第十七話 戦地へ向かう番
三日後。
任務へと向かう車の後部座席で、私は朔夜の隣に座っていた。
狭い車内には、私たちの他にも二組の鬼狩りと、その番の方々が同乗している。
並んで寄り添うように座る彼らの間には、互いを慈しみ合うような親密な空気が流れていた。
膝の上で重ねられた手。
何気なく外套を掛け直す仕草。
言葉にしなくても通じ合っているような眼差し。
私と朔夜に比べて、その距離感は驚くほど近く、自然に見えた。
きっと、色々なことを共に乗り越え、長い年月を連れ添ってきたのだろう。
「——これから向かうのは、鬼に占拠された村だ」
朔夜の声が、車輪の振動を縫うように低く響く。
私が襲撃を受けたあの日、目にした鬼はたったの二体だった。
けれど、そのたった二体に、平和だった集落の人々は一瞬で蹂躙された。
村一つが丸ごと占拠されるほどだなんて、一体どれほどの数の鬼が跋扈しているのだろう。
あの夜の赤い空。
血の匂い。
泥の上に転がった母の位牌。
思い出した途端、膝の上で握った手に力が入った。
「心配するな。お前たち番が待機する場には、鼠一匹通さない」
朔夜はそう言い捨てると、静かに瞼を閉じ、悠然と脚を組んだ。
背もたれに預けられた彼の腕が、振動のたびにわずかに私の肩に触れる。
無愛想な彼なりの、不器用な気遣いなのだろうか。
伝わってくる確かな体温が、私の緊張を少しだけ和らげてくれた。
朝から半日ほど車に揺られ、ようやく辿り着いた先では、すでに野営の準備が着々と進められていた。
山の端には夕暮れの色が滲み、遠くの森は黒々と沈んでいる。
空気には、土と草と、陣中食の匂いが混じっていた。
「ここが、俺たちの天幕だ」
周りの幕舎に比べて、一回りほど大きく設えられた天幕に案内される。
外から見れば簡素な作りだが、中は思いのほか広く、整然としていた。
入口近くには作戦用の簡易机と地図が広げられ、壁際には研ぎ澄まされた刀が立てかけられている。
真新しい金盥と水差しまで完備されていた。
「これ……二人一緒、なんですか!?」
「……安心しろ。衝立で仕切らせてある」
「あ……、そっか。そうですよね。すみません」
奥に目をやると、厚手の敷物と夜具が二組。
その境には、目隠し代わりの厚い布が垂らされていた。
同じ空間で寝起きを共にする。
これはこれで、私だけが過剰に意識しているようで、頬に熱が昇るのを感じた。
「——来たな」
「え?何が……」
朔夜が短く呟くと、バサバサッと羽音を立てて、黒い塊が天幕の中へ飛び込んできた。
「きゃっ!?何、何が入ってきたんですか!!?」
「騒ぐな。俺が使役している『隊鳥』だ」
そう言いながら、彼が差し出した腕には、一羽の鳥が止まっていた。
丸い瞳が、瞬きもせずこちらを見ている。
「フクロウ……?」
「アオバズクだ。こいつを介して、逐一お前の弟と妹の情報が届くよう手配してある」
「な、何て書いてあるんですか!?」
「……お前の親が避難した町には、該当する子どもは見当たらなかった、と」
その報告に、暗く重い感情が再び頭の中を塗り潰していく。
やはり、あそこにはいなかったのだ。
永太と琴は、あの日からずっと、どこか知らない場所にいる。
「近隣の宿場町にも捜索範囲を広げる。悲観するな、必ず見つかる」
朔夜の腕の上で、アオバズクが丸い瞳でじっと私を見つめている。
そして、私の悲しみを察してか、あるいは単なる習性か、ぐるんっと器用に首を回した。
その仕草に、張り詰めていた心の糸がふっと緩み、思わず笑みが零れてしまう。
「ふふっ。この子、触っても大丈夫ですか?」
「あぁ。機嫌は悪くない。噛むこともないだろう」
そっと人差し指で頭に触れると、ふわりとした羽毛の、温かな触感に指先が沈み込む。
少し撫でてやると、気持ちよさそうに目を細める。
集落で飼っていたニワトリや、よく見かけたウズラの感触を思い出し、懐かしさが胸を突いた。
「可愛い……」
「そうか。気に入ったのなら、餌もやってみるか?」
「あ、それは遠慮しておきます」
「……なぜだ?さっぱり分からん……」
猛禽類の主食は、おそらく小動物や虫。
それを素手で扱うのは、少々遠慮したい。
私の即答に、朔夜は不思議そうに眉をひそめ、訝しげに目を細めた。
屈強な軍服の男の腕に、丸っこいアオバズク。
張り詰めた戦場の幕間に差し込まれたような、奇妙に穏やかな光景。
そのちぐはぐさが、おかしくて仕方がない。
「俺はこれから作戦会議に行ってくる。野営地内であれば好きに動いて構わない」
