双子
階段を上がり一つ上のフロアに到着。
目的地までもう少しかと考えていた矢先、目の前に髪の長い女が現れた。
「……」
「……」
「……」
「……」
お互いに黙したままの見つめ合い。いや、見つめ合いというのは違うかもしれない。女の顔は自らの黒髪で完全に隠れており、目はおろか口すらまともに見えはしない。
だから単に顔を突き合わせているだけの状況。
俺は静かに右にスライドすると、カニ歩きで彼女の横を通り抜けようと試みた。
「ま、待って」
「きゃあ!」
女が急に手を伸ばしてきたため、俺は普段絶対に上げない甲高い悲鳴を発した。
女も俺の悲鳴に驚いたらしく、「わ!」と声を上げ飛び上がる。
二人して驚くという意味の分からない状況にしばらく思考がフリーズしていたが、ようやく彼女が幽霊でも幻覚でもない、ただ髪の長い女性であると認識した。
いや、顔を自分の髪で覆い隠してる時点で変質者であることに違いはないのだが。
「えーと、何か俺に御用ですか? というか、あなたはどなたで?」
今日この館に滞在する客人は全て食事処に揃っていたはず。従業員は谷上さんしかいないという話だったし、まさか盗人だろうか?
今すぐ拘束した方がいいのかと頭を悩ませ始めたところ、彼女はわたわたと手を振った。
「あの、私は怪しいものじゃありません。見た目は怪しいかもですが、それも理由があって……」
「理由?」
「はい。その、驚かないでくださいね」
彼女は自分の顔にかかっていた髪を横に、ゆっくりと流した。
「え!」
先に忠告されていたにもかかわらず、俺は驚きの声を上げる。というか、驚かないでいるのは無理だった。長い前髪の奥から現れた彼女の素顔は、水鏡アリスさんと全く同じだったのだから。
「……もしかして、双子?」
「はい。私は水鏡イリスと申します。アリスの妹です」
「……」
思いがけない展開に、頭の中が真っ白になる。
ドッキリを仕掛けられている、とか。単に紹介されていなかっただけで言葉通り双子だろ、とか。夢でも見てるんじゃないか、とか。
浮かんでは消える思考の波。
結果として唯一導き出された間違いのない返答は、
「その、初めまして、斎藤頼一です。よろしくお願いします」
名乗り返すことだった。
おそらく質問攻めにされるか、疑われるかを想定していたのだろう。イリスさんは目を見開いて一瞬固まった後、ふわりと天使の微笑みを浮かべた。
「初めまして斎藤さん。こちらこそよろしくお願いします」
丁寧なお辞儀を一つ。
彼女の顔に見惚れていた俺も、慌てて頭を下げる。
頭を下げている間に思考を整理しようと試みる。しかしそんなすぐに思考がまとまるわけもなく、俺は再び同じ質問を繰り返した。
「えーと、それでイリスさんは何か俺に御用ですか? もうかなり夜遅いですけど」
笑顔を消したイリスさんは、不安げな瞳で、
「その……助けてもらえないでしょうか」
そう懇願してきた。
やや潤んだ瞳。見ているだけで強く胸が締め付けられ、今すぐ抱きしめたくなる。
俺はポケットの中にある携帯を壊さんばかりに強く握りしめ、ぎりぎり理性を保つ。
彼女の顔から視線をそらし、「それはどういう意味でしょう?」と聞き返した。
「斎藤さんは、姉に昔、予知能力があったことを聞いたんじゃないですか? そして、明日こそが姉の死ぬ日であると」
「聞きましたけど……どうしてイリスさんがそれを?」
あの時あの部屋には間違いなく俺とアリスさんの二人しかいなかった。それなのに知っているということは、やはり彼女はアリスさんなのではないか。
そんな考えが脳裏をよぎる中、イリスさんはバツが悪そうな顔で俯いた。
「言いづらいのですけど、ずっと斎藤さんのことをこっそり見てたんです。正確には他の人も見てて、その中であなたが一番まともで信頼できそうだったから……。それで、姉があなたの部屋に入っていくのを見て」
「アリスさんが未来予知の件を俺に打ち明けたと考えたと。そこまでは分かったような分からないようなですが……結局、助けるという話とどう繋がるんでしょう?」
「姉が未来予知で見た、明日死ぬ人物。その人物は、姉じゃなくて、たぶん、私なんです」
「え!」
いったい今日は何度驚かされるのだろう。
ただでさえフリーズ寸前の頭にさらなる重大情報がねじ込まれる。
アリスさんが未来予知で見た明日死ぬ人物は、アリスさん自身でなく妹のイリスさんである。確かに二人の顔は瓜二つであり、未来予知の光景がどんなものかは分からないが、間違えたとしても不思議ではない。
しかしアリスさんはそんな可能性を一切俺に話さなかった。そもそも相澤さん曰く彼女の話は全て嘘だったはず。であればやはりイリスさんも嘘をついて俺を騙そうとしていることになるのだが。それとも、彼女自身もアリスさんに騙されている?
頭が痛くなってきた俺は、近くの壁にもたれかかった。
何が正しい?
何を信じる?
何をすべきだ?
思考がぐちゃぐちゃでまとまらない。ただ一つ明らかなのは、目の前の彼女が、尋常でない不安と恐怖を抱え、追い詰められていることだけだった。
「私は、姉と違って出来損ないなんです。同じなのは顔だけで、勉強も運動も社交性も要領も、全部人並み以下。だから、ここではいないものとして扱われてるんです」
「いないって、そんなの――」
「そう扱われるのは、仕方ないんです。だって、いらないじゃないですか。同じ見た目なら、より優れている方がいれば十分でしょう?」
「……」
俺は何も言えず口を噤む。
否定の言葉はいくらでも言える。だけど、どれだけ言葉を並べ立てても彼女には響かない。実際にその扱いを受けてきた彼女には、無意味で何の役にも立たないことだから。
沈黙を、彼女がどう受け止めたのかは分からない。
ただ、再び彼女は口を開いた。ひどく投げやりに。
「仕方ないんです。仕方ないんです。それは分かってます。納得してます。姉の方が私よりも頑張ってるし、できることも多いし、魅力的だから。好きな人も欲しいものも、全部取られても、我慢してきました。それだけの価値が、姉にはあって、私にはないだけですから」
「……」
「でも、死ぬのは怖いです。命までは、譲りたくありません」
そむけていた視線を、彼女の顔に戻す。
イリスさんは、真っ青な顔で、すがるような目を俺に向けていた。
「これがきっと、最初で最後の我儘。どんな結果になろうとも、何もせずに諦めたくはなかったから。こうして、勇気を振り絞って声をかけさせてもらいました」
「……俺は」
答えようとした俺の言葉をかき消すように、イリスさんの声が被さる。
「でも、分かってます。私は選ばれないって。だからやっぱり、気にしないでください。今の話は聞かなかったことにしてください」
そもそも死ぬと決まったわけでもないですしね。
彼女は、そんなことを言って泣き笑う。
「……」
結局、俺は何を言っていいか分からず、口を開けなかった。今こそ佐久間さんを見習って、嘘八百でいいから慰めの言葉をかけるべきだと思っているのに、まるで舌は動いてくれない。
イリスさんは「突然こんなことを言ってすみませんでした」と大きく頭を下げる。
それから髪で顔を隠すと、階段を下り始める。踊り場で一度振り返ると、
「もし……もし、何かのきまぐれで私を選んでくれるなら。202号室で待ってますね」




