第7話 さながら王子様のように
かつてアルテナ学園に転入したばかりのティアリには、レリアから読み聞かされた童話や御伽話の中でも、心に残っている話が二つあった。
一つは【ルーネリアと魔法の石】で、もう一つは……【猫と王子様】だ。
とある町の話。路地裏に住む一匹の野良猫がいた。
野良猫は母親猫と別れてからというもの、いつも腹ぺこだった。仲間たちが食べ物を人間から奪ったり貰ったりする中で、その猫だけは臆病な性格のせいで、草ばかり食べて生きていた。
しかしとうとう限界が来て、寒い日の朝、日陰で倒れてしまう。
ああ、このまま死ぬのかな。最後にお腹いっぱい、ご飯が食べたいな……。
そう思いながら目を閉じた野良猫は、一生眠るつもりだったけれど、また目を覚ますことができた。
ふかふかの床でぼんやりと目を開けた猫は、そこで自分を心配そうに見つめる人間と出会う。
「良かった。起きたんだね」
人間の男の子だ。手にはミルクの入った器を持っている。
「お腹が空いただろう? たんとお食べ」
猫は初めてお腹いっぱいのご飯を食べた。半分はご飯で、もう半分は男の子の優しさで満たされた。
猫は思った。この男の子は、優しい優しい王子様だと。
元気になった猫は、王子様と友達になった。
猫は王子様に抱かれて、共にいろんな国を巡る旅へと出る――そんな話だ。
*
(――王子様、みたいだ)
ティアリは堂々と名乗ったライカを見つめる。腹を満たされたわけではない。助けてくれた優しさが、ティアリの胸をいっぱいにした。
「さあ、早く切符を彼女に返してください」
男は言い返そうと前のめりになるも、周囲の視線が棘となり男を刺す。誰一人、彼の味方をするものはいない。
顔を歪めた男は「あああ!」と叫びながらライカに殴りかかるも、駅員から連絡を受けた警備隊により確保された。
「なんでだよ、妹に……イレーナに会わせろよォッ!」
「話はこちらで聞く。大人しくしろ!」
「劇団はルヴェーラにいるんだろ。なあイレーナ……金がもうねぇんだ、なあ、俺を助けてくれよ――」
妹の名を空虚に響かせながら連行される男を、ティアリは視界に映らなくなるまで見つめていた。ライカもまた、自分と同じように男の行く末を見守っていた。
ティアリはライカから切符と通行証を受け取る。
「……どんな事情があるとは言え、人のものは奪っちゃいけない。僕はそう思います」
素直な子だなと、彼女は思った。ライカの顔には同情と哀れみ、そしてその二つを上回るほどの、確固たる正義の意志が色濃く出ている。何よりも、それを隠すことなく自身の感情として受け止めている。
人に抱く想いの種類は決して一つでなくともいい。そう言外に伝えられた気がして、ティアリは胸を撫で下ろす。
「あの……あ、ありがとう」
「いえ、礼には及びません! それに、アミキティア学院に行くなら、もう仲間ですから――」
「ライカくーん!」
人混みを掻き分けながら手を振る男が、ライカの名を呼びながら近づいてきた。
「あ、師匠だ」
夜になる直前の夕焼け色をした髪に、紫水晶を映したような瞳。肩までつきそうな長髪を、後ろで軽く団子にしているようである。
「いや、通行証の発行に時間がかかっちゃって。ごめんねライカくん。間に合って良かった!」
「ギリギリです師匠!」
「ごめんごめん。私が切符を失くしてしまったばかりに。……ところで、そちらのお嬢さんは?」
「切符を取り返したんです!」
ライカの言葉にティアリはずっこけそうになった。あまりにも説明不足すぎる。案の定首を傾げる男に、ティアリは慌てて会話に割って入った。
「わ、わたしがその、他の人に切符と通行証を盗られてしまって。泣き寝入りかと思っていた時に彼が声を上げ、取り返してくれたんです」
「へぇ。……ああ、さっき叫びながら連行されて行った人かな? ってライカくん、あんな大男相手に立ち向かったのかい!?」
