第26話 感覚を繋げて
昼休みが終わるまでにはもう少し時間があった。そこでティアリは思い切って、先ほどから気になっていたことをクラウスに尋ねてみることにした。
「あの……さっきの時計も、魔法で作ったものなんですか?」
「そうだね」
クラウスは左手を少し宙に浮かせて、厚手の白手袋の上に着けられた金の腕時計を見えやすくしてくれた。荘厳なつくりで幾多の紋様が掘り込まれており、今も一秒ずつ時を刻んでいる。
「これは魔法で作られた、所謂魔法道具。僕とヒューゴの時計の【感覚を繋げて】あるんだ。そのうち習うだろうけど、魔術指示文が書けるようになれば、物体に魔法をかけられるようになる」
腕時計を凝視するティアリを見て、クラウスは興味があると悟ったらしい。「仕組みを教えてあげる」と言い、短い詠唱で即座に包み紙を一つ出現させた。
クラウスの詠唱は考える仕草すらなく、もはや身体に染み付いているといった具合に滑らかだ。さっと魔術指示文を組み上げるその姿は、彼がこの学院で三年間魔術語を学習してきたのだと感じさせるには充分であった。まだ一年生のティアリには単語の切れ目すら判断できない。
クラウスはその包み紙に巻き付いた青リボンをさっと解き、二つに裂く。
「この魔法の本質は、遠く離れたものを魔力という見えない糸で繋ぐことにある。校舎と魔法空間を繋ぐ扉があるだろう。あれの応用だね」
クラウスは二つのリボンを地面に置いた。
「僕とヒューゴの時計には、繋いである以外にも周囲の音を拾ったりとか、色々な魔法がかけてあるのだけど……今回は基本だけにして、なるべく魔術指示文を短く整えよう。
――さあ、唱えてご覧」
クラウスより事前に魔術指示文の区切れ目と、言葉の意味を教わったティアリは、杖を取り出そうとしたが、クラウスが「無くても出来るんだ、実は。試しに手でやってご覧」と言うので、流されるまま二つのリボンを指差しながら詠唱した。
「……〈コレ ト コレ ノ カンカク ヲ ツナゲテ〉」
リボンには何の変化も見られず、今回は杖を使っていないため、魔法が発動したのかどうかわからなかったが……横にいるクラウスが頷いているので、成功はしているのだろう。
いつもの授業では魔法の成否は杖が教えてくれる。正しくはその先端に灯る明かりの色で判断する。緑であれば問題なく成功、黄は魔力不足、赤は魔術指示文が間違っていることを表しているのだ。
「ティアリはこっちのリボンを握って」
「はい」
クラウスはもう片方をさっと掬い上げると、手の甲に載せ、リボンを二回叩いた。
「……!」
すると、ティアリの持つ方にも二回、叩かれた感触……もとい、振動があった。
「すごい……わたし、ブローチ以外で魔法を使えたの、初めてです」
授業が始まって三日、まだ自分自身で魔術指示文を組み上げたことのなかったティアリにとっては、魔術語を口にすることすら新鮮で驚きのあるものだった。
「今回は僕の魔力も足してあったし、近くにあったものだから指し示すことができた。
遠く離れたものに直接繋ぐ場合は、より高い魔力量と詳細な言語化が必要になる。僕とヒューゴの時計のように、なるべく似ているものだったら『これと同じものを』で済むのだけどね」
クラウスが二つに分かれた青のリボンを繋ぎ合わせたその時、後ろの時計塔が振動し声を上げた。
「……予鈴だね。ティアリ、良ければ食後の甘味はどうかな。僕が作ったものなんだけど」
青いリボンが巻かれていた包み紙の中に入っていたのは小麦色の焼き菓子だった。
「お菓子、ご自分で作られるんですか?」
「そう、趣味なんだ。ヒューゴのおかげ」
焼き菓子は二枚あり、猫と犬の形をしていた。ティアリはとりわけ猫に目を輝かせた。礼を言う前に伸ばしかけた手を引っ込めて「頂きます」と言いながら一枚を摘む。するとクラウスはくすりと笑みを零した。
「ごめんね。やっぱりそっちを取るんだ、って思っただけ」
「やっぱり……?」
「ティアリは猫が好きなんだろう。……ああ、何。そういう雰囲気が出てたから」
そのような雰囲気があったとして、好きなものまでわかるものだろうか? と首を傾げつつ、手のひらに載った猫を見つめる。
クラウスは犬の焼き菓子を残したまま、包み紙の青いリボンを結び直した。
「……今でも、猫は好きかい?」
その問いにティアリは即座に頷いた。思い出すのはやはり【猫と王子様】という童話だ。幼い頃からの愛読書は、今でも寮の枕元に置かれている。
「はい、今も昔も、ずっと大好きです。きっと一生変わらないと思います」
*
ティアリを教室近くまで送り届けた後、クラウスは箒に乗り【憂いなき草原】を滑走していた。いつもより速度を上げているせいか、轟々と風の音が響く中、漆黒の髪が何度も肌に当たっては離れるを繰り返していた。
