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鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~  作者: 木風


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第七話 鬼省庁の異界

朔夜を見送った翌日の昼。

私は護衛の隊士に案内されるがまま、『鬼省庁』を訪れていた。


立ち並ぶ街並みに溶け込むその建物は、一見すればどこにでもある古めかしい役所のよう。

煤けた看板に、重たげな門扉。

出入りする人々も、表向きはただの役人にしか見えない。


けれど、一歩足を踏み入れると、ぐらりと空間が歪む感覚に襲われる。


「っ……!?」


足元が抜け落ちるような眩暈に、思わずしゃがみかける。

次に目を開いたとき、私の瞳に飛び込んできたのは、先ほどの建物の内部とは思えない、幻想の極地だった。


見上げれば、頭上には天井などない。

青空から茜色の夕暮れ、さらには星降る夜空へと、薄衣を重ねるようにゆらりと移ろう不思議な空。

幾重にも連なる朱色の鳥居の先には、紅い屋根瓦が陽炎のように揺らめく壮麗な建築群が、どこまでも続いていた。


そこは、季節という理が崩壊したような場所。

春の桜が舞い落ちる横で、初夏の紫陽花が濡れたように咲き、秋の紅葉が燃え、冬の椿がぽとりと首を落とす。

色とりどりの四季の花々が狂い咲くその光景は、あまりに美しく、そしてこの世のものと思えないほど浮世離れしていた。


現実のはずなのに、足元だけがふわふわと頼りない。


「何……ここ……。本当に、同じ皇都なの……?」

「あ!睦月隊長の番様ですよね?」


呆然と立ち尽くす私に、弾んだ声が掛けられた。

目線を向ければ、そこには自分の顔ほどもある大きな丸い瓶底眼鏡をかけ、抱えきれないほどの書類を抱えた女の子が立っていた。

書類の山に顔の半分ほどが埋もれていて、眼鏡だけが妙にきらりと光っている。


「ご案内を依頼されました、十二番隊の書記です~。本日はよろしくお願いしますねっ」

「あ、こちらこそ。……諏訪梓です」

「どうぞどうぞ、こちらへ~!」


私よりも少し幼く見える彼女に導かれるまま、異空間の廊下を歩き出す。

すれ違うのは、朔夜と同じ漆黒の制服を纏った隊士たち。

そして、私とはまた違う色鮮やかな装束に身を包んだ女性たちだった。


「あら……見て、あの濃紅(こきべに)番装束(つがいしょうぞく)

「一番隊に、あんな番いたかしら?」

「ほら、昨夜の……睦月隊長の番になったっていう」

「ああ、あの鬼宿校(きしゅくこう)の外から来たという……」


すれ違いざま、ひそひそと囁かれる噂話。

好奇と、ほんの少しの羨望、そして困惑が混じった視線が私に刺さる。

私自身というより、やはり朔夜という存在が、いかにこの場所で巨大な影を落としているのか。

それを肌で感じていた。


知らない場所。

知らない人々。

知らない決まり。

そのすべてに、私はただ朔夜の番という名札だけを付けられて立たされている。


「あの、ここはどうなっているんですか?外からは普通の役所に見えたのに……」

「ここは強力な『結界』で切り離された、隔離空間なんですよ。対鬼用の要塞、と言った方がいいかもしれませんね」

「結界……」

「はい!我々のような後方支援部隊や、隊員の命を繋ぐ番は、鬼にとっては格好の的で、鬼狩りにとっての最大の弱点ですから」


弱点——。


その重い響きに、思わず首筋の痕を指でなぞる。

番が欠ければ、鬼狩りはその身を鬼の毒に蝕まれ、やがて化け物へと堕ちる。

戦う力を持たない私が、彼の、ひいてはこの組織の急所になり得るのだ。

結界で厳重に守る必要があるというのも、頷ける話だった。


嬉しいと思うようなことではない。

けれど、朔夜の命を繋ぐ役目が自分にあるのだと思うと、やっと地に足が付いた気がした。


「でも、私は昨日まで朔夜さんの屋敷にいましたけれど……あそこは大丈夫だったのでしょうか」

「隊長格ともなれば、自前で腕利きの結界師を雇い続けることができますからね~。一般隊員は、なかなかそうもいきませんから、この鬼省庁に身を寄せるのが普通なんですけど」


