表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
七年分の手紙を残して姿を消した公爵令嬢を、竜王は世界の果てまで探すそうです  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 届かない届けもの


「見つけました」


 ナハトの声に、手紙から顔を上げた。


「辺境の村ブレンハイム。王都から馬車で五日。村には医者がおらず、アリシア殿は薬草師として働いているようです。到着から二週間ほど。村人たちには本名を名乗っています」


 本名で。隠れるつもりなら偽名を使うだろう。彼女は隠れているのではない。ただ、去ったのだ。


「行く」


 立ち上がりかけた私を、ナハトが遮った。珍しいことだ。


「お待ちください。今陛下が動けば、その動きを王太子派が追います。アリシア殿の居場所が露見すれば、殿下がどう動くか分かりません」


「私が行けば、誰も手を出せない」


「陛下が辺境の小村に向かえば、理由を勘繰る者が出ます。アリシア殿の立場が余計に悪くなる可能性があります」


 反論しようとして、やめた。ナハトの言う通りだった。私が動けば、彼女が「竜王を誑かした魔女」という冤罪の証拠を、自ら作ることになる。


 椅子に座り直した。


 正面の空席を見る。もう三週間、空いたままだ。


「……物資を送れ。匿名でだ。薬草の種、医療器具、保存食。小さな村の薬草師に必要なものを一式」


「承知しました。何か他に含めますか」


 手紙の束に目を落とした。千七百通目あたりに、ラヴェンダーのことが書いてあった。砂糖漬けを育ててみたい、と。私のお茶に合うと思う、と。


「ラヴェンダーの種を入れろ」


 ナハトが一拍黙った。


「……ラヴェンダーですか」


「千七百通目あたりの手紙に書いてあった。育ててみたい、私の茶に合うと思う、と」


 それ以上は説明しなかった。ナハトも聞かなかった。退室する側近の背中に、何か言おうとして、言葉が出てこなかった。


 礼を言いたかったのかもしれない。あるいは、頼む、と言いたかったのかもしれない。どちらにせよ、口にはならなかった。竜族は感謝も懇願も下手だ。千年以上生きて、それだけは上達しなかった。


 手紙に戻る。


 千七百一通目。


『今日、陛下の隣を歩く機会がありました。回廊を、会議室までの短い距離です。陛下の歩幅は私の一歩半くらいで、少し小走りになります。陛下は気づいていません。たぶん、ずっと気づいていません。私がいつも少し息が切れていたことを。』


 読み終えて、手紙を裏返しに置いた。


 歩幅のことを、これ以上考えたくなかった。


 同じ頃、王宮の別の場所では、全く別の会話が行われていた。


 それを私が知ったのは、ナハトの翌日の報告によってだ。


 王太子が、側近を集めて言ったらしい。


「あの補佐官を連れ戻せ」


 側近の一人が聞いた。「どのような形で」


「罪人としてだ。罷免令はまだ有効だ。逃亡した元補佐官として連行しろ」


 政務が回らないのだ、と王太子は言ったという。外交文書の翻訳は誰がやるのか。領地紛争の調停案は。税制改定の試算は。書庫のどこに何があるのか。


 つまり、アリシアの仕事の価値にようやく気づいた。だが彼の言葉は「彼女に謝りたい」でも「名誉を回復したい」でもなかった。「使える人間を取り戻せ」だった。


 追い出した相手を、道具として回収する。


 ナハトがその報告をした時、私の中で何かが固くなった。怒りとは少し違う。もっと冷たくて、重い。


「密偵は何人だ」


「確認できた限り三名。すでにブレンハイムの方角に向かっています」


「アリシアに近づかせるな」


「承知しております。排除の手配は進めています」


 排除。穏やかな言葉ではない。だが、穏やかでいられる状況でもない。


 届け物が来た。


 差出人はなかった。


 木箱に入っていたのは、薬草の種が五種類、小型の乳鉢、銀の匙、消毒用のアルコール瓶、包帯が三巻、そして——小さな紙包み。


 リーナが横から覗き込んだ。


「先生、なにこれ。誰から?」


「さあ。名前がないの」


 紙包みを開けた。種だ。細かくて、薄紫がかった色をしている。


 ラヴェンダーの種だった。


 手が止まった。


 ラヴェンダー。


 手紙に書いた。陛下のお茶に合うと思う、と。いつか育ててみたい、と。あれは千七百通目あたりの手紙で、着任四年目の冬に書いたもので——


 まさか。


 首を横に振った。ありえない。


 あの手紙を陛下が読んでいるはずがない。二千五百五十五通の手紙を、あの忙しい方が一通一通読むはずがない。ましてや千七百通目の、たった一行の、ラヴェンダーのくだりを覚えているなど。


 偶然だ。薬草の種を詰め合わせたら、たまたまラヴェンダーが入っていた。それだけのことだ。


 そう思おうとしたが、他の種を確認すると、カモミール、エルダーフラワー、タイム、セージ。全部、薬効のあるものばかりだ。実用的な選び方をしている。それなのに、ラヴェンダーだけが少し違う。ラヴェンダーは薬草としても使えるが、主な用途は香りと茶だ。薬草師への支援なら、もっと実用的な選択肢がある。


 なぜラヴェンダーを入れた。


「先生、これきれいだね。なんの種?」


「ラヴェンダーよ。紫の花が咲くの」


「育てるの?」


「……ええ。育ててみましょうか」


 種を握る手に、少しだけ力が入った。


 偶然だ。偶然に決まっている。


 でも、もし偶然でなかったら。


 もし、陛下があの手紙を読んで、この種を選んだのだとしたら。


 ――考えるのをやめた。考えても、どうしようもない。私はもうあの王宮にはいない。陛下の隣にもいない。回廊を小走りで追いかけることも、冷めたお茶を淹れ直すことも、もうない。


 木箱から乳鉢を取り出した。よくできた品だ。村のものよりずっと上等で、重さが手に馴染む。


「リーナちゃん、この乳鉢、使ってみない? カモミールを擂り潰すの、手伝ってくれる?」


「やるやる!」


 リーナが飛びついてきた。小さな手が乳鉢を掴む。


 私はラヴェンダーの種を、窓辺の小皿に入れた。すぐには植えない。まず土を用意して、日当たりのいい場所を見つけて、水はけを確認して。薬草師らしく、手順を踏もう。


 手紙を書くように、一つずつ。


 窓の外では、初夏の光が白く射していた。紫陽花がもう少しで咲きそうだ。


 ラヴェンダーの種を入れた小皿を、窓辺に置いた。いつか植えよう。まだ今日ではないが、いつか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