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詐欺師佐久間の骨董販売奇譚  作者: 天草一樹
Episode2:未来が視える水晶

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あなたへの商品

 一言一句違わぬセリフ。

 私――万里は、その光景に笑みをこぼした。

 未来で視た光景と同じだったから笑ったのではない。むしろ逆。やはり実物の迫力は違う。万里眼を用いて視た姿より、遥かに滑稽で、面白かった。

「さて万里さん! いったいどこからお聞きになりたいでしょうか! それとも先に私めから質問した方がよろしいでしょうか!」

「どちらでも、と言いたいところだけど、やっぱり最初はこれを聞いておくのが礼儀よね。なんで私が生きてるってわかったのかしら?」

 最近気に入っている天真爛漫なアイドル風で受け答えすることも考えたが、結局優雅なお嬢様風で行くことに決めた。

 こっちの方がラスボスとしての風格は出る。

 雰囲気作りは、私の人生において必須なのだから。

 佐久間は、「おお! 流石にそれは愚問です!」と胸に手を当て高らかに叫んだ。

「私の偉大で超常的な友人である万里眼使いの万里さん! あなたの万里眼をもってすれば千里を超え、過去も未来も私の心も全てまるっとお見通しなのですから! そんなあなたがこんなところで殺されるはずがない! あなたが亡くなっていると聞かされた時も、私は一切信じませんでした!」

「私の万里眼を信じて疑わないところは相変わらずね。でも、今回は死体があったでしょう? あれを見ても信じなかったのかしら?」

「勿論です! むしろ死体を見て確信いたしました! 亡くなったのは万里さんではないと! あなたの大大大大大ファンであるこの私が、本物と偽物を見紛うはずがありません!」

「大大大大大ファン、ね。そうよね。私のことが好きすぎて一度ファンミーティングをぶっ壊して警察沙汰にまで発展させたくらいだもの」

 優雅さを取り繕っていた私の完璧な顔に、思わず青筋が浮かび上がる。

 本当に、あの時はひどかった。周りの客などお構いなしに号泣からの大絶叫。周りのファンやスタッフの静止の声も聞かず私の名前を叫び続けて、不名誉な悪評が広まるところだった。というか不名誉な悪評が広がって肩書を変えることになったわけで――

 思い返せば思い返すほど苛立ちが込み上げる。

 初めてのファンミーティングに浮かれ、未来を視なかった私にも非があるのかもしれないが……いや、やっぱりない。どう考えてもこいつが悪い。

 いったん苛立ちを抑えようと、深呼吸する。

 そんな私の前で、佐久間は不思議そうに首を傾げた。

「しかし一つ不思議なことがあるのです。これだけ万里さんを応援してやまないにもかかわらず、どういうわけかあれ以降ファンミーティングに応募しても一切当たらなくなってしまったのです。万里さんへの愛なら他のファンに負けない自信があるのですが、何か理由をご存じないでしょうか?」

「それはあんたの――!」

 激高しかけた口を必死に閉じる。

 本当にこいつは変わらない。人を苛立たせる才能だけは群を抜いている。

 しかも最悪なことに、こいつの心は視えない。というか心で思ったことがそのまま口から出ているらしく、心を視ても新たな情報が何も得られない。

 私は軽く頭を振って意識を切り替えると、無理やり話題を変えた。

「それで、私の考えた舞台は如何だったかしら? 役者と演出にはかなりこだわったつもりなのだけれど。特にあなたの部下、斎藤さん。彼の苦悩するシーンには力を入れたの。おかげさまでとても素敵な喜劇になったと思うのだけど、お気に召してくれたかしら?」

 この話題なら少しはあの胡散臭い笑みも剥がれるはず。

 心をときめかせながら佐久間を見れば、顔を俯かせ体を震わせていた。

 ようやくこいつに一泡吹かせてやれた。そう悦に浸ろうとしたのも束の間、佐久間はむしろ普段より顔をほころばせ語りだした。

「ええ! ええ! 本当に素晴らしい采配でした! 頼一さんが耐えることのできる本当にギリギリの、ややもすればラインを越えてしまいかねない絶妙な試練! 頼一さんを心の底から信頼している私であっても躊躇い、課すことのできない、至高の試練を与え、彼の成長を大きく促した! 私も人が変わる瞬間に何度か立ち会ってきましたが、今日ほど目に見えた成長を遂げた方はいませんでした! 万里さん! あなたはただでさえ万里眼という神に等しい力を持つというのに、それに留まらず人をより高みに導く指導者としての才能まで持ち合わせているのですね! 尊敬を通り越して信仰してしまいそうになりそうです!」

