第十五話 再会を待つ玄関
「いい加減、落ち着いたらどうだ」
「だって、もし途中で道に迷ったりしていたら……」
「迎えの車を差し向けている。迷うわけがないだろう」
呆れを隠さない低い声が、広々とした玄関に響く。
けれど、落ち着けと言われても土台無理な話。
あの日、地獄のような惨状の中で生き別れた家族の無事がようやく分かり、今日、ここで再会できるのだから。
車が到着するのはまだ先だと分かっていても、じっとしていられない。
何度も何度も玄関と門の間を往復しては、遠くの道の先を覗き込んでしまう。
砂利を踏む音が落ち着きなく行ったり来たりして、自分でもおかしいくらいだった。
二人は、この数日間ちゃんと食事を摂れていたのだろうか。
ひもじい思いをして泣いてはいなかったか。
夜は慣れない避難所で安眠できていたのだろうか。
暖かくなってきたとはいえ、寒い夜には三人で身を寄せ合い、お互いの体温だけを頼りに眠ったあの夜の感覚が、昨日のことのように鮮明に思い出される。
琴は、怖がるとすぐ私の袖を握る。
永太は、泣きたいのを我慢して、いつも唇をきゅっと結ぶ。
あの子たちが今、誰の手を握っているのか。
そう考えるだけで、胸が落ち着かない。
「……朔夜は、お部屋で待っていてもいいですよ」
「気にするな。ここで待つ」
玄関の上がり框に腰を下ろしているということは、彼は私に最後まで付き合うつもりなのだろう。
軍服ではなく着物姿なのに、その座り方には隙がない。
「お前が小動物のようにそわそわと動き回っているのも、見ていて飽きないしな」
「……それ、絶対に面白がっていますよね」
「楽しいと言っているんだ。褒め言葉として受け取っておけ」
私は少しだけ口を尖らせながら、朔夜の隣に膝を抱えて座った。
黙っていると、また立ち上がって門まで走ってしまいそうだったから。
「ねぇ、朔夜には、あのお姉様以外にご兄弟はいないんですか?」
「……離れて暮らしてはいるが、弟と妹がいる」
「そうなんですね。……いつか、お会いできるんでしょうか」
このお屋敷に来て、朔夜のお母様に会ったのはあの一度きり。
あの時の張り詰めた空気から察するに、家族仲は決して良好とは言えないのかもしれない。
それは、長い間継母や義妹の鈴と上手く過ごせず、常に疎外感を感じてきた自分自身の境遇と、どこか重なるような気がした。
「少しずつでもいいから、お互いのこと、知っていきたいんです」
「……なぜだ。役割としての番を全うするだけなら、不要な知識だろう」
「だって、私たちはずっと一緒にいるのでしょう?契約だけじゃない、何か……確かなものを築いていきたいんです」
「……そう、だな。確かに、お前の言う通りだ」
つい先日までは、お伽話や伝承の中だけの存在だと思っていた鬼。
そして、それを狩る人々。
明日の命さえ保証されない世界だけれど、それでも、遠い先の未来について語り合うことは、今の私たちにとって何より必要なことに思えた。
そんな取り留めのない対話を重ねていると、やがて遠くから車の音が近づいてきた。
「来た……っ!?」
勢いよく立ち上がると、居ても立ってもいられず門に向かって駆け出す。
「門の外へは出るなよ!」
「はい、分かっています!」
あぁ、やっと、やっと二人に会える。
永太、琴。
込み上げる涙を堪え、停車した車の扉が開くのを、祈るような心地で見守った。
……けれど。
車から降りてきたのは、期待していた小さな影ではなく、父と継母、そして鈴の姿だけだった。
「梓!でかしたぞ、お前は我が家の誉れだ!」
「なんて、なんて大きなお屋敷なの……!」
再会を喜ぶ言葉などひとかけらもない。
父と継母は欲望を隠そうともしないぎらついた瞳で私を眺めると、土足同然の勢いで屋敷の中へ踏み込んでいった。
二人の視線は、私ではなく、玄関の柱や敷かれた絨毯、奥に見える調度へと忙しなく滑っている。
「姉さん、本当に……男性に取り入るのだけは、お・じょ・う・ず・なのね。感心しちゃうわ」
すれ違いざまに投げつけられた、鈴の棘を含んだ囁きにはっと我に返り、車の中を覗き込む。
けれど、そこにも永太と琴の姿はなかった。
私は凍りついたように立ち尽くし、慌ててその後を追いかけた。
「いやぁ睦月様、逸れた時はどうなることかと思いましたが、まさかこんな立派な御方に拾われていたとは!運のよい娘だ!」
