それぞれの帰路
「全く、一体全体何だったんだろうね。それなりに不思議な経験をしてきたつもりはあるけど、流石に今日のは次元が違ったよ」
地下部屋を離れ地上へと戻る。この館の淀んだ空気にどうしようもない倦怠感を覚えていた俺たちは、示し合わせたように館の外へと足を運んだ。
時刻はちょうど正午近いのか。天頂の太陽が邪気を焼き尽くさんとばかりの、強烈な日差しを降り注いでくる。
そんな中、栓が抜けたかのように玉藻さんのぼやきが漏れ、皆が自然と頷いた。
しばらく気持ちをリセットすべく各々日光浴に励んでいたが、やがてクラフトさんが「そういえば、ここからどうやって帰るんだ?」と、現実的な問題を口にした。
「あの様子じゃ、谷上は助けを呼んでいないようだし、もしかして僕たちはこれからこのどことも知れぬ山の中を徒歩で下山しないといけないのか?」
玉藻さんが懐から取り出したキセルをふかしながら、億劫そうに応じる。
「そこはあんたのなんちゃって発明品でなんとかならないのかい? というか、依頼主も死んだし今回は報酬なしかね。全く、とんだ無駄足だったよ」
「しまった! まだ僕も報酬を得ていない! こうなったら少しでも金になりそうなものを持っていかなければ!」
「いいね。ならうちも――」
「いやダメに決まってるでしょう! いくら殺されそうになったからといって、窃盗していい理由にはなりませんから!」
盛り上がっていた二人に、有馬さんが正論パンチで水を差す。
二人はそういやこいつもいたなというしかめっ面を浮かべると、小さくため息を吐いた。
ある意味平和なやり取りを見て、高鳴り続けていた俺の心臓がようやく通常モードに戻る。
今後どれだけ人生経験を積んでも、彼らほどの切り替え力を身に着けられる気はしない。まあそれでも、彼らに臆さず話しかけられる程度に、今の俺は強くなった。
俺は言い争う三人に近づくと、「安心してください」と声をかけた。
「たぶんですけど、そろそろうちの同僚が助けに来てくれますから」
「助けに来るって、どうやって――」
疑わし気な玉藻さんの言葉が終わるより早く、車のエンジン音が聞こえてきた。
皆の視線が音のする方に集まる中、まもなく一台の社用車が姿を現した。
車は俺たちの目の前で止まり、中から相澤さんが姿を見せた。
なんというか、安心感が半端ない。
内心でちょっと泣きそうになりながら、俺はふらふらとした足取りで歩み寄った。
「相澤さん、本当にいいタイミングで来てくれましたね。ていうか、ここまで来てくださって本当に、本当に、助かりました」
彼女は普段の冷めた表情で、「これも仕事だから」とそっけなく告げる。
「昨日の連絡の時点でやばい気配は感じてたから、近くまで車をまわしておいたし。ああそれと、警察も呼んであるわ。ここの近くで原因不明の土砂崩れが起きてるとかで、こっちに人を割くまでに少し時間がかかるそうだけど。まあ、あと一、二時間もすれば到着するんじゃないかしら」
「手配もばっちりですね! 流石です!」
「お世辞はいいから。そんなことより、そっちはしっかり終わったわけ? 途中で電池切れたのか、音声届かなくなったけど」
俺はポケットに入れていた携帯の存在を思い出し、手に取った。
食事処で皆が集まっているのを待っている間に、今も変わらず連絡が取れるのか検証した。結果、問題なく相澤さんと通話が繋がった。その際簡単に現状の報告をし、車で迎えに来てほしいと依頼した。さらに念のため、充電が切れるまで通話を繋げたままにしておいてもらった。
それゆえ相澤さんにもこちらのやり取りが伝わっていたのだが、どうやら英樹さんとの決着シーンまでは持たなかったらしい。
俺は感謝を込めて携帯を一撫でしてから、はっきり頷いた。
「無事に終わりました。なんとかやり切れたと思います」
「そう。まああなたも社長も五体満足なら、私から言うことは何もないわ。お疲れ様」
「っ……」
労いの言葉をかけられ、再び涙腺が緩む。
改めて、今回の仕事はきつかった。人生で一番といっていいほどに。
辛かったがゆえに得たものも大きい。でも、失ったものを考えれば絶対にプラスには考えられない。
それでも、前に進むと決めた。
なりたい自分が明確になった。
もう、後悔はしない。
俺は強く拳を握り締める。相澤さんは黙ってそんな俺を見つめていた。
やがて、彼女は車のキーを渡してきた。
「それじゃあ、帰りの運転はお願い。結構な獣道で疲れたから。後はよろしく」
「え、は、はい……って、いいんですか? 警察が来るのを待った方が――」
「ここで起きた事件なんて警察に話しても納得してもらえるわけないでしょ。余計な腹を探られて面倒なことになるだけ。そういうのはそっちの人に任せときなさい」
「そっちの人って……」
玉藻さんやクラフトさんにこんなことをお願いしても絶対に断られると思うんだが。