「………………そう」

 頬が引くつく。せっかく被ったお嬢様の仮面にひびが入る音が聞こえる。

 黙り込んでしまった私を前に、佐久間は急に声を潜め尋ねてきた。

「ただ万里さん。決してあなたのやり方を否定したいわけではないのですが、アリスさんにイリスさん、万里さんのそっくりさんに英樹さん。彼らは本当に死ななければならなかったのでしょうか? あなたの目的は理解しているつもりですが、そこだけは少々気になってしまいました」

 私は鼻を鳴らし、「理解? 何が分かるっていうの?」と吐き捨てた。

「万里眼を持っていないあなたに、私の気持ちなんて理解できるわけないでしょう?」

「それは勿論です。しかし以前その力の話を聞いた時から、何度も想像してきました。なんでも見通せる力を持ってしまったら、いったい何を楽しみに生きてゆけばいいのかと」

 佐久間は悲し気な瞳を浮かべ、両手で顔を覆った。

「私たち一般人は、明日何が起きるか分からないからこそ、明日に不安を抱きつつも、同時に希望をもって生きることができます。しかしもし、自身の一生が視えてしまうなら。不安もない代わりに希望も摘み取られてしまう。これでは、人生を楽しむことができない……」

 私は眉間にしわを寄せながらも、潔く頷いた。

「理解されてる風で腹立たしいけど、まあその通りよ。なんでも見通せる能力。これ以上なく便利だけどつまらないのよね。だから少しでも面白くしようと思って、その舞台作りに励んだわけ。舞台を見るのと舞台に立つのとでは全く違うでしょう? 万里眼ですでに視た未来だったとしても、実際にその未来が訪れた時、何か新しい刺激が得られるように。実際、今回の舞台はとても面白かったわ」

 私には生まれた時から超常的な力が備わっていた。後に自身で万里眼と名付けたその力。ありとあらゆるものを、知りたいと思ったものをなんでも視ることのできる至高の力。

 幼少期はこの力を誇らしく思っていた。自身を特別な人間だと考え、やりたいことも無数にあった。でも、成長するにつれてその認識は変わった。

 私は特別な存在であり、その他大勢の人間(ゴミ)とは違う生き物だと。この世界で、私は孤独な生き物なのだと、気づいてしまったから。

「これまで万を超える数の人間を視てきたけど、はっきり言って人は馬鹿だしクズだしあまりにくだらない存在よ。まれに優秀な人や、あんたみたいに特殊な何考えてるか分からない奴もいるけど、ほとんど全ての人間がなんとなくで生きてる。生きることに理由も目的もなくただ生きているだけ。だから簡単に売るし騙すし裏切るの」

 ああまただ。こいつを前にすると、胸の奥底にしまい込んでいた感情が漏れやすくなる。

 言わなくていいことまで、口をついて出る。

「なぜ死なせたか? 簡単よ。人間に生きる価値なんてないから。ああ因みに、どうやって彼らを殺したかも単純。皆私の命令には絶対服従の傀儡になってもらってたから、じっとしているところをぐさっとね」

「確かに万里さんの至高の力をもってすれば、全人類を心酔させ、絶対服従の傀儡にすることは簡単でしょう。しかし、だからこそ分かりません。あなたに心酔し、どんなことでも従う忠実な下僕をどうして殺してしまわれるのか……」

「だから言ったでしょう。人間に生きる価値なんてないからよ」

 私に絶対服従しようとも、傀儡同士での諍いは絶えない。

 人間は愚かで、自分が一番でないと気が済まない生き物だ。私の目の届かないところで、何度勝手な潰し合いをしていたか。

 だから一度使った傀儡は二度使わない。増長される前に、その場で殺すと決めたのだ。

 私は優雅な微笑みを浮かべると、佐久間に問いかけた。

「ねえ。本当はあなただってそう思っているんじゃないの? 仕事柄、たくさん愚かな人たちに触れあってきたでしょう? 何度も罵声を吐かれ暴力を振るわれて。ここでもそうだったわよね。私、そろそろあなたの本音が知りたいわ」