箒には元々、一定の速度が出るという魔術指示文が書き込んであった。それを今更書き換えたのは、何も授業に間に合うよう急いていたからではない。何故か高まっている心臓の鼓動を冷やしたかったからである。
――もし、魔法が想いの強さで変化するものであれば、こんな手間は必要なかったであろう。
けれど、魔法が術者の感情に左右されることは有り得ないことであった。
魔法にはいくつかの決まり事がある。
一つは魔法生物に心がないこと。これは魔法学院に入ってすぐに履修する【魔法概論】において、最初に説明される事象だ。
そしてほぼ同時期、または少し後に【魔術語学】で習うこととして【魔力は精神に影響しない】という定則があった。魔力が感じ取れるのは魔術語だけ、術者の心など知ったことではなく、魔法の効果を変えたくば魔術語を書き換えるしかない。
唯一の例外は【存在全てが魔法物質と魔力で構成された、心を持ってしまった魔法生物】くらいなものである。それは自身の感情の赴くまま、無詠唱で魔法を使うことが可能だった。
(……ティアリは、学院長と何をしていたのだろう。あの時間だともう授業は終わっていたはずだ)
――謎多き学院長、ルーネリア。
クラウスは知っている。その名前を持つ者が有する膨大な力と、犯した罪を。
だからこそ、なるべく彼女を学院長に近づけたくはないというのに、二人の距離は思いの外縮まりつつあるのかもしれない。
「……懸念点が増えたね」
顔に張り付いただけの不敵な微笑を思い浮かべたクラウスが、眉を顰めた時。金の腕時計が震え、風の中声が響いた。
『兄上、よろしいでしょうか』
「なんだいヒューゴ」
『……。どうして繋げたままになさったのですか』
ヒューゴから連絡を受けた後、クラウスはわざと時計の接続を切らなかった。今に至るまでずっと。よってヒューゴは先ほどのティアリとの会話を全て聞ける状態であった。
「ずっと聞いていてくれたんだね、途中で抜けることも出来ただろうに。いいじゃないか、あの時の僕はこう思っていた……それを知らせる良い機会だと思ったのさ」
数秒の無言。クラウスはヒューゴが何か言おうとしているのだと思った。あの茶会以来、弟の理解に時間を費やした結果、クラウスは弟が自分から話題を振る際に間を空ける癖があるということを知った。
予想通り、時計が僅かに震え出し音を放つ。
『……。それだけではありませんよね』
「ん?」
『兄上は、私にあの少女のことを伝えたかった。恐らく……彼女こそ、以前仰っていた想い出の方なのでは?』
やはり弟には見抜かれていたらしい、とクラウスは苦笑し、箒の上で無造作に足を組んだ。皇子らしくない仕草だった。
「そうだよ。まさか、彼女がこんなところにいるとは思っていなかったな。……いや、居てほしくなかったと言うべきか」
――再会を望んではいなかった。
叶うことならば、もっと別の場所で会いたかった。何のしがらみもなく、ありのままの自分でいられる場所で……彼女と猫について語り合えたならどんなに良かっただろう。
「けれどおかげで、彼女の名前を知ることができた。
それだけでも僕はこの学院に来て良かったと思える。……我ながら単純だろう?」
ふっと、クラウスの脳裏にあの日のことが浮かんだ。彼にとって一番大切な、あの想い出の日のことを。
一年前の夏期休暇中、クラウスは皇太子である兄と共に、フレーウム州都を訪れていた。兄が舞踏会で【フレーウム州妃】を決める手筈となっていたが、思いの外早く会はお開きとなった。兄が即決でとある令嬢を選び抜いたからである。
思わぬ暇が出来たクラウスは、学院に無許可で持ち出したブローチで魔法を使い、猫に変身した。そうして都を散策していた時に、焦げ茶を結った緑の瞳の少女と出会ったのだ。
少女は妹に捨てられたというドレスを探していた。見かねたクラウスは、猫の姿を利用して様々な場所へ潜り込んだが、結局は見つからなかった。
少女は落ち込んでいたが、猫を抱き上げると微笑んだ。『探してくれてありがとう』と言って、共に祭りを観て回った……その想い出は、今もクラウスを生かし続けている。
『猫になれたらいいなあ。いつか王子様と一緒に、いろんなところへ行くの』
(君はあの時、僕を腕に抱きながらそう語ったね)
夕暮れ時、影の落ちた少女の顔には確かな憧憬があった。叶わない夢を描き、けれど捨てられない者が持つ燻った願いが。
(けどね、ティアリ。……その願いは叶ってはいけないんだよ)
だが彼女が学院に来てしまった今となっては、クラウスがすべきことは一つだけ。
「大丈夫だよ、ヒューゴ。この学院にあの日の少女がいたとしても僕は揺るがない。この国の未来のために――僕は使命を果たす」
『はい、兄上』
どうか王子様に憧れる小さな猫を、魔王から守れますように。
そう願いを込めて、青年は晴れ渡る空を駆け抜ける。




