秘を通せる人間は多くない。
「発注者は王太子殿下の側近です。セレスティアという女が直接受け取りに来ることもあったと」
魔道具「模倣の鏡」の現物が押収された。手のひらに収まる小さな鏡。表面に複雑な術式が刻まれている。これが竜脈のエネルギーを吸い上げ、聖力のパターンを模倣する。
これで、偽聖女の力が完全に断たれた。供給元を潰した以上、新しい魔道具を手に入れることもできない。
証拠は揃いつつある。だが、まだ足りない。
アリシアの冤罪を晴らすには、公開審問が要る。罷免令の撤回と、加害者の断罪。そのためには、もう少し時間が必要だった。
翌日、私は辺境方面に向かった。表向きは領地視察だ。竜族居留地の東端を巡回する名目で、人の姿で馬に乗った。馬は私を怖がった。獣は竜の気配に敏感だ。三頭目でようやく、鈍い馬を見つけた。
ブレンハイムの手前の宿場町に着いたのは夕方だった。
小さな宿屋に入った。天井が低い。人の姿でも頭がつきそうだ。椅子は木製で、座ると軋んだ。私の体重に慣れていない椅子だ。
食事を頼んだ。固いパンと、豆の煮込み。食べながら、宿の主人と話した。
「この先のブレンハイムに、薬草師が来たと聞いたが」
「ああ、先生のことかい。若い女の人でね。王都から来たって話だよ」
「評判は」
「そりゃあもう。うちの女房も膝の痛みを診てもらったよ。夜中でも戸を叩けば出てきてくれる。村の子供に読み書きまで教えてるって言うじゃないか」
宿の主人は、愛想よく続けた。
「ただね、村の連中が心配してるんだよ。先生、自分の体は全然大事にしないんだって。夜中に起きて、朝早くから薬草を摘みに行って。飯もろくに食べてないんじゃないかって」
豆の煮込みを匙で掬った。口に入れた。味はしたが、何の味かは分からなかった。
「……昔からだ」
「え?」
「いや。いい薬草師のようだな」
宿の主人は「そうなんだよ」と嬉しそうに頷いた。
食事を終えて、部屋に戻った。狭い部屋だ。寝台が一つと、水差しが一つ。窓から見える空は広く、星が多かった。
王宮の窓から見る空とは違う。ここでは星が近い。
彼女は毎晩、この空を見ているのだろうか。
会いに行こう。
その考えが浮かんだ時、抵抗がなかった。ナハトがいれば止められただろうが、ナハトは今、別の場所にいる。密偵の排除に向かわせた。ルキウスの手下が村に近づいている。それを先に潰す必要があった。
だから私は一人だ。
一人で会いに行く。何を言うかは分からない。何ができるかも分からない。ただ、彼女が息をしているのを確かめたい。夜中に戸を叩かれて起きる彼女を、飯をろくに食べない彼女を、自分の体を大事にしない彼女を——
何だ。確かめてどうする。
分からない。
分からないが、行く。
寝台に横になった。天井の木目が、補佐官室の天井とは全く違う。当然だ。あの部屋は石造りで、天井は高く、朝になると東向きの窓から白い光が入った。
彼女は毎朝、その光の中で書類を読んでいた。
目を閉じた。明日、村に向かう。