「わかりました。お気をつけて」
「あまり遠くへは行くな」
「はい」
「……本当に分かっているのか?」
「分かっていますって」
そう答えると、朔夜はわずかに眉を動かす。
それが安堵なのか、疑いなのかは分からない。
けれど何も言わず、彼は天幕を出ていった。
音もなく飛び立つ鳥の影と、迷いのない足取りで歩き出す朔夜の背中を見送る。
周囲では、隊員たちが設営や整備のために慌ただしく行き交っていた。
縹色の番装束に身を包んでいるのは、隠密を担う四番隊の番。
翡翠色は追跡を得意とする五番隊の番。
誰もが皆、この戦地において何らかの役割を担って動いているように見えた。
荷を運ぶ者。
薬箱を確認する者。
地図を覗き込み、鬼の気配がある方角を示す者。
それぞれの動きには無駄がなく、緊張と秩序が同時に息づいている。
けれど、この空間で、私だけが自分のすべきことを見つけられない。
集落にいた頃と同じだ。
どこにいても、自分の居場所がないような、ふわふわと宙に浮いた感覚に襲われる。
朔夜の番であることは確かなのに、では今ここで何をすればよいのか、誰も教えてはくれない。
何もやましいことはないのに、居場所を探し求めるように、天幕の間を当てもなく歩き出す。
「梓様!」
不意に明るい声で名前を呼ばれ、足を止める。
視線を向けると、そこには先ほどの車に同乗していた二人の番の女性が立っていた。
「お二人はここの天幕なんですね」
「はい」
「宜しければ少し、お話ししませんか?私たち、一度梓様とお話しができればと思っていたのです」
その言葉に、ドキリとした。
脳裏をよぎるのは、あの西園寺さんに投げつけられた『相応しくない』という言葉。
ここでも、また身の程知らずだと詰られてしまうのだろうか。
思わず身構える。
けれど、次に視界に入ってきたのは、二人が柔らかな笑みを浮かべ、深々と私に頭を下げる姿だった。
「睦月隊長の番となってくださり、心から感謝申し上げます。ありがとうございます」
「そ、そんな!私の方こそ何も分かっていない身で……。お願いです、頭を上げてください!」
「いいえ……。以前は、もっと……その、一番隊は番の入れ替わりが非常に激しかったのです。ですから、睦月隊長に番ができて、皆安堵していると思います」
「睦月隊長がいるといないとでは、鬼狩りの生存率が全く違いますから」
「もし、番となった鬼狩りが任務で亡くなれば、残された私たちは……」
亡くなる。
その単語が、ずしりと重く胸に沈んだ。
出会ってから今日まで、私は朔夜の怪我を心配することはあっても、彼が死ぬなんて、一度も考えたことがなかった。
けれど、それは単なる幸運に過ぎないのかもしれない。
私が、最強と謳われる一番隊隊長の番になれたからこそ、持たずに済んでいた危機感。
彼女たちは、戦地へ向かう背中を見送るたび、私が想像もできないほど深い不安と対峙し続けているのかもしれない。
「あの……一つ伺ってもよいでしょうか。鬼の目的とは、一体何なのでしょうか」
「……元来、鬼は食料として人間や家畜を襲うだけの存在でした」
「けれど近年は、鬼そのものを増やすことへと目的が変質しているようです」
「鬼を、増やす……」
鬼狩りが鬼を狩り、鬼がまた人を喰らって鬼を増やす。
そんな救いのない絶望的な追いかけっこが、いつ終わるというのだろう。
すべての鬼をこの世から根絶するまで、この拭いきれない不安が付きまとい続けるだなんて。
思わず、朔夜が歩いて行った方へ視線を向けた。
気のせいかもしれないけれど、作戦会議の場がある方から、彼の気配を感じられたような気がした。
さらにその向こうには、鬼に占拠された村がある。
朔夜は、そこへ向かうのだ。
「あ、作戦会議が終わったようですね」
「それでは梓様。また明日も、宜しくお願いしますね」
「はい。こちらこそ……」
歩み寄ってくる副官の方々に会釈をして、二人はそれぞれの天幕へと消えていった。
少し歩いてから振り返ると、仲睦まじそうに、何か話しながら天幕の中へと入っていく二組の姿が見える。
出迎える笑顔や、声を掛ける間も、ごく自然に。
……あの二人は、いつもどんな会話をしているんだろう。
私は、朔夜のために何ができるのだろう。
きっと、私が番としてやるべきことは、ただ血を差し出すこと、それだけではないはず。
なのに、それ以外に何ができるのか、今の私にはまだ分からない。
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