第27話 星が先か、星座が先か
クラウスと別れた後。食堂に行けなかったことをライカ、キャシーに謝り、その日の授業は何事もなく終了した。
寮の食堂で夕食を終え自室に戻ったティアリは、鏡台の前で髪を結い直す。時刻はとうに門限を越し、各々が就寝の準備をする中……ティアリはまだ制服すら脱いでいなかった。その理由は勿論、これから出かけるためである。
『――そう、なら頑張って。応援しているよ』
相談に乗り、励ましてくれたクラウスを思い返し、ティアリは椅子から立ち上がった。
「……よし、行こう」
今日は寮監メリッサの巡回日ではない。よってこの部屋には朝まで誰も来ないはずだ。
ティアリはこれから、アルルを探しに行こうとしていた。
……かける言葉は、まだ思いついていないのだけれど。
*
仄暗い廊下を、部屋から持ち出したランタンを抱えながら進む。見つかることを恐れて火はまだ入れていない。
軋む床を落ち着かせるようにゆっくりと、一階の食堂まで向かう。窓の硝子を覗き込み、誰もいないことを確認してから食堂へと足を踏み入れ、すぐさま台所にある勝手口へ。
食堂は鍵がかけられておらず、勝手口はそもそも鍵付きではない。そのためこっそり抜け出すならここから――というような話を、廊下ですれ違った上級生がしていたことを思い出したのである。
勝手口の戸を開けると、ティアリはランタンの火を灯した。虫のさざめきに混じって低い鳥の鳴き声が一つ、黒紫に塗り潰された空に響く。
「正門……は、閉まってるよね、うん」
どうにか塀を越えられないかと壁伝いに歩こうとして――草むらが不自然に揺れる音を聞いた。
(あれ、誰かいる……?)
まるで人がそこに座っていて足を組み替えた時のような、生物を感じさせる音……ティアリは無意識に燭光をそれが鳴るへと向けた。
そこにいたのは、よく見知った少年だった。
「……ライカくん?」
小さく尋ねる声に少年は「あ!」と声を上げたかと思えば、すぐに両手で口を塞いだ。騒いでは誰かに見つかると思ったのだろう。ライカはすぐさま立ち上がると、抜き足差し足でティアリへと歩いて来た。
ライカは制服の上から、夜に紛れる黒の毛布を羽織っていた。
「ティアリさん、どうしたんですかこんな時間に」
「ライカくんこそ」
単純に何をしていたのか気になったティアリが尋ね返すと、少年は真上を指差した。
「星を見てたんです。今日はほら、月が隠れてるからいつもよりいい感じに見えるんですよっ」
ティアリの持つ燭光が、ライカの紫の瞳をぼんやりと照らす。瞳の中に入り込んだ白い光はまるで夜空に浮かぶ星のようだった。ティアリもライカに釣られて真っ黒な空を見上げる。
昨日まで輝いていた月は、今日は分厚い雲に遮られなかなか出てこれないようであった。もしかすると明日からの週末は雨が降るのかもしれない。
ライカの言う通り、朧げな光の使者がいない空において、小さな星々はともすれば泳ぎ出しそうなほど伸び伸びとしているように見えた。
「確かに綺麗だけど……明かりもつけないで、草むらに寝っ転がってたの?」
「はい! 大丈夫ですよっ寮監の先生はもう帰――」
「そういうことじゃ、なくて。一人だと危ないよ……?」
つい、いつもよりも少し語気を強めてしまった。野ざらしの暗闇に一人でいるなんてあまりにも無防備だ。見えないせいでぶつけて怪我をしたり、毛布一枚では風邪を引いてしまうかもしれない。
ここは友達として、年上としてしっかり注意しなくては……そう思っていたのに、当の本人はきょとんとした顔で。
「え、でもティアリさんだって一人で何してたんですか?」
「いや……わたしは」
「あ、もしかしてティアリさんも星を見に来たんですか!?」
……なんて言うものだから、力が入っていた肩がずり落ちそうになった。
「……」
「あれ、また僕何か間違えて」
「そう、そうなの! わたしもそうしようと思ってたところで! 一緒に星、見てもいいかな、うん!」
逡巡の末、ティアリはアルルに心中で謝罪しながら強引に座り込んだ。ライカは頭に疑問符を浮かべた様子でありつつも、黙って隣に座ってくれた。ティアリは彼との間にランタンを置く。
靴が僅かに土の破片を削り、草が引っ張られて軋んだ。完璧ではない静寂は、自然を感じるようでかえって心地が良い。
そう感傷に浸っていた時、布がはためく音がした。
肩からかけられた毛布の僅かな重みに、ティアリは驚いて横を見る。見ればライカが羽織っていた毛布の端をティアリの方へと回し、共に一枚の毛布を分け合う形となっていた。
「ごめんなさい、一枚しか持って来てなくて。寒くないですか?」
ティアリは目を見開いて、毛布の端をぎゅっと握った。
「ありがとう。あったかいよ、でも――」
こちらの分まで回したせいで、ライカの肩が毛布からはみ出していることに気づいたティアリはランタンを前へ出して、彼との距離を詰めた。
「こうしたほうが、いいかも」
二人でしっかり包まれるようになったところで……こつん、とライカの肩が当たった時。遅れてやって来た恥ずかしさにティアリは戸惑った。
