第29話 リボンを結ぶ
アルルはメリッサによって寝間着に着替えさせられ、今は薄紅色のベッドで眠っている。ティアリは自分のベッドに座り、メリッサが濡れた布巾を額に載せる所をじっと見つめていた。
メリッサはベッド横の椅子に、豪快に脚を開いて座っていた。
「微熱ってとこだな。疲れから来た軽い風邪だろう」
布巾がアルルの呼吸に合わせて上下している。額からずり落ちそうになった布巾を、メリッサは思いの外優しく押さえながらフッと笑った。
「ったく、貧弱だな。アタシに追いかけられたくれぇで音を上げるなんざ……まあ、それ以前に疲れてたんだろうがよ」
そこにある感情は嘲りでも呆れでもなく、心配をかけさせるな――そういった類の笑みであるとティアリは思った。
「知っていたんですか。アル……ユフィールさんが夜、町に行ってるって」
「アタシにバレてないとでも思ってたのか? 見逃してやってたンだよ。いい度胸だと思ったぜ、まさか大貴族のお嬢様が、入学初日から町で夜遊びしてるなんてな」
やはり寮監である彼女は、アルルが勝手に外泊していたことを把握していたのだ。もしかしなくとも、アルル不在を偽装したベッドの膨らみ工作もお見通しだったのだろう。
「んで。流石に一週間経ちそうなんで一発シメとこうと思って、授業終わりに後をつけた。お嬢様が泊まるようなちょい高めの宿屋は島に一つしかねぇし、それはすぐに見つかったンだが……」
メリッサはそこで言葉を切った。不可解である、といった様子で眉を顰める。ティアリは続きを察し、尚且つ内容が気になった。おそらくメリッサは、アルルが町で行っていたことを目撃したのだ。
「先生、ユフィールさんは町で何をしていたんですか。……遊んでいたんじゃ、ないんですよね」
「……ほう? よく気づくじゃねぇか。そうだ、こいつはただ、ずっと誰かを捜して人に尋ね回っていたのさ。アタシも直接見たから間違いねぇ」
今日初めて、メリッサと目がしっかり合った。面白いと言わんばかりに口角が上がっている。
(誰かを捜してた?)
それが誰なのかは皆目見当がつかなかった。けれどあの日のアルルが発した『先生だけには絶対に言うな』という言葉が、今になってティアリの胸に返って来ていた。
「ま、後をつけたのは規則を守らない奴に説教するためだ。生徒が何してようが、アタシは興味がないね」
「……」
「でも。お前は知りたいんだろ?」
ティアリが頷くと、メリッサは太ももを両手で叩きながら、大袈裟に立ち上がった。
「だったら聞け。話さねぇと何も聞こえてこねぇンだからよ」
*
メリッサが帰ってからというもの、ティアリはアルルの傍につき、数十分ごとに布巾を取り替えていた。未だアルルは苦悶の表情を浮かべ、目尻に汗が滲んでいる。
(ユフィールさん……)
彼女はいつ意識を取り戻すのだろう。そして自分はその時、なんと声をかけるべきか……今は考えても仕方がないと、額の布巾を取ろうと手を伸ばした時だった。
小さな呻り声と共に、瞼が薄っすらと開いた。ティアリはがたん、と椅子から立ち上がった。
「あ、ご、ごめんなさ……」
思いの外大きな音が出てしまった、とティアリが謝ろうとするが、途中で気づく。彼女は徐々に目を開き、茫然自失といった様子で天井を見つめていた。
「……ユフィール、さん?」
アルルの目尻から、徐に涙が伝った。ティアリの声は聞こえていないのか、石にされてしまったかのように動かない。
ティアリもまた固まった。床板が軋む音すら立てたくない、と思ってしまった。遠くのどこかで野鳥が鳴く声以外、静寂でなければならない。静かに泣いている、アルルのために。
硬直した時間を解いたのはアルルだった。息を吸い込むかのように切羽詰まった様子で上半身を起こそうとした。ティアリが慌てて止めようとする。
「ま、まだ寝てないとだめ、です……!」
「……いいえ。わたくしは、行かなければ、見つけなければ、ならない、のです」
アルルはティアリの手を振り解こうとするものの、その力は弱々しく、やがて諦めたようだった。代わりに両手で顔を覆い、肩を震わせる。
(……どうして、泣いているの? あなたは何を探しているの?)