彼女が口にする言葉の一つひとつは、意味こそ分かるものの、どこか絵空事のように現実味がない。

移ろう空。

狂い咲く花々。

この歩いている景色そのものが、誰かの描いた極彩色の夢の中に迷い込んでしまったかのようだった。


やがて、敷地内でも一際重厚な威容を誇る建物へと足を踏み入れる。


「到着です!睦月隊長の番様、お連れしました~!!」


彼女の朗らかな声が響くと、室内にいた人々の視線が一斉に私へと集まった。

一瞬の、静まり返るような沈黙。

そして、所狭しと、あちこちからざわめきが広がっていく。


先ほどまでの囁き声とは比較にならないほど注目されている。


「こちらのお部屋ですっ、どうぞ!」

「ちょ、ちょっと待ってください。……もう少しだけ、声を抑えていただけませんか。なんだか、物凄く見られている気がして……」

「ああっ!申し訳ありません!梓様の事例、この鬼省庁でも本当に珍しいケースでして、皆興味津々なのですよ」

「珍しい……?」

「はい!元々ご夫婦だった方が番になるならともかく、基本的に番はここにある『鬼宿校』で教育を受けた候補生の中から選ばれるものですから」


鬼宿校(きしゅくこう)

耳慣れない言葉が、また一つ増える。

どうりで、目を覚ました時の朔夜が、あんなにも激しく憤ったわけだ。

私は、それほどまでに異質な、掟破りの存在だったのだ。


「では、私は……本来なら、ここにいるはずのない番なんですね」

「ええっと……言い方は少々難しいのですが、前例がとても少ない、と言いますか」

「気を遣わなくて大丈夫です。自分でも、そうなのだろうと思いましたから」

「梓様……」


案内されたのは、落ち着いた意匠の応接室だった。

彼女がテーブルにドサドサと書類を置くと、その量に耐えかねたように、紙束が少しだけ横へ崩れる。

彼女は慌てて両手で押さえ、それから照れたように笑ってソファへ腰掛けた。

私も、戸惑いを隠せないままその向かいに腰を下ろす。


「ええっと、何からご説明しましょうか?」

「……すみません、私、本当に何から何までわからないことだらけで」

「ですよねぇ~!大丈夫ですよ、ゆっくりいきましょう。まずは息をしてください」

「息……」

「はい。ここ、初めて来る方はだいたい空に気を取られて、呼吸を忘れますから」


彼女は眼鏡の奥の瞳を細めて、優しく微笑んだ。

その何気ない冗談に、張り詰めていた肩から、少しだけ力が抜ける。


そもそも番という存在もだし、異界のような『鬼省庁』の仕組み、そして『鬼宿校』という耳慣れない場所。

思考の海に溺れそうになりながら、目の前の書記の少女との対話を整理する。

知りたいことはたくさんあるけど、どんなことよりも、胸の奥に燻る一つの懸念があった。


「あの。私が住んでいた集落がどうなったか……分かりますか?」

「集落、ですか?」

「家族……。弟の永太と、妹の琴と逸れてしまって。どこかの町に逃げていればいいのですが」

「鬼に襲われた区域は、浄化が終わるまでしばらくは立ち入り禁止になるんです」

「立ち入り禁止に……」

「必要でしたら、周囲の宿場町や避難所に確認を取ってみますよ~!」

「……お願いします」


大丈夫。

あの子たちは、きっと無事だ。

そう信じていても、永太と琴のことだけが気がかりでならない。


鬼に襲われたあの夜、私は一度死んだも同然の身だ。

その命を繋いでくれた人のために血を捧げることに、躊躇いはない。


朔夜は一番隊の隊長。

そしてこの子は十二番隊の書記と名乗った。

少なくとも、この組織には十二もの部隊が存在するということなのだろう。


机に並べられた書類に視線を落とすと、役目のこと、規則のことが目に入る。

昨日まで山間の小さな集落しか知らなかった私には、あまりにも広すぎる世界。


迷い、口を開きかけたその時。

ガラッと音を立てて、応接室の扉が開かれた。


「——失礼します」


凛とした、けれどどこか棘を含んだ声が響く。

顔を上げると、そこには私と同じ年頃の女性が立っていた。


身に纏っているのは、私の着物とは色違いの、鮮やかな朱色の装束。

白い肌に映えるその色は、燃えるように華やかで、ひと目で良家の娘だと分かる佇まいだった。

彼女は優雅な足取りでテーブルの傍らまで来ると、手にした扇子をトン、と立てるように置いた。


「あなたが、睦月様の番になられた方?」

「え……、はい。そうですけれど」

「……ずいぶんと、代わり映えのしない一般の方とお見受けしますが」

「何を以て一般というのか、私には分かりかねますけれど……」

「あなたさえ現れなければ。睦月様は人の血など求めず、気高く在り続けられたはずなのに」


朔夜の母親と同じ言葉。

けれど、あの場にいなかった人が吐く言葉は、どこまでも軽く、残酷に響いた。


必死に鬼化の毒に抗い、理性を失いかけていた朔夜の姿。

私が首筋を差し出してなお、彼は震える手で私を拒絶しようとした。