「――あ、ち、近いよね……ごめん」
「何で謝るんですか? よりあったかくなりましたよっ流石ティアリさんです!」
何が流石なのかはよくわからなかったが、ティアリはライカに釣られて微笑んだ。
暫しの間、黙して星を眺めていた。黒い布に白い粉をはたいたように広がる幾多もの星々。その煌めきにティアリは瞠目する。
「綺麗……」
ティアリの反応に、ライカは嬉しそうに何度も頷いている。
「僕も昔から星を見るのが好きで。特に南十字座っていう星座が……あ! あれです、あの黄色の星と近くにある三つとで、十字を作るんですよ」
ライカに言われて、一際輝く薄黄の星に目を遣る。他の星よりも大きく、何よりも色が違うのですぐにわかった。ティアリにはどう繋げれば十字になるのかわからなかったが、ライカにはきちんと視えているらしく、彼の指先は楽しそうに空を切っていた。
「星座、わかるんだ。凄いね」
「師匠に教わったんです。ずっと昔、眠れなくてもぞもぞしてた僕を外に連れ出して、星を見せてくれた。……ねぇティアリさん、星座って誰が作ったのか知ってますか?」
唐突な質問にティアリは首を横に振った。そもそもティアリにとっては星座は星座でしかなく、由来や起源など考えたこともなかった。
「師匠が言ってましたよね。【この世界には、元々あったものとそうでないものがある】って」
ライカの養父かつ師匠であるアランは歴史学者であり、何年も前から大陸を巡る旅を続けている。その理由は「歴史を識るため」だと、彼は授業で何度も口にしていた。
「アラン先生が研究しているのは【元々なかったもの、我々が生きていくうちに形作られたもの】……だよね」
「シャーロとかがそうです。師匠が言うには、それこそが歴史だと」
大陸で親しまれる料理シャーロは、正しい名を【シャルロティア】と言い、レアリィーオ帝国初代皇帝だったシャルロティアが好み、その生涯で最も多い食し方だったことから国民へと広まったとされている。かつては【薄焼き生地を何かと共に食べる料理】というのは、生地の厚さや添え方によって異なる名前であったらしい。
「皇帝がまだケラスス国の王女だった頃、お姉さんが自分のために作ってくれた料理で、徐々に国民に広まっていった。そう記した文献がいくつも見つかっているから世界に【元々なかったもの】なんです」
この話を聞いた時、初代皇帝に姉がいたことすら初めて知ったティアリは素直に驚いた。自身が生まれる遥か昔のことなんて、本来ならば知り得ることなどない。けれど具体的な出来事と共に語られることにより、偉人は確かに実在し、その時を生きていたのだと思わされる。
「でも【元々なかったもの】の歴史を研究するためには【あったもの】との区別をつけなきゃいけない」
「……うん?」
「星座は【元々あったもの】なんです。いくら探しても起源がわからないのに、どこの州に行っても同じ線で同じ形を作っている」
頭には疑問符が山のように浮かんでいるが、ライカの話が少し要領を得ないことは知っている。ならば努力して要約するしかない。アランの授業と照らし合わせて考えること数分、一つの結論に辿り着いた。
「……つまり。星座には歴史がない、もしくはまだ見つかっていないってこと?」
「そうです。……星があったから星座ができたのか、星座に沿って星があるのか……誰にもわからないんだそうです」
世界の誰も知り得ないことがある。どこまで続くのかわからない、この星空のように。そう思うと背筋が寒くなった。ティアリが毛布をきゅっと握るのに対して、ライカは深く息をつきながら膝を抱え込んだ。
「というか……学院長は、どうやって魔法を見つけたんでしょうかね。僕、魔法って本の中だけの話かと思ってましたよ」
異世界より訪れし聖女、この世ならざる力を持って人々を救いたり――と【神と魔女】の神話にあるように、魔法は【元々なかったもの】なのだろう。けれど魔法は人々に広まらなかった。歴史にならず童話に閉じ込められ、空想と畏怖に堕ちた。それは単に【彼女以外の誰にも使用できなかった】から、というのがアランの見立てだった。
ならば学院長は、どうやって童話の頁を切り取り、魔法を現実に連れ戻したのだろうか?
「……やっぱり、何か関係あるのかな。【ルーネリアと魔法の石】と」
あの童話における男が本当に学院長であるなら……【偶然魔法の石を拾い、そこに偶然魔術指示文の読み方があったことで魔法に触れることができた】とでもいうのだろうか。だとすれば幾多もの奇跡と呼べる偶然が重なり合ったことになる。
「ティアリさん」
思考に耽っていたティアリは、毛布が引っ張られたことで意識を引き戻された。その時、ライカが静かな声と真っ直ぐな瞳をこちらに向けていることに気づいた。
「なんですか、それ」
詰め寄ってくるライカに虚を突かれたティアリは反射的に答えた。
「童話、だよ。ほら、学院長と同じ名前だから、気になって」
「教えてください。どんな話なんですか」
ライカは好奇心旺盛な少年だ。……けれどそれが単純な好奇心でないことを、ティアリは知っていた。




