第八話 帰る場所を取り戻すために
一筋の鋭い閃光が、夜を薙ぎ払う。
刃が抜けた、その一瞬の後。
絶命した鬼の巨躯が、土煙を上げて崩れ落ちた。
低級に分類される鬼の群れ。
数日前、初めて彼女と邂逅した、あの集落に巣食っていた鬼。
あの場では一旦引き退いたかに見えたが、やはり後続の群れに蹂躙されていた。
無惨に散乱した人や家畜の残骸。
踏みにじられた畑。
炭化して崩れ落ちた民家。
もはや、人が平穏に暮らせる名残などどこにもない。
そこにあるのは、鬼が通った後に残る、ただの地獄。
番という存在を得たからだろうか。
その番を育んだ景色が、これほどまでに無惨に荒らされた。
そう思うだけで、胸を抉られるような痛みと共に、かつてないほど苛烈な憎悪が腹の底から湧き上がってくる。
俺のものだと告げた命。
その命が、帰る場所として胸に抱いていたはずの景色。
それを、鬼どもは踏みにじった。
「ひゃ~……。今回はまた、いつにも増して壮観ですねぇ」
死屍累々と横たわる鬼の残骸を眺め、副隊長が呆れたように声をかけてきた。
「余計な口を叩くな。鬼はすべて焼却し、犠牲者の記録と埋葬の手配を九番隊に回せ」
「はっ」
「俺は、奥へ向かう」
「お一人で、ですか?」
「問題ない。……いつもより調子がいい」
不可思議な感覚。
身体が羽のように軽い。
刀を握る手に余計な力を込めずとも、吸い込まれるように刃が鬼を断つ。
踏み込みは深く、呼吸は乱れず、斬り終えた後の反動もない。
体力も、内なる鬼力の消耗も、驚くほどに少ない。
「これも、番を得たことによる効果なのか?」
今のこの研ぎ澄まされた感覚ならば、抜刀一つで低級どころか、中級の鬼ですら敵ではない。
鬼力を大きく消費する『異能』を使う必要すらないだろう。
ぐっと握りしめた拳に力を込め、暗い集落の深淵を見据える。
まだ、この先に淀んだ気配が渦巻いている。
今はまだ不毛の地だろうが、ここは彼女の故郷だ。
いつか、再び彼女をここへ連れて帰ってやりたい。
たとえ、元通りにはならずとも。
せめて、あの娘が膝をついて泣かずに済む場所へ。
その願いを密かに胸に秘め、俺は刀を握り直し、闇の奥へと歩を進めた。
「えっ?隊長、番にそんな強化効果なんてありませんよ?」
「……何?」
「お前、聞いたことあるか?」
「いや、俺も初耳だ。せいぜい傷の治療と、鬼力の即時回復、あとは鬼化の鎮静作用くらいだろう」
「誰に訊いても、答えは同じだと思いますが……」
顎に手を添え、思考を巡らせた。
部下たちの話を総合すれば、番による吸血の恩恵は、肉体の修復とエネルギーの補填。
そして暴走を抑える鎮静作用に限定される。
長年、番という存在を遠ざけてきたがゆえに、隊長でありながら基礎的な知識が欠落しているのは事実だ。
しかし、身体の芯から絶え間なく湧き上がるこの力は、到底気のせいでは片付けられない。
今まで一度として経験したことのない現象だ。
偶然という言葉で片付けるには、あまりに劇的すぎる。
思い当たるのはやはり、彼女という番を得たこと以外にない。
彼女に再び会えば、この謎は解けるのだろうか。
「隊長、もしや番様のことを考えておられるのですか?」
「あ?……なぜわかった。なぜだ、どういうことだ。これも番を得たからか?」
困惑のあまり、無意識に隊員の襟元を掴んで締め上げる。
「わーっ!!隊長、落ち着いてくださいっ!」
「げほっ、ごほっ……!」
「睦月隊長!それは番の力ではなく、隊長の顔に出ているんです!」
周囲の隊員に必死に宥められ、慌てて手を離す。
解せないことばかりだ。
たかが番。
欠落を補うための道具に過ぎないと思っていたはずなのに。
「いやぁ、しかし無理もないですよ。隊長の番、めちゃくちゃ綺麗ですもんね」
