第6話 州都駅にて
州都に着いたティアリは、駅にほど近い道で降ろしてもらい、そこで父と別れた。一年前と変わらぬ喧騒と人混みに圧倒されながら、大きな門を構える州都駅に足を踏み入れる。
構内に入ると、五角形の大きな間が広がっていた。床は大理石で出来ており天井は見上げるほど高い。そこには街中よりも大勢の人たちがいた。
旅行鞄を持ち歩く人、待ち合わせをしている人、切符を買う人……様々な声が混じり合い、高い天井へと昇る。天井は有象無象の声を跳ね返し、広間にざわめきとして返す。つまりはすごくうるさい。耳を塞ぎたくなる。
(他州に旅行するのが都会の流行りだって聞いてたけど、本当なんだなぁ。……あ痛っ! うう、人が多くて歩きづらい……)
一足踏み出せば誰かにぶつかる、そんな密集状態の中、ティアリは目的の列車を探す。
「ルヴェーラ行きは……あった。二番改札」
鞄を抱えながら向かうと、一際目立つ長蛇の列が待ち構えていた。
(うわ、すごい行列だ……発車に間に合うかな)
先頭を見れば、駅員が忙しなく二枚の紙を確認している様子が窺える。別の駅員は列に並ぶ人々に向かい「切符と通行証のご準備をお願いします」と呼び掛けており、ティアリも慌てて鞄から二枚の紙を取り出した。
(切符と通行証、どっちもちゃんとある。大丈夫)
切符は学院が用意したものである。学院のあるグベルナーレ島と共に、学院名【アミキティア】が印字されており、白く型どられたケラススが背景に薄っすらと透過されている。正確には、島行きの旅客船が出ている町、その最寄り駅までの切符だ。列車と馬車、ついで船を乗り継いだ先に魔法学院があるらしい。
もう一枚は、フレーウム州からルヴェーラ州への通行証だ。左半分が黄色、右半分が赤色の紙に右矢印が書かれている。通行証は貴重であるため、偽造されないように特別な紙で作られているらしい。
ここはフレーウム州。グベルナーレ島はルヴェーラ州に属するため、州間通行証が必要となる。一つの帝国といえど、州が変われば州庁――行政機関が異なる。そのため、往来には両州庁の提示する条件を満たす必要があり、審査は大変厳しい。そもそも金がなければ門前払いされるため、貴族でないものにあまり縁はない。
ティアリが何気なく通行証を見ていた時。近くで男が叫んでいる声が聞こえてきた。
「お願いだよぉ、妹がルヴェーラにいるんだ。通行証をくれよ、会いに行きたいんだよぉ」
ティアリを含む大勢が声の主である男に注目する。切符の準備を呼び掛けていた駅員に、一人の男が縋り付いていた。
気になったのは男の身なりだ。服は襤褸切れで薄汚れており、くすんだ茶髪や髭は伸び放題。州都にいるような人間でないことは、誰の目にも明らかだった。
駅員も煩わしそうに男を剥がし、冷徹な目で告げる。
「発行所はここじゃありませんよ、案内しますから離れてください」
駅員は別の人間に仕事を任せ、男を引っ張っていこうとする。そんな様子を眺めていた人たちは「汚らわしい人ね、発行所に行ったところでお金を払えるのかしら」「それに、あんな嘘かホントかわからない理由じゃ、ねえ。追い返されるのがオチだわ」などとひそひそ話している。
しかしティアリは、同情を含んだ瞳でじっと男を見つめ――ふと、彼と目が合ってしまった。
「……!」
思わず目を逸らしたが、男は見逃さなかった。
駅員を振り切り、非常にわざとらしく、ゆらゆらと踊るように近づいてきて――終いには勢いよく体当たりしてきた。
「あだっ……!」
大の大人の攻撃に耐えられず、後ろに倒れ込んだティアリ。幸い頭は打たなかったが、肘をついたせいでうまく起き上がれないでいた。周りの人は突然の出来事に唖然としている。
「お客様、大丈夫ですか!」
「う……は、はい」
駆け寄ってきた駅員に起こされたティアリは、薄っすらと男を見上げ――そして戦慄した。
「ああ……あんた、悪い、よろけちまった」
そう言って傷だらけの手をティアリに差し出す。その手を取ろうとして、引っ込めた。
何故、この人は笑っているのか?