「はい!」
(自信満々に言うことかなぁ……)
にこにこしているライカに、対する男の顔は険しくなっていく。
「んん……ひとまず。君が善い行いをしたことは認めよう。けれどね、その向こう見ずな行動は止めなさいと、いつも言っているだろう?」
どうやらライカの猪突猛進な行動はいつものことらしい。叱られた子犬のように俯くライカとその男は、師匠と弟子というより親と子に見える。
「……まあ。怪我はしてないようだから、これくらいにしておくとして」
そう話を切り上げると、男はティアリに身体を向けた。
「自己紹介が遅れたね。私はライカくんの保護者、アラン・ウィシュタリア。レディ、お名前を伺っても?」
「テ、ティアリ・エフォルティーネと、申します。……あの、ライカさんには助けて頂いて、とても感謝しております」
「ライカくんはこの通り、困っている人を見ると放っておけず、首を突っ込んじゃう子でね。今回は貴女を助けられたから良かったけれど」
「師匠のおかげでもありますよ! 学院章の話があったからです!」
「え、と。あ、あの男の人は自分のものだって言い張ったんですけど。この切符が学院の新入生用だってことで、男の人のものじゃないってことを証明してくれたんです」
「ということは、貴女もあの学院の新入生か」
アランは目を丸くした後「ならば自己紹介を訂正しよう」と言った。
「私はアミキティア魔法学院の新任教師でもあるんだ。一年生担当だから、あちらに着いた後でも顔を合わせるだろう。どうぞよろしく」
ティアリは息を呑んだ。
(……本当にあるんだ、魔法学院が)
そこに向かってはいるが、未だに全てを信じ切ることはできない。
けれども自分と同じ新入生のライカと、教師であるアランがいるならば、少なくとも【アミキティア学院】自体は存在するのだろう。
そう思案するうちに、ようやくティアリたちが切符を確認される番になった。
「間もなく発車します。お急ぎください」
何なく改札を通り抜け、前の乗客に続いて歩いている途中だった。アランはティアリに身体を寄せ、ライカに聞こえないように耳打ちしてきた。
「ライカくんは少々危なっかしいけれど、悪い子ではないんだ。仲良くしてやってほしい」
ティアリはこくこくと頷いた。助けてもらった恩もあるし、何より入学前に知り合いができるのは心強い。
その返答にアランは礼を言い「それと」と前置きをすると、先ほどより声色を落として。
「学院で、突拍子もない行動に出るかもしれない。……直近で言えば入学式。気をつけてやってくれないか」
やけに深刻な保護者に、ティアリは「わたしにできることなら」と精一杯の返事をするのだった。
*
発車時刻は間近となっていた。大勢の乗客が我先にと入口に詰めかけ、大変混雑していた。急がなければならないからとプラットフォームや車体を眺める暇もなく、なんとかティアリたちも扉に滑り込んだ。
それからすぐ後に、汽車は汽笛を鳴らし動き初めた。座席はどこも埋まっており、三人は空いている席を探す。
「あそこ、二人席が空いてるね。じゃ、私は別の車両に行きますから。後は若いお二人でどうぞ」
「はい!」
その後アランは一瞬だけ振り返り、親指を立てて左目を閉じて微笑むと、すぐに踵を返して隣の車両へさっさと歩いていった。
(な、何なんだろうあの人……)
変な気を回された気がしないでもないが、ライカは特に気にするでもなく席に着いたので、ティアリも彼の隣に座る。
一定の振動に身体を揺らしながら、ティアリは隣に座る少年を横目に見る。初めての汽車に対する高揚よりも、気まずさの方が心に居座っていた。
(……どうしよう。男の子と二人っきりで話したことなんてないよ……)
学園では【あのエフォルティーネの娘】ということもあり、授業以外で他人と関わることはほぼなかった。男子となんて以ての外である。
