3話 魔女
”魔女”
それは特殊な力ーーー魔法や奇跡、祝福とは違った力であり、人間としての倫理を侵略した悪魔の力である呪術を操る者を指す。
またはそう見える者を指す。
身体が痛む。
治癒の才で再生していく。そうしたら、また崩れていく。その繰り返し。
なんとか逃げ終えたものはいいものの、全身、氷漬けにされ、強制的に炎で梳かされ、あげくの果てには崖から落ちた。
幸いなことに、落ちた先には深雪が積もっていたので、命に別状はなし。
「…」
不幸なことに死にきれなかったのかもしれないが…。
とにかく、おなかがすいた。
雪の嵐は治まっていた。
だが、あたり一面は雪景色で、食べられるものがなにもない。
屋敷から食べ物を盗んでくるべきだった。
空腹で死にそうだ。
雪景色を見ていると、雪の精霊を思い出す。
あの男のとなりにいた上位精霊。
精霊は微精霊と呼ばれる存在から、大きな力をもった上位精霊までに区分される。
上位になるほどに、言葉を離すこと、姿をとること、契約することができるーーーらしい。
微精霊レベルだと、見える人は限られるが、上位になれば、多くの人に見える。
雪の精霊が雪を栄養源にするのであれば、俺だって…
食べるものがなかったし、喉は乾いていた。
「それ呪詛よ」
それは命からがら逃げきった次の日だった。
砕くのに失敗し、表面だけが大きく傷のついたエメラルドの翡翠の宝玉。
すぐに金に換えたかった。そこらで見つけた、まだ品のよさそうで買取屋で高値で売りつける直前にーーー
「それ呪詛よ。呪われた宝玉を売りつけようなんて いい度胸してるわね」
横槍が入った。
声の先を見ると、女が立っていた。ドアの小窓から差し込む逆光でよく見えない。
金色の髪が後光に照らされ、神秘的に淡い輝きを纏っている。
薄闇の中でも輝くような翡翠の双眸。美しい絵をさらに華やかにする額縁のように、長くくるん、とした睫毛。
凛とした佇まいとよどみのない発言からわかる横暴さ。
それは既視感を感じさせた。
坊ちゃん…!
女は横暴な態度は隠さずに、ずかずかと近づいた。手慣れた仕草で白い手袋をし、鎖のじゃらりとした音を立てながら、ルーペを手にする。
「イーツダンジョン10層 ルキシア泉の宝玉ね。金箔と骨の残骸が残っているわね。中堅の中ではS評価といったところかしら」
口調の厳しさとは裏腹に高評価だな、と思ったそのとき。
まるで人の心理の上下を楽しむかのように
「呪詛入りじゃなかったらだけど」と最後の最後ですべてをふっくりかえす言葉を言った。
「おいおいおいっ! 呪詛入りってなんだよっ!?」
衝動でカッとなる。
女の胸蔵を掴むと、女は見事なまでの上質な布の服と無駄に装飾の多い馬鹿みたいに大きなリボンを胸にしていた。
そして女はひどく軽かった。
「クララちゃん、あんまり虐めちゃ駄目だよ」とカウンターの下から若く高い声がした。
どうやら、この女はクララと言い、この店主とも知り合いらしい。
「お客さん、この女に手を出すと危ないぞ」と忠告する。なぜ、と訊く前に答えが返ってきた。
「魔女だからね」
魔女、と口の中で反復する。
「クララちゃんの見る目は確かだから」とカウンター下の女がカウンターから顔を出し、優雅に頬杖をついた。やけにねっとりと、誇らしげに言う。「クララちゃんは”真贋の才”があるんだよ」
”真贋の才”
この常識知らずの女に、真実を見分けられるほどの目があるとは思えない。
クララと呼ばれた女は、淡々と滑らかに言う。
「近々、人が死んだわね。放火と殺人ね。主人は人徳は低かったみたい。この石を手に入れた経路はよくないわね。憎悪と恩讐、血の痕もみえる。この石は主人を不幸にさせるから駄目ね。今すぐ誰かにあげるか、壊すかね。と言っても、呪いが強ければ強いほど壊せないものだし、なにしろあなたは失敗してる」
今、売ろうとして売りつけが上手くいっていたところだったんだよ!
それをあんたが横槍挟んで台無しにしたんだ、という怒りがこみあげてきた。
その感情が顔にでてしまったのか、ただ状況を客観的に見ていたのか
「じゃあクララちゃんが買い取っておいでなよ」と店主が言う。「わたしは120クーラントの値段をつけた。クララちゃんは360クーラントで買い取りな」
そう言い、終わるか否やで、店主は一枚の領収書と錆びた質の悪い銅貨を差し出した。
「はい、差し引きで10クーラント」とクララに銅貨を渡し、
「こっちは120クーラント」と俺には120クーラント分の60と書かれた銅貨と40と書かれた銅貨と1と書かれた銀貨を渡した。
「おいっ」俺は店主のキノコヘッドの女を睨みつけた。この店主は普段、姿を隠していた。
変な恰好をしている。変装なのか、素なのかはわからない。
世の中、は普通がなにかわからなくなるくらいに多様性だ。
この店主もそのうちのひとりだった。種族がなにか判別できない。
それよりも問題は…
俺は思考を切り替えて、店主を睨みつけた。
「俺を馬鹿だと思っているのか」
俺は睨んだが、店主はへらへらと嗤った。確信犯の嗤いだった。
馬鹿にしやがって。
「賢いなぁ。最近の子は頭がよくて困るよ」とちょろまかした分の差額を埋めるように、硬貨を追加した。
「…騙して御免よ。蜜山羊だと思ったんだーーーークララからむしり取った分をやるから許しておくれ」
倍以上の効果を追加した。
すべて本物だ。
『蜜山羊』砂糖に酔う山羊モンスターを由来とする。甘い話に騙される馬鹿という意味だ。
俺はカウンターに差し出された硬貨をすべて受け取った。
1枚ずつ、光に透かして本物か吟味し、腰の小袋に入れた。
騙し合いは世の常だ。騙し合いが嫌だというのなら、騙されない賢者になるか、金も打算も考えない精神論に生きるしかない。
だから俺は騙そうとされた事に憤慨してない。
騙す側になれなかった自分だ。
用は済んだ。颯爽と踵を返す。『魔女』のとなりをすり抜ける。魔女は微動だにしなかった。
愛想の欠片もない。
「客よ」
後ろから声が呼び止める声がした。
「忘れ物だ」なにかが投げられる気配がした。反射的に身を翻して、受け取ってしまった。
固い宝玉が手になじむ。
「呪石は要らないからな」
用心棒の男ときのこ頭の女店主、そして『魔女』と呼ばれたクララ。
腰の巾着には、ちゃんと硬貨の感触がある。
だが現実味がないほどに騙されている気がしてならない。
奇妙な感覚がしながらも、俺はこの店を去っていった。
店なんてどこにでもある。ここである必要はないし、俺はなにも奪われてなんかない。




