第十六話 見失った弟妹
鬼に襲われるどうこう以前の話だ。
飢えや孤独を幼い二人が耐えられるはずがない。
琴は暗いだけで泣いてしまう。
永太だって、強がっているだけで、まだ小さな子どもなのに。
まさか、こんなことが——。
「だったら、お前が一緒に連れて行けばよかっただろう!」
「そうよ!自分が逃げ遅れた癖に人のせいにして、一人だけこんな立派なお屋敷でよい暮らしをして……よくそんな顔ができるわね!」
「母さんの言う通りだわ!姉さんこそ、私たちに申し訳ないと思わないの!?私たちがどれだけ苦労してここまで来たか!」
三人の声が、次々に降ってくる。
責められているのは私のはずなのに、まるで別の誰かの話を聞いているようで。
「——っ、私を……!!」
喉が焼けるように熱い。
口にしてしまえば、もう二度と元には戻れないような、そんな言葉が溢れ出しそうになる。
「私を、置いて逃げたのは、あなたたちの方じゃない……っ!!」
あんな恐ろしい目に遭っても、それでも生きたいと思えた。
それは、生きてさえいれば、いつか必ず二人と再会できると信じていたから。
あの子たちの笑顔だけを希望に、私はこの恐ろしい現実の中でも、辛うじて立っていられたのに。
その希望を、目の前の三人は、あまりにも簡単に踏みにじった。
温かい温もりが、肩に感じる。
朔夜の大きな手が、私の震える肩を慰めるように置かれた。
けれど、その掌の奥で、抑え込まれた怒りが静かに震えているのが分かった。
「……せっかくお越しいただいたところ申し訳ありませんが、本日の会食は中止です。お引き取り願えますか」
「い、いや、しかし睦月様、せっかくこうして……」
「俺の番の親族である貴殿らに、手荒な真似はしたくない」
肩に触れる彼の手に、僅かに力が籠もる。
私を支えるためなのか。
それとも、今にも抜き放たれそうな怒りを、自分自身で押さえつけるためなのか。
「聞こえないのか。……二度言わせるな。帰れ」
「……っ、ひいっ!」
朔夜の、底冷えするような冷徹な声が玄関に響き渡る。
さっきまで媚びるように笑っていた父と継母は顔面を蒼白にさせ、逃げるように門へと走っていった。
鈴だけが、一瞬だけ振り返る。
「姉さん。……姉さんだけ、こんなに……。絶対に許さないから」
去り際、鈴の呪いにも似た声が聞こえた気がした。
けれど、今の私にはそんな言葉を撥ね退ける気力さえ残っていない。
足に力が入らず、立ち上がる術も分からない。
玄関の冷たい床に膝をついたまま、私はただ、空っぽになった車の方を見つめ続けていた。
永太。
琴。
名前を呼びたいのに、声が出なかった。
ただ、胸の奥で何かが音もなく崩れていく。
それはきっと、あの日から必死に抱え続けていた、最後の希望だった。
「……すまない。俺の確認不足だった。まさか、身内を切り捨てて報告を上げていたとは……」
顔を上げる。
朔夜の痛ましげな表情が見えた気がした。
次第に視界が涙で歪み、何も見えなくなる。
「永太……琴……。どうしよう、私のせいだ。私が、あの時無理にでも二人を抱えていれば……あの子たちを、ちゃんと……」
「違う!お前のせいではない!」
ぐっと、肩を掴んでいた熱い掌が離れたかと思うと、有無を言わさぬ力で、その胸の中へと抱き寄せられた。
息が詰まるほど強い。
けれど、その強さに寄りかからないと、今にも崩れ落ちそうになる。
「それは違う。それを言うなら……俺が、もう少し早くあの場に到着してさえいれば、こんなことにはならなかった」
「そ、んな……朔夜のせいじゃ……っ」
「俺が、必ず見つけ出す。お前の弟も、妹もだ。約束する」
見つけ出す。
その力強い言葉に縋りたい一方で、冷たい現実が頭をもたげる。
集落が襲撃を受けてから、すでに一週間以上の時間が経ってしまった。
あんなに小さな子どもたちが、鬼から逃げられても、飢えや寒さを凌いでいられるだろうか。
生存の確率は、限りなく無に等しいのではないか。
考えたくない。
けれど、考えずにはいられない。
「二人がいなくなったら、わ、たし……本当の家族が……独りになって……」
「……俺がいる」
「朔夜……?」
「俺が、お前の家族になる。お前を独りにはさせない」
家族に……。
血の繋がりも、共有した時間もほとんどない私と朔夜が、家族になる。
