第十話 失われた故郷の名簿
「——頼まれていたものだ」
特に会話を交わすこともなく、ただ向かい合って過ごした静かな夕餉が終わる頃。
食後のお茶を啜っていると、紙の束が目の前へ差し出された。
「……何、ですか?」
「お前が十二番隊に調査を依頼していただろう。襲撃を受けた集落の、被害者の一覧だ」
その言葉に、慌てて紙の束を手に取った。
指先が、紙の端に引っかかる。
狭い集落だ。知らない人間など一人もいない。
最初に襲われた隣の村にだって、幼い頃からの知り合いが何人もいた。
紙をめくるたび、慣れ親しんだ名前がいくつも並んでいるのが目に入る。
墨で記された一つひとつの文字を追うだけで、胸が抉られるように苦しくなり、指先が激しく震えだす。
いつも畑仕事を手伝ってくれた、朗らかなおばさん。
山菜の美味しい見分け方を教えてくれた、腰の曲がったお爺さん。
慣れない永太と琴の子守を、嫌な顔一つせず手伝ってくれた優しいお姉さん。
隣の集落から、泥だらけになって笑いながら一緒に手習い所に通った友達……。
名前を見つけるたび、その人の声が蘇る。
笑い方。歩き方。手の温度。
紙の上では、ただの数文字でしかないのに。
そして、新八さんの名前を見つけたとき、私の呼吸が止まった。
私の家だけではない、他の家々にも必死に避難を呼びかけて回っていた新八さんが。
私に、金平糖の瓶を差し出してくれた人が。
あの時の、宝石のように綺麗な甘さを思い出す。
どうしてあの時、私は彼の純粋な優しさを「鈴にバレたら面倒だ」なんて、思ってしまったのだろう。
どうして、ありがとうの一つも、もっとちゃんと言えなかったのだろう。
あの夜、小さく手を振って去っていった彼の後ろ姿が脳裏に蘇り、申し訳なさと喪失感で、視界が滲んでいく。
紙の白に、ぽた、ぽた、と熱い滴が落ちた。
墨が滲む。
その名前まで、消えてしまいそうで、慌てて袖で涙を押さえた。
「うっ……、ふ……っ」
「……現在、確認できている範囲では、お前の血縁者と一致する名はなかった」
永太と琴の名前が、そこにはない。
数えきれない悲報の中で、それだけが唯一、私が正気を保つための細い糸だった。
「もう少し時間を置けば、近隣の宿場町や寺院へ避難した住民の全容も判明するだろう」
朔夜は不器用ながらも精一杯の温かな言葉を掛けてくれている。
それは分かる。
けれど、喉が引き攣って声にならない。
もしあの時、私が無理にでも二人を抱えて逃げていたら。
朔夜と共に出会えていたなら、今頃あの子たちをこの腕の中に抱けていたのだろうか。
琴の柔らかな頬を撫でて、永太の強張った手を握って、大丈夫だと何度でも言ってやれたのだろうか。
……会いたい。
今すぐにでも、あの子たちの温もりに触れたくて仕方がない。
紙を握りしめる手に力が入り、クシャリと音を立てる。
止まらない涙を隠すように、私は受け取った紙の束で顔を覆った。
「……お前の家族は、俺が必ず見つけ出す」
いつの間にか、彼は私の隣に座っていた。
不意に、ぐいっと強い力で肩を引き寄せられる。
数多の鬼を狩ってきた、刀を振るう腕。
その腕が、今は壊れ物を扱うように私を抱き寄せていた。
予想だにしなかった彼の温もりに、心臓が止まるかと思った。
けれど、この腕を手放すことはできない。
どうしようもなく、その熱に縋りついてしまいそうになる。
「だから……その……。これ以上、泣くな」
言い慣れていない慰めを、無理やり口にしたような声。
命令の形をしているのに、少しも冷たくない。
むしろ、どうすればいいのかわからず、困り果てているように聞こえた。
涙はまだ、溢れて止まらない。
けれど、この人の仄かに香る匂いに包まれると、心が少しずつ落ち着いていくのを感じた。
血と鉄の匂いではなく、かすかな沈香の残り香。
「っ……、……はい」
強くて、冷徹で、無表情で。
何を考えているか分からない、ひどく不器用な人。
出会ったばかりの私は、彼のことをそんな風に見ていた。
けれど、肩に感じる掌の熱は、そのどれとも違って、あまりにも切実で優しい。
私を守ると告げた時の声も。
必ず見つけ出すと言った今の言葉も。
どちらも不器用で、乱暴で、けれど嘘がない。
それが余計に、堪えていた感情を崩壊させる。
出会って、まだ数日。
交わした言葉も、それほど多くはない。
それなのに、私はこの力強い腕に、みっともないほど縋り付いて泣き続けた。
静かな部屋で、二人の鼓動だけが、重なり合うように響いていた。
まるで、誰にも見られず、ただ互いの呼吸だけを確かめているように。
その夜だけは、私は泣くことを、許された気がした。
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