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【完結】鬼狩りの番~置き去りにされた娘は、半人半鬼に血を捧げる~  作者: 木風


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第二十一話 雷鳴の一番隊長

「梓様!」


名を呼ばれ、肩を強く引かれた。


「こちらへ!早く、移動します!」

「で、でも——」

「迷っている暇はありません!急いでください!」


引かれるままに駆け出そうとして、ふと足が止まった。


地面に倒れ込んだまま、誰にも気づかれずに取り残されている隊士が。

先ほど運び出されてきたばかりの人だ。

まだ番も呼ばれず、手当ても満足に受けていない。

片足から先が真っ赤に濡れ、もはや自力では指一本動かせそうになかった。


鬼の影が、木立の間を縫うように、音もなくこちらへ近づいてくる。


「待って、この人が……!まだここに人が残っています!」

「梓様!危険です!!」


引き止める声が背後から飛ぶ。

けれど、考えるより先に身体が動いていた。

隊士の腕を自分の肩に回し、泥にまみれながら必死に彼を引きずる。

重くて、びくともしない。


それでも、なりふり構わず力を込めると、少しずつ、亀の歩みのように身体が動き出した。

濃紅の袖が泥を吸い、裾が足に絡みつく。

呼吸はすぐに乱れ、腕の筋が悲鳴を上げる。

それでも、ここに置いていくことだけはできない。


「立って……お願い、少しだけでいいから動いて……!」

「っ、……下がれ。お前、は……隊長の番、だろう……」


掠れた声はうまく聞き取れない。

相手の呼吸は浅く、顔色は青白さを通り越して土色に沈んでいく。

それでも、この人は私を逃がそうとしている。


その時、目の前にぬうっと、どす黒い影が落ちた。


顔を上げると、ねじくれた木の根元に、一体の鬼が立っていた。

頭の片側からだけ歪な角が伸び、裂けた口の端から長い舌がだらりと垂れている。

人を真似て嘲笑っているようにも見えるのに、その瞳だけは、濁りきった獣の欲望そのもの。


「ぁ……」


声が出ない。

喉が引き攣り、肺が酸素を拒絶する。


鬼は、のたりと首を傾げた。

まるで獲物をじわじわといたぶる愉悦を味わうかのように。


逃げなければ。

頭では狂ったように警鐘が鳴っているのに、足に力が入らず、地面に縫い付けられたように動けない。


その一瞬、朔夜の声が脳裏に蘇った。


『呼ばれたら走れ。俺のもとまで』


でも、喉が塞がったように声が出なく、誰のことも呼べない。


鬼が一歩、こちらへ近づく。

濡れた爪が朝の光を受け、鈍く光った。

それは、あの夜に見た地獄の続きを、もう一度目の前へ差し出されたような光景だった。

喉の奥で、かすれた悲鳴だけが震えている。


白銀の眩い閃光が視界を横切る。

ばりっ、と——世界そのものが引き裂かれたような、凄まじい衝撃音が響いた。

目を焼くほどの光に、思わず息が止まった。


雷——。

そう直感した時には、目の前の鬼が、真横へ木の葉のように吹き飛ぶ。

大樹に叩きつけられた肉の塊から、一呼吸遅れて、どろりとした返り血が垂れる。

焦げた獣臭と、焼けた土の匂いが、冷たい朝の空気を一瞬で塗り替えた。


「隊長だ!」

「睦月隊長が、結界から出てきたぞ!!」


歓喜に満ちた叫び声が、いくつも重なった。


結界の方角から、一条の影が疾風のごとく駆けてくる。

駆けているように見えたのは、ほんの一瞬のこと。

次にはもう、彼は鬼の群れのただ中に、泰然と立ちはだかっていた。


朔夜が刀を振るうと、一本の巨大な雷が地を這ったかのように見えた。


続いて、腹の底を揺さぶるような轟音。

耳の奥まで痺れるような低い残響が、山中を波紋のように駆け抜けていく。


銀の刃を中心に、白銀の光が軌跡を描いて奔る。

まるで、息を呑む間すら許さず、舞台のすべてを一太刀で塗り替えるような圧倒的な一閃。

その光に触れた鬼たちは、抗う術もなく身体を硬直させ、声にならない悲鳴を上げながら次々と崩れ落ちていく。


あまりに速く、あまりに苛烈な一撃。

何が起きたのか、私の目では到底追いきれない。

けれど、ひとつだけはっきりと理解できることがある。

朔夜が立っているその場所だけ、世界を構成する空気そのものが、他とは決定的に違う。


「——下がれ!」


肺の奥まで震わせるような声が響く。

同時に、彼の足元から凄まじい突風が巻き起こる。


爆ぜるように土が舞い、木の葉が狂ったように渦を巻く。

向かってきていた鬼たちの巨躯が、まるで枯れ葉のように無残に宙へと吹き上げられた。

爪を振り上げていたものも、牙を剥いていたものも、すべて等しく風に攫われる。


嵐の中心で、朔夜だけが微動だにせず、ただ静かに刃を構えていた。


