谷上
二人並んで階段前まで移動したところで、三階から降りてくる谷上さんに遭遇した。
相も変わらず完璧な笑顔と、それに不釣り合いな虫を見るような眼差し。一日経っても慣れない彼の雰囲気に圧倒されながらも、俺は愛想よく挨拶を行った。
「おはようございます。谷上さんは館内の清掃中ですか?」
「いえ。英樹様に朝食をお渡しした帰りです」
「英樹さん、ここより上の階なんですね」
黎深館にはエレベーターが存在しない。高齢の英樹さんには階段の上り下りはあまり楽ではないように思えるが、何か理由があって上の階を選んだのか。
気にはなったものの、今は他に聞きたいことがあった。
「ところで、谷上さんはイリスさんについては知ってましたか?」
「はい。勿論存じ上げております」
「それじゃあ、あなたにとって彼女はどういう存在ですか?」
袖を引っ張られる。振り返ると、イリスさんが必死に小さく首を振っていた。
やはりというべきか、谷上さんも彼女の味方ではないようだ。
改めて、彼女のいる環境がいかに悲惨なものだったかを理解する。こんな場所にいては、立ち直るなんてできるはずもない。
黙してこちらを眺める谷上さんに向き直り、「アリスさんはまだ部屋ですか」と尋ねた。
「今どこにいるのかは分かりかねますが、一階では見かけませんでした」
「ありがとうございます。それじゃあ、お仕事頑張ってください」
イリスさんの手を引いて、階段を上り始める。
意外にも、谷上さんはそんな俺たちに声をかけてきた。
「本日は快晴です。お時間があれば外に出てみては如何でしょうか。少しは気分も落ち着くと思いますので」
「はあ、まあ、時間があれば」
急に何を言い出すのか。意図がつかめず、曖昧に頷き返す。
本当に言いたいことはそれだけだったらしく、谷上さんは一礼すると一階へと下りていく。
少し困惑しながらも、アリスさんがいるであろう606号室に向け、歩みを再開した。




