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七年分の手紙を残して姿を消した公爵令嬢を、竜王は世界の果てまで探すそうです  作者: 秋月 もみじ


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第3話 辺境の先生


 辺境の村ブレンハイムには医者がいない。だから私が来た翌日から、村人たちは遠慮なく戸を叩いた。


 最初に来たのは、腰を痛めた老人だった。薪割りで捻ったらしい。


「先生、湿布ってのはないかね」


 先生と呼ばれて面食らった。名乗ったのは名前だけだ。薬草の知識があるとは言ったが、医者だとは一度も言っていない。


 だが腰は痛いのだ。それは名乗りの正確さとは関係がない。


 持ってきた荷物の中から、乾燥させたアルニカの花を探した。王宮を出る時に薬草だけはいくつか持ち出していた。服は二着しか入らなかったのに、薬草は五種類詰めた。我ながら優先順位がおかしい。


 アルニカを擂り潰して、豚脂と混ぜて湿布を作る。前世の記憶にある処方だ。前世では「アルニカ軟膏」と呼ばれていたものに近い。この世界の薬草は前世のものと少しだけ成分が違うが、抗炎症作用は同じだった。補佐官時代に竜族の医師にそう教わった。


 老人は湿布を貼ってもらうと、「おお」と目を丸くして帰っていった。翌日、干し肉を持ってきた。代金のつもりらしい。


 その干し肉を食べていたら、次の患者が来た。子供の擦り傷。その次は虫刺され。その次は切り傷。


 二週間で、私は村の「先生」になった。


「先生、また夜中に起きてたでしょ。目の下、くまがあるよ」


 リーナが朝一番に小屋に来て、開口一番それだ。


 村長の孫娘で、八つ。痩せていて、声が大きくて、人の顔をよく見る子だ。母親を二年前の流行り病で亡くしている。その話は村長から聞いた。リーナ本人は一度も言わない。


「くまは生まれつきよ」


「嘘。来た時はなかった」


 鋭い。


 夜中に起きていたのは事実だ。眠れなかった。眠れない夜は手紙を書く癖がある。書く相手はもういないのに、体だけが覚えている。途中まで書いて、馬鹿馬鹿しくなって、丸めて捨てた。


「先生、今日は何するの」


「薬草を摘みに行くわ。裏山のカモミールがそろそろ咲いてるはず」


「ついてく」


 断る理由もないので頷いた。リーナは嬉しそうに跳ねて、先に外へ出ていった。小屋の戸を閉める時、蝶番がきしむ。直さないと、と思ってもう四日経っている。


 裏山は、小屋から歩いて半刻ほどだ。


 カモミールは予想通り咲いていた。白い花が斜面を埋めている。甘い匂いが風に乗って、少し眩暈がするほどだった。


 リーナは花を摘むより蝶を追いかけている。私は黙々と花を籠に入れた。乾燥させれば茶にもなるし、湿布の材料にもなる。エルダーフラワーも近くに自生していないか探したが、この辺りにはないようだ。


 エルダーフラワー。


 風邪の日に陛下のお茶に混ぜた花だ。苦みが出にくくて、少し甘い。


 ――やめよう。


 花を摘む手を速めた。考え事をする暇があるなら、手を動かしたほうがいい。


 村に戻ると、広場で数人の村人が噂話をしていた。


「聖女様のお清めが効かなくなったらしいぞ」


「ほんとかい。王都の方じゃ、作物に虫がついてるって」


「竜脈の流れがおかしいって話さ。前はこんなことなかったのに」


 足が止まった。


 竜脈の管理弁。あの小さな装置を操作するには、竜王から授けられた許可印が要る。許可印は個人に紐づくから、私が返却した時点で失効している。新しい許可印を発行するには、陛下が鱗片を提供して新たに作る必要がある。


 でも陛下は——きっと、そんなことをしている場合ではないのだろう。後任も決まっていないのに、許可印だけ先に作るわけもない。


 結果として、竜脈の調整が止まっている。聖女の儀式は竜脈のエネルギーを利用して成立するものだから、調整が止まれば効力も落ちる。


 私がいなくなったせいだ。


 いや、違う。正確には、私を追い出したルキウス殿下のせいだ。でもそんなことを言ったところで、作物に虫がつく農民には関係ない。


「先生も聞いた? 王都の聖女様の話」


 村人の一人が声をかけてきた。


「少しだけ。でも、私にはよく分かりません」


 嘘をついた。分からないのではなく、分かりすぎて困るのだ。


 リーナが袖を引っ張った。


「先生、お花。乾かすんでしょ」


「ええ、そうね。ありがとう、リーナちゃん」


 広場を離れた。花を籠から出して、小屋の軒先に吊るす。白い花弁が風に揺れた。


 夜。


 小屋の裏手に、古い丸太を並べただけの腰掛けがある。そこに座って、空を見上げた。


 星が多い。王都では見えなかった星が、ここではいくつも見えた。七年間、あの狭い補佐官室から見ていた空とは全く違う。広くて、静かで、誰の声も聞こえない。


 広すぎて、少し寒い。初夏なのに。


 手紙を、読んでくださったかしら。


 ふと考えて、自分で笑った。読むわけがない。あんな量の手紙を、忙しい陛下がわざわざ読むはずがない。補佐官室を片付けた誰かが束ごと捨てただろう。あるいは焼却炉に入れられたか。


 それでいい。読まれるために書いたのではない。


 でも。


 もし、もしも陛下が一通だけでも開いたとしたら。


 最初の一通を読んで、「竜が怖い」と書いた十六歳の小娘に、何を思っただろう。鼻で笑ったかもしれない。呆れたかもしれない。何も思わなかったかもしれない。


 何も思わなかった、が一番ありそうだ。陛下はそういう方だ。


 星が一つ流れた。


「……お元気で」


 誰にも届かない言葉を、また落とした。二週間前にも同じことを言った。裏門を出る時に。


 もう言わないと思ったのに。


 まだ言っている。


 立ち上がって、小屋に戻ろうとした。


 その時、村の外れの森の端に、何か動くものが見えた。


 獣ではない。人の影だ。二つ。


 一瞬だけ見えて、木の陰に消えた。


 村人が夜遅くに森に入ることはない。猪が出るから、日没後は近づかないと村長が言っていた。


 背筋が冷えた。


 小屋に戻り、戸を閉めた。蝶番がきしんだ。鍵はない。つっかえ棒を噛ませるだけの粗末な戸だ。


 籠の中のカモミールが、暗い小屋の中で白く浮かんでいた。甘い匂いがする。


 明日、蝶番を直そう。


 それから——鍵も、つけたほうがいいかもしれない。

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