「私が、人間をどう思っているか……」

 万里眼で覗くこいつの心の中は、いつだって口に出している言葉と全く同じ。

 でも、そんなことあるわけがない。

 人間は他者から悪意や嫌悪を向けられれば、程度の差こそあれ絶対に負の感情を抱く。表面上どれだけ取り繕うと、マイナスの感情をぶつけられたものが、それをプラスに変換することはない。万を超える人の心を視てきた私だから断言できる、物理法則同様の絶対的事実。

 そして私は、佐久間ほど人から非難され侮蔑され嫌悪されている人を知らない。こいつの言動は、いつだって人の癇に障るものだから。誰もが彼にマイナスの気持ちを投げかける。

 佐久間はもう一度小声で、「私が人間をどう思っているか……」と呟く。

 そして、予想していた通り――否、予想を遥かに超える熱量で。

 佐久間は、熱く、熱く、語りだした。

「万里さん! 私は人間という生き物を心より尊敬し、愛しています! こういうと犬や猫のような動物を馬鹿にしているのかと誤解されかねませんが、しかし、あえて誤解を招くことを恐れず言わせていただきたい! 人は、他のどの生き物よりも努力家で尊い存在なのだと!

 ええ、ええ。言われずともよく分かっております。むしろ人間はぬるま湯で暮らしている劣等生物であると。野生の中、一分一秒絶対の安息を得られず戦い続けている動物の方が遥かに上等だと。勿論そのご意見もよく分かります。しかし、しかしです! 我々人以外の動物はすべからく、生きる以外の選択肢を持っていないのです!

 彼らは悩まない! 

 なぜ自分が生きているのか!

 いったい今何をすべきなのか!

 彼らは常に死と隣り合わせにいることで、是が非でも生き残り続けるか、力及ばず死ぬかの二択しか選べないのです! そして意思決定として言えば、どちらにしても最後まで生きるために戦うという一択のみ! 

 対して人類はどうでしょうか? 我々は野生動物とは異なり、常に命の危機に晒されてはいません。人類の短くも長い歴史から紡がれた『法』というシステムの下、多くの方が生きること以外に思考を回す余裕が生まれているのです。そしてこの余裕が我々に何をもたらしたかというと、そう! 『自殺という選択肢』をもたらしたのです!

 辛い時!

 苦しい時!!

 悲しい時!!!

 絶望に打ちひしがれた時!!!!

 それは野生動物であれば本来死に直面した瞬間にしか味わえないもの! しかし人間は安全と安心を手に入れたことにより、死に直面せずともこうした『死』を想起する感情と対面する機会を手に入れてしまったのです!

 それと同時に私たちは死について考える時間を持ってしまった! それはつまり、辛く苦しい目の前の世界からの『逃げ道』を確保したということなのです!

 辛くなったら死ねばいい!

 苦しくなったら死ねばいい!!

 悲しくなったら死ねばいい!!!

 絶望に打ちひしがれタラ死ねばいい!!!!

 死と常に隣り合わせな野生動物では思いつくことすらできない、死という逃げ道を人類は見つけてしまった! 私たちはいつでも、今の嫌な世界を捨て、全てをリセットした新しい世界に踏み出せると気づいたのです!

 ですが! それにもかかわらず!! 多くの人間は死ぬことなく生きている! これのなんと尊く素晴らしいことか!

辛くなっても諦めない!

 苦しくなっても立ち上がる!!

 悲しくなったら助け合う!!!

 絶望に打ちひしがれテモ負けずに前を向く!!!!

 安易な逃げ道がそこにあることを知りながら、人類は努力して努力して死の誘惑から逃れ生きている! 