それは番という、契約や役割で縛られただけの関係ではない、もっと別の……。
その名前を私は知っているけれど、口に出すのも躊躇われる……
「え……それ、は……」
「……お前を番として迎えたあの日から、俺はそのつもりでいた」
溢れていた涙は止まった。
けれど、代わりに朔夜の真意を測りかねて、言葉を失い俯くことしかできない。
行方不明の二人の安否を最優先に考えなければならないという焦燥。
今、彼から投げかけられた重すぎる言葉。
その二つを、今の私には同時に処理することができない。
「……すまない。今、言うべきことではなかったな」
「あ、あの……」
「心が弱っているところに付け込むような真似はしたくない」
考えがまとまらない。
今も、こうして彼に抱きしめられている。
もし私が今、この腕に抱きしめ返したら——。
そんな迷いを見透かされたように、ゆっくりと身体が引き離される。
二人の間に冷たい風が吹き抜け、混ざり合っていた体温が急速に下がっていく。
その喪失感が、胸の奥を細く締めつけた。
「……もちろん、無理強いはしない。お前の心が決まるまで待つ」
いつも見せる峻烈な無愛想さでも、私をからかうような軽薄な声音でもない。
静かで、慎重で、まるで刃を鞘へ収める時のように丁寧な声。
「俺自身……周囲が皆そうしているから、それが正しいと思い込んでしまっている可能性も、否定はできないが」
私を慰めるためだけの、安っぽい言葉ではない。
なし崩し的に始まった、鬼狩りと番という歪な関係。
そこに、新しい名前と意味を、朔夜は追加しようとしている。
家族。
その言葉は、私にとって温かいだけのものではなかった。
失って、奪われて、それでも手放せなかったもの。
だからこそ、軽々しく受け取るには重すぎる。
「……何より、抱きしめると駄目だな。何もせずとも、無性に血が欲しくなる」
「そ、そうなんですか……?え、あの……噛みますか?」
「お前……っ、そういうところだぞ……!?」
「ええっ、何がですか!?」
「……ふっ、まあいい。少しは落ち着いたみたいで安心した」
言葉の通りに受け取っただけなのに、なぜか彼を呆れさせてしまったようだ。
それでも、がんじがらめになっていた私の心は、この他愛ないやり取りで僅かに解されていく。
朔夜は片膝を立てたまま、無造作に前髪をかき上げた。
その仕草が、戦場で刀を払う時のように自然で、少しだけ見惚れてしまう。
こんな時なのに、と自分を責める気持ちと、それでも彼の存在に救われている自分が、胸の中で静かにぶつかった。
「さっきも言った通りだ。必ず二人を見つけ出す。心配するな」
見つける。
あの子たちは今、どこにいるのだろうか。
こちらから居場所を知らせる術はないけれど、幼い子どもの足だ。
一度辿り着いた町から、そう遠くへは行けないはず。
誰かが保護してくれているかもしれない。
泣き疲れて、どこかの軒下で眠っているかもしれない。
そうであってほしい。
そうでなければ、私はきっと息の仕方すら忘れてしまう。
「……それとも、俺のことが信用できないか?」
「ち、違います!信じています、本当です!」
「ならば、次の任務にはお前も同行しろ。傍で見ていろ」
「任務に、ですか……」
朔夜が戦う場へ。
前回の任務では、私はただこの屋敷で待つことしかできなかった。
何も知らされず、彼の無事を祈り続けるだけの時間は、あまりに長く、辛かった。
もし彼の戦う姿をこの目で見ることができたなら、少しは安心できるのかもしれない。
同時に、あの夜の光景も蘇る。
月下に走った白銀の閃光。
鬼を斬り伏せた、苛烈で静謐な太刀筋。
そして、私を庇って傷ついた背中。
「あの夜は、お前に無様な姿を見せたからな」
ぽんと、頭に大きな手を置かれる。
その掌は温かく、重く、今にも崩れ落ちそうな私をこの場所に繋ぎ止めてくれる。
恐らく、この人はきっと誰よりも強い。
そして、今にも折れそうだった私の心を、彼はその温もりと不器用な優しさで包んでくれている。
「独りではない」という確信が、冷え切った胸の中に、小さな火を灯してくれた。
ブックマーク、★★★★★、リアクション
よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