そう考えながら振り返ると、そこに彼らの姿はなく、有馬さんしか残っていなかった。
「えと、玉藻さんとクラフトさんはどこに?」
「あの胡散臭い男女なら、私が警察の名前を出した途端どこかに逃げ出したわよ」
そう言って、相澤さんは助手席に引っ込んでしまう。
俺はどこか気まずい思いを抱えながら、いまだ状況を呑み込めていなさそうな有馬さんに頭を下げた。
「じゃあ、その、そういうことで。申し訳ないですけど警察への対応をよろしくお願いします」
「あ、ああ……」
おそらく全く理解できていない、条件反射的な相槌が返ってくる。
申し訳なく思い、もう一度深く頭を下げ車に乗ろうとする。と、「ちょっと待ってください」と真剣な声で呼び止められた。
やはり警察対応全投げはまずかっただろうか。
緊張しながら振り返ると、彼はひどく真剣な表情で、
「斎藤さん。今、こんなことを言っても無駄かもしれないけど、別れる前に忠告させてくれ。喜一郎君はね、一人の幸せのためにその他大勢の幸せを容赦なく踏みつぶせる異常者だ。一緒にいれば、いつか君も不幸になる。だから、彼の元から早く離れた方がいい。再就職探しなら、僕が全力で手伝うから」
右手を差し出され、俺は目を丸くして固まった。
佐久間さんの幼馴染だという彼の言葉。黎深館での発言も含め、彼が佐久間さんに対して、複雑な感情を抱いていることは察していた。
あの時、落ち込んでいる俺の元に来たのも、おそらく佐久間さんに頼まれたからでなく、佐久間さんが失敗したと思ったから。今なら自分の方が上であることを示せると、そう考えたから俺の元に来たのだろう。
俺は彼にしっかり向き合うと、小さく首を振った。
「ありがたいお言葉ですけど、その提案は受けられません。別に佐久間さんのところに永久就職する気はないですけど、辞めるのは今じゃない」
有馬さんは顔を歪め「なぜ」と呟く。
「君だって、本心では理解しているはずだ。喜一郎君がまともじゃないことを。誰かを救うヒーローでなく、むしろ善意で動くヴィランであることを。なのに――」
「全力で、じゃなくて、一生を懸けて手伝うって、佐久間さんなら言ったと思います」
「それは……」
「別に有馬さんを否定するつもりは一切ありません。ただ、佐久間さんだったから救われた人間もいるんだって話です」
俺はもう一度深く頭を下げて、お別れと、感謝の意を示す。
それから車に入ろうとして、肝心の佐久間さんがいないことに気づいた。
いつもはうざいほど存在感があるのに、時折こうして意識の外へと消えてしまう。いまだに同じ人間とは思えない、不思議な存在だ。
それはともかく、前回に引き続き車で置いて行ってしまうのは流石に忍びない。
あたりを見回し彼の姿を探すと、館の扉の前で、ぽつねんと佇む姿を見つけた。
俺は内心で小さくため息をついてから、ふっと笑う。
それから静かに近づくと、優しく肩を叩いた。
「佐久間さん。まだ、何かやり残したことがあるんですよね」
佐久間さんはピクリと体を震わせ、曖昧に言葉を紡いだ。
「いえ、やり残したということでは……。ただ、少し気になる方がいて……。ああですが、今は頼一さんとも色々話したく――」
こちらを気遣う表情。当然のように、彼もまた、俺の心を気にかけてくれている。その事実が嬉しく、口元が自然とほころぶ。
「大丈夫です。相澤さんもいますし、俺ももう元気ですから。その人のところに行ってあげてください」
「ああ、頼一さんの気遣い、大変心に染み渡ります……。ただ、動きたいのはやまやまですが、果たしてどうするのがかの人の幸福になるか選びきれておらず――」
珍しく悩まし気な店長の姿に、俺はくすりと笑みを漏らす。この人でも、悩む時は悩むらしい。
「そういう時は、最初に思い浮かべたことを正しいと信じる、ですよね」
「頼一さん……」
「どんな選択でも、佐久間さんならそこから新しいルートを無数に作れるんですから。最初にやりたいと思ったことをやってくればいいんじゃないですか。失敗して刑務所行きになっても、月一で面会にはいきますから」
佐久間さんは数秒目を見開いて俺の顔を見つめる。かと思うと大粒の涙を流し、がっちり手を握り締めてきた。
「ああ! ああ! 私は何と素敵で優しく思いやりに溢れる従業員――いえ、友人に恵まれているのでしょう! 自身の辛い気持ちを押し殺し、他者に心からの励ましを送ることができる! 私は頼一さんと出会えた幸運に感謝せずにはいられません!」
「あはははは……。まあ、感謝してるのは俺も同じですし。どうぞ、好き勝手やってきてください」
「承知しました!」
佐久間さんはびしりと敬礼の構えを取ると、そのまま館内へと突入する。
俺は黎深館を見上げ、彼に目をつけられた人に、最大限の同情を込めて敬礼した。