目を細め、不自然に弧を描く口元――それをティアリは見たことがあった。
自分を虐める時の、チュリンのあの顔だ。
戸惑いを隠せない中、男はティアリの手を強く引き寄せると、ティアリにだけ聞こえる声で囁いた。
――ありがとよ、と。
「……!」
「――いやあ、駅員さん。切符と通行証、ありましたわぁ」
「え、あ……あの、それは」
「大人しく並びます。失礼しましたぁ」
反論しかけたティアリの手を、牽制のごとく強く握り締める男。その張り付いたような笑顔が語る。【黙っていろ】と。
焦燥が瞬く間に全身を駆け巡る。どうしよう、どうしようと考える間に、男が列の最後尾へと向かう。
視線を彷徨わせる。前の貴婦人も、後ろの紳士も、たった今窃盗された少女から目を逸らす。背を向ける姿が、面倒事には関わりたくないのだと雄弁に語っている。
「ま、待て。それ、本当にお前のか?」
「あァ……? 何か文句でもありますかぁ」
駅員だけが男を追いかけようとするものの、男は通行証を得たことで一転して強気な態度に出た。静かな怒りの声に怖気づいた駅員が横目でティアリを見る。諦めろ、と言っているような気がした。実際ティアリも、今のを見て言い返せる気がしない。怖くてたまらない。
かといって、再度通行証を手に入れようにも、発行所は駅から離れた場所にあり、そこも人で溢れ返っていることだろう。今から取りに向かったとして、列車に乗れるのはいつになるのか見当もつかない。
(学院に連絡して、もう一度送ってもらう? ううん、それじゃ入学式に間に合わない)
なら、どうすればいいのか。
(……ああ、そっか)
――自分が我慢すればいいだけの話じゃないか。
この足でアルテナまで帰り「学院には行けなくなりました」とでも言えばいい。暴言や罵倒が飛んでこようが、グレンダやチュリンは玩具が手元に返ってきたことに大喜びするだろう。
けれど……悲しんでくれる人だっている。
ティアリの決断を後押ししてくれた、大切な父だ。
(……でも、お父さんが、お父さんがせっかく、頑張ってくれた、のに……!)
自分を学院へと送り出すため、必死になってくれた父の想いを踏み躙る。
……それだけは、絶対に嫌だ。
「……あ、あの! その切符は――」
勇気を振り絞って、そう言おうとした時だった。
「――それ、貴方のじゃないです!」
研ぎ澄まされた管楽器のようによく通る声。それはひたすら真っ直ぐに、ティアリの耳に届いた。
(……え?)
ティアリたちから少し離れた列の中、一人の少年が歩み出る。胸を張って男の前までやって来ると、くるっとティアリの方に振り向いた。
雨上がりの空のような青髪に、紫陽花色の瞳をした小柄な少年が、じっとティアリを見つめる。
「僕、その人が切符と通行証を大事そうに持ってるの、見てました。そうですよね?」
「……! は、はい。えと、そうです」
少年の瞳は力強く、何より頼もしさがあった。ティアリよりも背が低くて可愛らしい顔立ちをしているのに、まるで守るように自分と男の間に立ってくれている。
「なんだ、お前……」
少年はびしっと男に人差し指を向けると、とびきり大きな声で男を非難した。
「貴方が彼女にぶつかった後に、よく見たら切符があったなんておかしいです、どう考えても貴方が彼女から奪ったとしか思えないです!」
自分より一回りも大きな相手に対し、少年は怯むことなく目を尖らせる。
「へぇ。仮にそうだとして、これがそこの女のものだったという証拠はあるのかぃ?」
いつの間にか周囲の視線は彼ら二人に集まっていた。事の行く末が気になるのだろう。当事者のティアリは少年にはらはらさせられているので、心臓がこの上なくうるさい。
「一つ、質問があります」
「なんですかい?」
「貴方は妹さんに会いにルヴェーラ州に行きたがっていましたよね。その切符は学院行きです。そんなところに妹さんがいるんですか」
不意を突かれた男が慌てて切符を確認する。そして舌打ちをすると間を置いてから答えた。
「……あー、そう、そうだ。妹が通ってるところでよ、会いに来てくれって言ってあいつがくれたんですわ」
(……嘘だ。目が泳いでる)
今まさに考えたものであることは、ティアリにも予想できた。先ほどまで駅員に縋り付いていた男の行動とそれは明らかに矛盾する。なりふり構っていられないほど、妹との再会を切望しているらしい。
さて、少年はこの返しにどう対応するのか。そう思い彼の左横まで移動したティアリは、ふと彼の横顔を見た。
笑っている。勝利を確信した無邪気な笑みがそこにあった。
「その切符。綺麗ですよね、透明なケラススがうすーく後ろに入ってるんです。これってアミキティア学院の学院章らしいですよ」
「……それが、一体どうしたって」
「師匠が言ってました。学院章が描かれている切符は、学院に新しく入学する生徒にしか配られないって」
「は?」
この少年は少々言葉足らずだが、それで合点がいった。困惑する男をちらりと見ながら、ティアリは小さく呟く。
「……つまり、あなたは、新入生じゃなきゃおかしいってこと、ですか?」
「! クソ……」
男もそれに気づき、今にも切符を捨てようとして躊躇ったようだ。おそらくルヴェーラ州に行くことができれば良いので、彼が欲しいのは通行証だけなのだろう。けれど、二枚が揃っていないと列車には乗れない。
周りがざわざわと、男を非難する空気に転じていく。
「……ガキが、偉そうに!」
「ガキじゃありません! 義務教育だって終えてます! それに、僕にはちゃんとした名前があるんですからね!」
少年はすぅっと息を吸い、高らかに告げる。
それは雑音犇めく構内にて、天井まで突き抜けるような、ひたすらに純粋で芯のある声。
「僕の名前はライカ・ウィシュタリア。――彼女と同じく、アミキティア学院に行く新入生です!」
爛々と輝くその瞳を――ティアリはこの上なく眩しいと、そう感じた。