それでも、彼は生きるために、私の肌に牙を立てたのだ。

あれを、誰かが勝手に否定するようなことだけは、どうしても許せない。


「……だから、何ですか?」


私の静かな問いに、彼女の細い眉がぴくりと動く。


「あの方は本来、誰にも——それこそ番という枷にすら、縛られる必要のない御方なのよ」

「私は、朔夜を縛っているつもりはありません」

「あなたを庇った末に毒に侵され、番を成さざるを得なかったと聞き及びました」


……それは、否定しようのない事実。

もし、あの夜に私がそこにいなければ。

守るべき弱者がいなかったなら。

恐らく彼は、傷を負うことも、毒をその身に宿すこともなかったのかもしれない。


胸の奥が、鋭く痛む。


「番を持たずとも鬼を屠れた、完成された存在。あなたは睦月様を生かしているつもりでしょうけれど……あなたのせいで、あの方は穢されたのよ」


扇子の先端が、まっすぐに私の眼前へと向けられる。

まるで罪人へ白刃を向けるような仕草。

けれど、私は目を逸らさなかった。


「朔夜は、穢れてなんていません」


あの日、私を救ってくれた朔夜も。

朔夜を救いたいと願い、血を差し出した私も。

その決断を、私は絶対に間違いだったとは思わない。


これだけは、譲れない。

私たちは瞬きもせず、一歩も引かぬまま、鏡合わせのような沈黙の中で睨み合った。


「あわわ……西園寺様!!ここでの騒ぎは困ります~っ!」


書記の少女の必死の制止に、ようやく向けられていた扇子が下ろされた。

それでも、彼女の鋭い眼差しは変わらないまま、私を冷たく射抜き続ける。


「覚えておきなさい。あなたのような者に、睦月様の隣は似合わないわ」


吐き捨てるように言い捨てると、彼女は背を向けた。

ピシャッ!と、飾りのガラスが震えるほどの音を立てて扉が閉まる。


「……何、今の。怖すぎるんですけど……」


緊張の糸が切れ、思わず本音が漏れた。

あの夜、鬼を目の前にした時ほどの恐怖ではない。

強がって睨み返したものの、心臓はまだうるさいほど鳴っていた。


「西園寺様は、睦月隊長の『番候補(つがいこうほ)』の筆頭だったんですよ~」

「えっ!?そうだったんですか……朔夜は、特別な相手はいないって言っていましたけれど」

「睦月隊長は強すぎて、今まで番を必要とする場面が一度もなかったんです。他の隊員なら命を落とすような深手でも、隊長ならば自力で治癒が可能でしたし……」


……ということは。

あの時、私を庇って受けた傷と毒は、それほどまでに致命的なものだったのだ。

もし私が、あの時一瞬でも躊躇っていたら。

今頃、彼は——。


想像するだけで、背筋が凍るような戦慄が走った。


「鬼宿校には名家の令嬢も多く在籍していまして、西園寺様はその中でも中心的な存在でした。ずっと睦月隊長の番になることを望まれていたので……」

「そう、なんですね。……彼女からすれば、突然現れた私は、面白くない存在でしかないでしょうね」


朔夜自身が彼女を求めていなかったとしても。

完璧な彼を『穢した』原因として憎まれるのは、仕方のないことなのかもしれない。

けれど、仕方ないと理解することと、受け入れることは違う。

私は、朔夜が自分を化け物だと思わされるような言葉だけは、聞き流したくなかった。


屋敷に戻った後、畳の上に力なく寝転がる。

鬼省庁で渡された教材をパラパラと捲ってみるが、そこに記されているのは、現実とは到底思えないような異質な内容ばかり。

読み進めるたびに、知らない言葉と知らない理が増えていく。

まるで、昨日まで生きていた世界の外側に、もう一枚別の世界が隠されていたみたいに。


確かなことは、朔夜という男がいかに異次元の強さを持っているかということ。


十五歳で半人半鬼となり、すぐさま一番隊の隊長へ。

以来七年間、一度も番を必要とせず、ただ一人で戦い続けてきたのだ。


そして、番という存在は、生涯にわたって鬼狩りに血を捧げ続ける義務を負う。

もし番が死ねば、鬼狩りはまた新たな番を求める。

鬼狩りとなった時点で番を持つのが通例であるこの世界で、七年もの間、番を不要として在り続けた彼が、どれほど異端で、どれほど孤独だったか。


あの人は強い。

けれど、強かったからこそ、誰にも弱さを預けられなかったのかもしれない。


「生涯、か……」


朔夜が鬼を退治してくれる。

私はここで、彼の力となる。

その先に、いつかまた二人の柔らかな手を握れる日が来ると、私は信じたかった。

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よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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