振り上げた刀身には、青白い光が幾重にもまとわりついている。

それは雷なのか、風なのか、あるいはその両方なのか。

ただ一つ確かなのは、それが鬼狩り最強と言われる、朔夜の異能だということ。


「……散れ」


短く、冷徹な一言。

振り下ろされた刃から、眩い閃光が扇状に迸る。

視界を真っ白に焼き尽くすほどの輝き。

次いで、重なり合う絶望的な断末魔が山々に反響した。


風に煽られ、雷に焼かれた鬼たちが、まとめて地面へと叩き落とされる。

地を揺らす重い音が連なり、黒い血と土煙が一斉に跳ね上がった。


文字通り、一網打尽。

あとに残されたのは、鼻を突く焦げたような匂いと、黒い肉片の残骸だけ。


しん、と。

戦場の喧騒が、ほんの一瞬だけ、真空に包まれたかのように消え去った。

あまりの光景に、誰も声を発せない。

たった一人の男が現れただけで、死の気配に呑まれかけていた場の流れが、完全に変わっていた。


「負傷者を後方に下げろ!番は直ちに持ち場へ戻れ!」

「結界の外縁を再確認しろ、残党を一体たりとも逃がすな!」

「八番隊、破られた箇所の補修に回れ!」


我に返った隊士たちが、一斉に、怒涛の勢いで動き始める。

恐怖と安堵で今にも折れそうになる膝を必死にこらえながら、私はただ呆然と朔夜の背中を見つめていた。


朔夜は振り返らない。

呼吸ひとつ乱していないように見えるが、その背中からは、近づくことすら躊躇われるほどにぞっとするような、張り詰めた気配が漂う。


ただ鬼を斬ったからではない。

あの人は、たぶん——私たちが、番たちが、無防備な背後を襲われたことに、激しく憤っている。


私の視線に気づいたのか、朔夜がゆっくりとこちらへ向き直る。

鋭い双眸が、私の身体を上から下まで、傷がないか一瞬で確かめるように走った。

泥に汚れた番装束。擦りむいた掌。負傷した隊士の血が付いた袖。


それらを視認した後、彼ははっきりと顔をしかめた。


「なぜ、すぐに引かなかった」

「え……」

「言ったはずだ。俺の知らぬところで、傷つくことも、死ぬことも断じて許さん。と」


怒っているのが声からでも分かる。

それは、さっき鬼を屠った時よりも、ずっと怖く、重く響いた。


「だ、だって……目の前に、倒れている人がいて……放っておけなくて……っ」

「お前まで死んだらどうするつもりだ」

「……っ」


その一言に、喉の奥が詰まる。


死んだら。

朔夜に助けられる前の私なら、そんなこと、どうでもいいとさえ思っていたはずなのに。

けれど今は違う。

私が死ねば、朔夜を傷つける。

永太と琴を探し出す約束も、朔夜がくれた「家族になる」という言葉も、何もかも置き去りにしてしまう。


それを思い知らされて、胸が苦しくなった。

朔夜は一歩こちらへ近づくと、ふっと小さく、硬い吐息を漏らす。


ちょうどその時、村の内側で掃討完了を告げる法螺貝の音が、高らかに響き渡った。


「掃討、完了……!」

「村内の鬼、すべて討伐を確認しました!」


張り詰めていた隊士たちの顔つきに、ようやく安堵の色が戻り始める。

あちこちで、堰を切ったような安堵の声が漏れる。

ある者はその場に膝をつき、ある者は天を仰いで深く息を吐く。

少し離れた所にいた番の娘の一人は、緊張の糸が切れたようにへたり込み、嗚咽を漏らして泣き出していた。


私もその場に立ち尽くしたまま、ようやく、止まっていた肺を動かすように息を吐く。


終わった。

けれど、胸の奥には消えない別の震えが、澱のように残っていた。

鬼ですら、仲間を助けるために死地に現れる。

その歪な絆の存在が、妙に重く、冷たく、心の底へと沈んでいく。


元は人だったものが、人を喰らい、鬼となり、なお同胞を助けに来る。

そこにあるものを絆と呼んでいいのか、執着と呼ぶべきなのか、私には分からない。

ただ、恐ろしいだけでは片づけられない何かが、鬼という存在の奥に横たわっている気がした。


朔夜はそんな私の迷いに気づいていないのか、あるいは気づいていても敢えて何も言わないのか。

彼はただ、刀に付着した血を静かに払い、鞘に収めた。


その一連の動きは、荒れ狂う雷鳴の後に訪れる、一瞬の静寂に似ていた。

苛烈で、冷たくて、けれど目を逸らせないほど美しい。


雷が過ぎ去ったあとのような、焦げ付いた空気だけが、まだその場に色濃く停滞していた。

ブックマーク、★★★★★、リアクション

よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ

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― 新着の感想 ―
鬼も元は人なら、絆があるのか う〜ん、でも大切な人が1番 その人がもし鬼になったら…怖いな
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