 私はこのことに感動せずぅにはいられないのです!」

「…………………………………………………………………………………………………そう」

 正直、圧倒されていた。

 ほんの軽い問いかけ。少し反応を見てみたいといった、遊び心からの質問。それにまさか、ここまで熱量に溢れた回答が返ってくるとは思わなかった。

 いったいどんな経験を積めば、いや、どんな才能を持って生まれればこの考え方に辿り着くというのか。

 ほんの僅か。心の隅の隅に、羨ましいという感情が芽生える。

 もし私にも彼と同じような見方ができるなら、万里眼があっても、世界はもっと色づいて見えたかもしれない。

 だけど、今更――

 私は精一杯皮肉な笑みを浮かべ、彼の言葉を否定した。

「だから、何? 要は勇気が出なくて死ぬことを選べず、無意味に長生きしてるってだけでしょ。生きることに目的を見いだせないなら結局そんな生は無価値で――」

「生きる理由などどうでもいいのです!」

「っ!」

 佐久間の勢いは止まらない。どこまでもまっすぐな目で、自身の思想を押し付けてくる。

「万里さん! あなたにしても、いえ、どれほど超越的な存在にも始まりがあれば終わりがあります! そしてそれら全ての存在が本質的に生き方を強制されていない! つまり自由に生きてよいのです! 目的も夢も生き甲斐も何一つなくとも、今を生きる中で気づいた些細な楽しみを持って一日一日を過ごせば! その権利を私たちは持っているのですから!」

「だから! だからそれが何なのよ! どうせ人は死ぬの! いくらその過程で楽しいことがあったって、死ぬっていう事実は変えられない! だから楽しいなんて感情は長生きするための言い訳でしかなくて――」

「そこです! 万里さん!」

「そ、そこって何が……」

「生きることは楽しいと、そう思えることが人間の素晴らしさなのです!」

「な……」

「今、ようやく確信に至りました! やはりあなたも生きていたいと思っている! 人生を楽しみたいと思っている! だからこそそれだけ苦悩し、必死に否定しようとするのです!」

「違う! 私はそんなこと考えてない!」

 本当に、こいつの言葉は癇に障る。

 人が諦めたところを、視ないようにしているところに、容赦なく踏み込んでくるから。

「万里さん! あなたは世界が視え過ぎている! 今どこで何が起きているのか、明日この世界で何が起きるのか、そしてその中でどうすれば自分は安全に生きられるのか! 全て視えてしまうあなたにとって、この世界はとても安全で、それゆえに非常に退屈なのでしょう。だから刺激を求め、その中で人の不幸をこそ最大の娯楽としてしまった。しかし、しかし、それは大変悲しいことです!」

「悲しい? どこが? 私は最高に楽しいけど」

「生まれた時からの性として、人の不幸を見ることが好きな方もこの世界にはいらっしゃいます。誰かを傷つけた時のみ幸福に浸れる、誰かが嘆き悲しむ顔を見た時だけ幸せになれる。そうした性を持つ方々であれば私はその活動を応援しますが、万里さん、あなたは違います。あなたは視え過ぎるその力のせいで娯楽を失ってしまっただけ。本来は残虐なことを好む性ではなかったはずです!」

「……それは別に否定しないけど。だから何? かつての私の善性を思い出して品行方正に生きろとでも言いたいわけ? は、今更そんなの無理に決まってるでしょ。ていうか、結局あんたは何がしたくて今私の前にいるのよ」

 そうだ、結局こいつは何をしに私の前に現れたのか。

 私の幸福な人生の一ページに感想を言いに来た、だったか。だとすればとんだクソ読者だ。アンチだ。

 こいつのせいで、さっきまでのわくわくした気持ちは全て台無しになってしまった。

 こんなことなら、モザイクだらけの未来など選ぶべきじゃ――

 そんな私の思考に、ノイズ《佐久間の声》が、一切の遠慮を伴わず流れ込んでくる。

「決まっています! 私は友であるあなたを幸せにしに来たのです!」

「幸せにって……」

「ずっと考えておりました。視え過ぎるがゆえに幸福の在り方が歪んでしまった万里さんを。視え過ぎるがゆえに楽しめることが限られ、その楽しみ以外の全てを無価値と決め付けてしまったあなたをどうすれば幸せにできるのか! しかしそう、答えは安全過ぎることにあったのです!」