窓の外を眺めて気を紛らわそうにも、見ようとすれば否応なしにライカの横顔が目に入った。
歳の割には幼い顔立ちだった。てっきり、窓の景色に興奮するのかと思いきや、案外向ける視線は熱の籠もらないものだった。
手持ち無沙汰になり、鞄を見下ろした時。
(そうだ。確かあれがあったはず)
音を立てないように鞄から籐籠を取り出し、中に入っていたシャーロをライカに差し出す。
「あの……これ、良かったらどうぞ。助けてくれたお礼、です」
シャーロとは、粉に卵を加えて焼いた生地に、何らかの食材を包んだり乗せたりして食べる帝国の定番食である。小腹が空いた時にとマアサが持たせてくれたのだ。
牛挽肉を薄く伸ばして焼いたもの、レタス、トマトとチーズを薄焼き生地で挟んでソースをかけた、大変お腹の膨れるシャーロである。
「いいんですか? では……はい、ありがとうございます」
ライカはシャーロを受け取ると、器用に二つに割って半分をティアリに返した。
「え……いいですよ、一つ丸々、食べちゃっても」
「そんなに畏まらないでください。多分僕の方が歳下ですし。僕は元々こんな喋り方なんですけどねっ」
歳下? でも、同じ新入生ではなかったか。
学院は学園卒業相当の学力を必要としていたはず。たとえ得体の知れない魔法学院といっても例外ではないだろう。
「僕、どうしても今すぐにアミキティア学院に行きたくて……それで、いっぱい勉強して卒業を一年早めて貰ったんです。来月の初めに、ようやく十五になります」
そう言うと、ライカはシャーロを黙々と食べ進めていく。
(ほっぺにソースがついてる……ちょっと可愛いかも。弟がいたらこんな感じだったのかなぁ)
本来学園を卒業するのは十五歳であるし、ティアリは三ヶ月後に十六歳となるので、確かに一歳年下のようだ。ならば、そこまでして早く学院に行きたがる理由は何なのか。
ライカは食べ終えた後「お肉がじゅわーっとして、とっても美味しかったです!」と感想まで付け加えてくれた。
その様子に緊張が少し解ける。歳下の男の子に気を遣わせる訳にはいかないと、ティアリは畏まった話し方はしないことにした。
「あそうだ。ティアリさん、って呼んでもいいですか?」
「う、ん。いいよ。よろしくね、ライカくん」
会ったばかりの人に砕けた喋り方をするのは初めてだ。けれど存外にしっくり来る。彼が歳下で自分が歳上だからではなく、ライカとは話しやすいと思ったのだ。
「はい、よろしくお願いします! ところで、ティアリさんってどこ出身なんですか?」
「フレーウム州のアルテナっていう町だよ」
「ああ、一度行ったことあります。メルダスに行く途中でちょっと寄っただけですけど――」
次の乗換駅に着くまで、二人は少しずつ会話を広げていった。出身地、好きな食べ物など。ライカは様々な州を旅してきたらしく、主に旅先での食事について話を聞いた。
「食べ物は、フレーウムが一番美味しいと思います。今食べたシャーロもですけど、お肉が大きいのがいいんですよね」
ライカは幼い頃に両親を亡くし、アランに引き取られたと話してくれた。それからはアランの付き添いで各州を渡っていたが、学院に行くと決めた日に、そのまま現地の学園に編入したのだとか。
「ライカくんは、どうして学院に行きたいと思ったの? やっぱり、魔法に憧れたから?」
ティアリがそう聞くと、ライカはお喋りが一転して黙ってしまった。そっと車窓に手を添えて、流れ行く景色を見つめる。
「ううん、そうじゃないんです。僕は……」
ガラス越しに映る彼の瞳には、確固たる意志が燃え盛る炎のように揺らめいていた。
「――どうしても、取り返したいものがあるんです」
そう語る彼の真意。その正体を、ティアリは学院の入学式で知ることになる。