「な。出発前に日の下で見た時、どこの令嬢かと思った」
「しかも、『行ってらっしゃい』なんて。そりゃあ、早く帰りたくもなるよな」
ぴたり、と空気が止まった。
「……お前ら」
自分でも驚くほど低い声が出た。
部下たちの笑みが、一瞬で引きつる。
「俺の番を、そんな目で見ていたのか?」
無意識のうちに、親指が刀の鍔を押し上げていた。
鯉口が、ちり、と小さく鳴る。
「ちょ、待ってください隊長!!違います!!」
「そういう意味ではありません!!一般的な、客観的な、事実としての感想です!!」
「そ、そうです!隊長の番様に不埒な目を向ける命知らずなど、この世にいるわけが……少なくとも一番隊にはおりません!!」
「つまり、他の隊にはいるかもしれないということか」
一番隊には。
その言い方も気に食わない。
「墓穴を掘るな馬鹿!!」
副隊長が慌てて部下の口を塞ぐ。
俺は半ば抜きかけていた刀を、ゆっくりと鞘へ戻した。
「……今後、俺の番について軽々しく口にするな」
「は、はいっ!」
「承知しました!」
「肝に銘じます!」
三人揃って背筋を伸ばす部下たちを見て、ようやく息を吐く。
別に、怒るようなことではない。
彼らが彼女を褒めた。ただ、それだけの話だ。
だというのに。
彼女の姿を、自分以外の誰かが見ていた。
その事実が、妙に腹の底をざらつかせる。
「……やはり、番とは厄介なものだな」
「いえ、隊長。それは恐らく番のせいではなく……」
「番のせいでないなら、何なんだ」
「……何でもありません」
副隊長はなぜか、ひどく生温かい目でこちらを見ていた。
気に食わない。
「いやぁ、しかし、よい傾向ですよ」
「……どこがだ」
「今までの隊長は、どこか己の命を削り、生き急ぐような戦い方をされていましたから。今日の、余裕のある刃運びを見て、少し安心しました」
「……それが、番の影響だとでも言うのか」
ますます混迷が深まる。
出会って、まだ数日。
交わした言葉など、片手で数えるほどだ。
それが、自身の剣筋にまで影響を及ぼしているというのか。
「少なくとも自分にとっては、帰りを待つ番がいることは、生きて戻るための何よりの理由になりますからね」
……ふいに、出立の際の彼女の姿が脳裏を掠めた。
どこか不安げで、それを悟られまいと無理に作ったような、あの微かな微笑み。
それでも、まっすぐに俺を見ていた瞳。
『行ってらっしゃい』
屋敷の使用人たちも、確かに俺を案じてはくれていただろう。
だが、彼らはいつも、武人の門出を静かに、粛々と見送るだけだった。
あのような、日常へ帰ることを約束させるような言葉で見送られたのは、人生で初めてのことだったかもしれない。
あの娘は、俺に戦えと言ったのではない。
勝てとも、討てとも、命じなかった。
ただ、帰ってこいと。
そう告げたのだ。
「……やはり、よい傾向です」
「……何が言いたい」
「別に。番様のところへ無事に帰るためにも、今回もきっちり片付けましょう、というだけです」
「余計な世話だ」
薄々気づきながらも、認めたくない感情が胸の中で邪魔をする。
この高鳴りは、単に番という機能的な存在に向けられたものなのか。
それとも、彼女だからこそ抱くものなのか。
再び彼女の前に立った時、自分はどのような顔をすればいいのか。
何と声をかければいい。
無事に戻ったと顔を合わせれば、あの娘はまた、ほっとしたように笑うのだろうか。
戦場では一度も感じたことのない種類の畏怖が、静かに胸を焦がしていた。
俺は息を吐き、刀の切っ先を闇へ向ける。
考えるのは後だ。
今は、斬る。
あの娘が待つ場所へ帰るために。
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