 分からない。こいつが何を考えているのか分からない。

 私は湧き上がる恐怖を抑えきれず、震え声で言い返す。

「……なに、まさか私のことを傷つけようとしてる? もしかして目でも抉り取って、強制的に視えないようにしようとか考えてるわけ?」

「まさかまさか! あなたの万里眼は至高の力! 目を抉った程度ではその力を抑え込めず、あなたはただより不幸になってしまうでしょう!」

「じゃあ何? 脳でも弄る? 万里眼が使えなくなるまで頭でも叩いてみる? 無理よ。昔やったけど、ただ痛いだけだったし」

「ええ、ええ、そんなことは致しません。もっと、シンプルな方法であなたを幸せにすることはできますから」

 そう言うと、佐久間は背負っていたバカでかいリュックを降ろし、中から透明な小瓶を取り出した。

 私は目を細めて小瓶を見る。中には小さな種、いや、虫が入っているように見えた。

 いったいあれはなんなのか。万里眼の力を使い知ろうとする。

 しかし視えない。モザイクがかかったように、ぼんやりとぼかされてしまう。

 この未来周辺が視えなくなっていた原因は、間違いなくあれにある。

「この虫は、谷上さんと同じくこの世の理から外れたもの! 万里さんの万里眼をもってしても視ることはできません!」

「谷上と同じこの世の理から外れたものって……ついに頭おかしくなった? 大体谷上は私が雇った、ただの、使用人……で?」

 おかしい、谷上と出会った経緯を全く思い出せない。

 どこで出会い、何を理由に選び、どんな役割をお願いしたのか。全て記憶から抜け落ちている。

 混乱する私の頭に、佐久間の声が響き渡る。

「万里さん! たとえ冗談でも、あなたのように特殊な力を持つ者が、安易に魔方陣など描いてはいけません! 今回は心優しく無害な方だったから良かったものの、もっと邪悪な存在が現れる可能性だってあるのですから!」

「何を、言って――」

「それはそうとこの虫です!」

 佐久間はずかずかと私の前まで歩み寄ってくると、私の目線の高さに小瓶を浮かべた。

「どうですか! 万里眼では視えないと思いますので、しっかり肉眼で確認してください」

「う……」

 体長一センチ程度の、黒い毛虫のような生き物。

 万里眼でこれがなんなのか知ろうと試みるが、何度やってもこっちの眼には映らない。

 すると佐久間は小瓶の蓋を取り、「失礼します!」と元気よく言って、小瓶の口を私の手の甲に押し付けた。

 突然の行動に驚き反応が遅れる。その間に、黒い虫は手の甲に転がり落ち――そのまま皮膚の中に潜り込んでいった。

「ひ!」

 私は叫び声を上げ、小瓶を叩き落とす。それから自身の手の甲を慌てて見たが、皮膚に異常はなく、虫の影も見られなかった。

 皮膚に入り込んだように見えたのは幻覚で、小瓶と一緒にはたき落せた?

 そんな期待をするも、正面にいる男は、心の底から楽しそうな笑みを浮かべ、いかれたことを口にし始めた。

「今しがた万里さんの体内に取り込まれましたあの虫は、徐々にあなたの体の中で増え、いずれあなたの体を食い破り殺します」

「は……?」

「つまり今この瞬間より、これから先万里さんが視る未来は全て、来るかどうか分からない妄想でしかなくなりました! あなた以外の全ての人類と同様に、明日生きていられる保証がなくなったのですから!」

「は、は、は……」

 すぐさま私は万里眼を使って未来を視る。

 いつも通り、いつものように未来の光景が脳内に流れ込んでくる。だけど、同じ要領で過去を視た時、やはり、そこにあの虫は映っていなかった。

 体中が震えだす。

 急に自分が視てきたものが本当に正しかったのか分からなくなる。

 未来も人の心も、何もかも視えない方がいいと思ったこともあった。能力を意図的に制限して使わないようにしていた時期もあった。でも、結局使わずに何か起きたらと思うと怖くて、すぐに頼ってしまっていた。

 でも、これからは――

「万里眼で未来を予知できても、今後、あなた自身の行動は常に予知から外れることになります。当然あなたの動きが変われば未来も変わる。一日一日が命懸けで、退屈なぞ覚えている時間は無くなることでしょう!」

「っ! お願い! あの虫を取り除いて!」

 目の前で慈愛の笑みを浮かべる悪魔《佐久間》に、私は縋り付く。

「い、今更未来を視ることなく生きるなんて無理……! 退屈でもいいから、今まで通りの――」

「ご安心ください万里さん。不肖この佐久間喜一郎、友人へのアフターケアを怠ることはありません!」

 佐久間は縋り付く私を引きずりながら、リュックの元に向かうと、中からあるものを取り出す。

 それをそっと私の手に乗せ、満面の笑みで言った。

「当社一優秀な営業員である頼一さん推薦の、『未来が視える水晶』! こちらをおまけとしてプレゼントさせていただきます! どうしても本当の未来が知りたくて知りたくてたまらなくなった時は、ぜひこちらをお使いください! 

 あなたが本当に乞い願うならば。この水晶に未来が映りますから」


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