「本当にお恥ずかしい限りですわ。こちらこそ、至らぬ娘がお役に立てておりますでしょうか」
「とんでもないです。彼女にはいつも助けられてます」
「そんなご謙遜を!どうぞ、煮るなり焼くなり好きに使ってやってください!」
「そうですわぁ。丈夫なことくらいしか取り柄がございませんから」
私の存在など透明な置物であるかのように、二人は朔夜との談笑に興じている。
屋敷の調度品を品定めするように見回す継母と鈴。
その姿を目の当たりにして、一度は消えたと思っていた不安が、再び胸の内に湧き上がった。
「——今後のことにつきましては、当家が責任を持って援助いたします」
「本当ですか!それはありがたい!」
「はい。衣食住はもちろん、必要であれば敷地内に別宅を構える用意もございます」
朔夜の提案に、父と継母の目の色が変わったのが分かった。
まさか。
いくら何でも、そんなはずはない。
だって、あの子たちはまだ幼い。
二人を置いて、自分たちだけがここへ来るなんて。
嫌な予感が脳裏を掠め、焦る気持ちだけが膨らんでくる。
「待って!父さん!永太と琴は?二人はどうしたの!?」
悲鳴のような私の問いに、ようやく父と継母の足が止まった。
「ま、まぁ、いいじゃないか。今日は大人同士の込み入った話もあるのだし」
「そうよ、梓。今日は再会のお祝いですもの、お食事も用意されているのでしょう?早く案内なさいな」
いいわけがない。
何かがおかしい。
胸の奥で、あの日置き去りにされた夜と同じ冷たい恐怖が蘇る。
私は、前を歩く朔夜のもとへ、縋るように駆け寄った。
「朔夜、永太と琴が……私の弟と妹が、まだ来ていないんです」
「何……?どういうことだ」
「私、今すぐ迎えに行きたいです。あの子たちの好物も用意してもらっているし、それに……」
「……十二番隊からの報告では、保護された親族は『三名』だったはずだが」
「三名……?」
その言葉を聞いた途端、心臓が嫌な音を立て始め、喉の奥がきゅっと細くなる。
父へと向き直る。
見るからに動揺した様子で泳がせていた視線を、父は不自然に逸らした。
「父さん……どういうことなの?二人はどこにいるの?」
どうか、私の最悪な予想が外れていてほしい。
どこか別の車で来るのだと。
避難所で熱を出して、今日は来られなかっただけなのだと。
そんな、都合のいい答えを必死に探す。
けれど祈るような思いとは裏腹に、握りしめた拳には指が食い込むほど力が籠っていた。
「だって、仕方ないじゃない!あんな状況だったんだから!」
沈黙を破ったのは、義妹の鈴だった。
開き直ったような、どこか苛立ちの混じった声。
その声だけで、背筋に冷たいものが走る。
「鈴……」
「二人が町の近くまで来た時、急にあんたと一緒じゃないと嫌だって泣き出したのよ。あんなに騒がれたら、目立ってしょうがないじゃない!」
「……え?」
「そうよ。いつ鬼が追いかけてくるかも分からない状況だったのよ?避難所に五人もまとめて受け入れてもらえる確証だってなかったし……」
「待って、そんなことはどうでもいい。それで、二人は……二人は今どこにいるの!?」
耳元で心臓の音がうるさいほどに鳴り響いている。
自分の体温が急激に上がっているのか、それとも凍りつくほど下がっているのかさえ、もう分からなかった。
息を吸っているはずなのに、肺の奥まで空気が届かない。
「……勝手に走って行って……そのまま人混みに紛れて、見失ったんだ」
「追いかけようとはしたわよ!でも、逃げる人でごった返していたし、私たちだって自分の身を守るのに必死だったんだから!」
頭の中から、すうっと血の気が引いていく。
一気に膝から力が抜け、私はその場に力なく崩れ落ちた。
「大丈夫か!?」
朔夜が、心配そうに私の顔を覗き込むようにして隣にしゃがみこむ。
その声が、どこか遠い。
嘘だ。
そんなの、嘘だ。
まだ誰か大人が、善意のある人が一緒にいてくれたなら……。
けれど、あのような混乱の中で、他人の子どもの面倒を命懸けで、見返りもなく見てくれる人が、果たしてどれだけいるだろうか。
実の親であるこの人たちですら、自分たちの保身のために、あんなに小さな子たちを見捨てたというのに。
「永太と琴は……まだ四歳と三歳よ。そんな、あの日からずっと、たった二人きりで……?」
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