聞いてしまいたいと思った。しかし、どんな返事が返ってくるのかも、そもそも答えてくれるのかもわからない。そんなティアリの葛藤を払ったのはクラウスが教えてくれたことだった。
――間違えてもいい。伝えられたと思うまで、伝えればいい。
ティアリは深呼吸をした。
(考えよう。わたしが何を言いたいのかを)
今、アルルに必要なものは何か。自分は何をしたいと思うのか。
思考を巡らせる。
(苦しんでる……なら、今は長い言葉は必要じゃない。けど、わたしはあなたの味方だよって伝えたい)
ティアリは腰を上げると、ベッドに膝を乗せた。
「――ユフィールさん、ううん……アルル。
肩を擦っても、いいかな」
アルルはびくりと震えたが、暫しの沈黙を経て、こくりと頷いた。ティアリは微笑んでアルルの肩を抱き寄せた。
薄紅色の少女は、堰を切ったように声を上げて泣き始めた。その背中をティアリは擦り続ける。
次第にアルルは落ち着いていき、ぽつりぽつりと言葉が漏れ始めた。
「わたくしのせいで……レンは、居なくなってしまった」
「レン?」
「……金貨を、作って……」
アルルの意識は朦朧としているらしく、繋がらない単語たちだけが生み落とされていく。やがて彼女はティアリの胸に項垂れながら、小さな寝息を立てて微睡みへと落ちていった。
静かな朝。淡く白い光が、薄紅色のベッド、そして抱き合って眠ってしまった二人の少女に振り注ぐ。
眩しさを感じて目を覚ましたティアリは、目の前の光景に、思わず笑みを溢した。
今の状況が夢ではなかったと、彼女に触れた指から伝わってきたのだから。
薄紅色の少女もまた、薄っすらと目を開けた。
「……おはよう、アルル」
やっと言えたその一言に、二人は共に笑顔になった。
*
少し時間が経った後、ティアリは先にベッドから這い出た。アルルの顔は気恥ずかしくて見れなかったが、彼女は特に何も言わなかった。
今日は学院に入学してから、初めての休日だった。週末に行われるという新入生歓迎会は明日だ。しかしながら、落ち着かないティアリはそわそわと、どこに出かけるでもないのに身支度をし始めた。
(そうだ、折角だし……お父さんから貰ったワンピース、着てみよう、かな)
いそいそと緑色のワンピースに着替え、化粧台の前に座り、髪を結い始めた時だった。
「――昨晩は、失礼いたしました。お見苦しいところを見せましたわね」
後ろから、少しだけ嗄れた声がした。座したティアリからは顔が見えないが、鏡越しに背後に少女が立っているのがわかった。
「……体調はもう良いの?」
「お恥ずかしながら……昨日は、全速力で走って疲れてしまったみたいですの。もう何ともありませんわ」
「そう、なんだ。良かった」
そこから沈黙が訪れるのは必然といえた。気まずいことは明白で、話す言葉は慎重でなければ、と気持ちが焦る。
このまま、会話を終わらせることもできる。
――けれど、ティアリは。
「……アルル」
息を吸い込む。立ち込める霧の中から、一歩を踏み出すように。
「何ですの?」
「……わたしは、頼りになるような人では、ないです。でも、少しだけでも、力になりたいと思うんだ。ええと、だから」
(……ああ、やっぱり駄目だ。上手く伝えられない)
落胆と焦りが一気に押し寄せてくる。徐々に丸まっていく背中に、芯のある声がかけられた。
「――ティアリ」
「は、はい!」
その声に背筋が伸び、前を向く。そして気づいた。鏡の中のアルルは、ぎゅっと拳を握り締めていたことに。
「一度突っぱねたというのに、虫のいい話だとはわかっています。
……ですが。どうか、わたくしの話を聞いてくださいませんか」
胸の内からこみ上げる熱情は、不思議と心地が良い。その勢いに流されるまま、ティアリは頷いた。
「う、うん!」
「……ふふ、即答ですわね」
「ご、ごめん。深く考えてないわけじゃなく、て」
「何故謝るのですか。謝らなければならないのはわたくしでしょう?
――少し、目を閉じてください」
言われるがまま瞼を伏せる。次に髪にすっと指が通る感覚がした。優しく撫でるように、そして僅かに絹の音がする。
「……はい、出来た」
肩を叩かれて目を開くと、そこにはいつも結ぶのに使っている茶色の代わりに、アルルと同じく先に金具がついた緑色のリボンをつけた自分の姿があった。
「え、これ……」
「瞳の色に、それからワンピースの主色も緑でしょう。どうせなら、色は揃えたほうがよろしいかと」
そのリボンは父のくれたワンピースに良く調和していて、ティアリは一目見てそれを気に入った。服の方が濃い緑で、リボンは若緑に近い。深い色の間に明るい色が差し込むことにより、まるで森に木の葉が舞うようで、より一層自然を感じられる。
「……くれるの? わたしに?」
「お詫びとお礼ですわ。……わたくしとお揃いは嫌ですか?」
ティアリはすぐさま首を振る。先ほどから胸の高鳴りが止まらない。こんな気持ちは、学園にいた頃は感じたことがなかったものだ。
――友達からの贈り物なんて、嬉しくないわけがない。しかも、お揃いだなんて。
ティアリは立ち上がると、アルルと顔を合わせた。緑色のリボンを人差し指で絡め取りながら、アルルの赤いリボンを見つめる。
「……ううん、嬉しい……! ありがとう、アルル」
「……こちらこそ。どういたしまして、ティアリ」
同じ金具がついた二つのリボンは、まるで少女たちの間で挨拶を交わすように、穏やかに揺れていた。




