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憧憬のルーネリアン  作者: 翠屋みとこ
第3章 沈黙より踏み出して

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第25話 沈黙の意味

 シャーロを食べながら、クラウスと雑談する。彼は「学院にはもう慣れたかい」「僕もスイートポテトが好きなんだ」など話を振りながら、ティアリの言葉に相槌や新たな話題を返してくれた。そのおかげか、最初は味もわからないほど身を強張らせていたティアリだったが、徐々にいつもの甘い蜜芋を感じられるようになってきた。





「変身魔法? ああ、知っているとも」


 クラウスは四年生でティアリより三歳年上の十九歳。学院は五年制だが開院して三年のため、四年生が現在の最高学年である。


「クラウス先輩も、その魔法を使ったりするんですか」

「結構便利だよ。まあ、かなり危険を伴うから三年生までは禁止されているんだろうけどね」


 上級生や教師が危ないと言うからには余程のことなのだろう、やはり焦りは禁物であるらしい。


「一年生でもやり方を教われば出来る。けど、やってはいけないよ。……わかった?」


 クラウスは剣呑な瞳をティアリに向けた。怒りではなく強い制止の意を感じ取り、反射的に姿勢を正す。


「は、はい!」


 こくこくと頷くティアリのを見て、クラウスは申し訳なさそうに苦く笑みを浮かべた。ティアリが怯えて萎縮したと考えたのか、今までの手慣れた対応から一変して、少し慌てたように。


「ごめん、怒ったつもりはないんだ。……話題を変えよう。そうだな……何か悩みとかあるかい」

「悩み、ですか」


 自分に関して困っていることはないが、心に引っかかっていることはある。脳裏に過ぎるのはやはり、赤いリボンの少女のことだった。


「えっと……わたしの身近に、何かに悩んでいる人がいるんです。でもその人は、理由を聞いてほしくはないみたいで」


 アルルは未だに寮へは帰ってこない。朝起きる度、ベッドの意味のない膨らみを見て胸が痛む。ただ月日が流れることを見ているしか出来ない自分が、その瞬間だけ嫌になってしまう。

 くしゃり、とシャーロの包み紙を握り潰した時、クラウスの静かな問いかけが振ってきた。


「なるほど。ティアリはその人が何に悩んでいるのかを知りたいのかな」

「無理に、とは思わないんです。ただ……辛そう、だから」


 食堂で偶然会ったのは昨日だが、彼女の顔は少し窶れているように見えた。おそらく用事の進捗状況は芳しくないのだろう。

 クラウスは足を組み直し、真っ直ぐな青い瞳をティアリへと向けた。


「知りたいというより、力になりたいんだね。そうだね……敢えて口を閉ざす人の強固な沈黙には、意味があると僕は思うんだ」

「沈黙の、意味……ですか」

「そういう人は大抵、よく思考している。逆に言えば語らない時ほど、心の中は雄弁なものだよ」


 その時、突如として彼の腕時計が振動した。


「噂をすれば、弟からだ。ティアリ、少し待っていてくれるかい」


 そう言うと、腕時計の表面を指で二回叩く。すると『兄上』と時計の中から声がした。


「やあ、ヒューゴ。どうかしたかい」

『……。今、どちらにいらっしゃるのですか。いつもの場所に居られないので、探していたのですが』

「すまない、今日はもうお昼を摂っていてね……うん? ああ、彼女、また来てるのか。そうだね……『来週は必ず行くから』と伝えてくれるかな」


 時計に向かい、まるで相手がそこにいるかのように話を続けるクラウス。声を抑えているので詳しい内容はわからないが……相手はヒューゴ・ゲルテア・ケラスス――クラウスの弟であるらしかった。


(凄い、この時計にも魔法が使われてるのかな。どういう仕組みなんだろう……)


 じっと金の腕時計を見つめていたティアリは、彼の腕が下ろされたことで慌てて視線を外した。そんな様子を気にするでもなく、クラウスは微笑んで。


「ヒューゴ……弟とはいつもお昼を一緒に食べていてね。僕がなかなか来ないから連絡してきたんだろう」

「す、すみません」

「ティアリが謝ることじゃないよ、僕が誘ったんだから。

 それよりも、話の続きだ。ティアリ、君は話してくれない相手の事情を、心を知りたいと思っているんだったね。ならば聞いて欲しいんだ――僕の失敗談を。かつての僕も、弟のことを知りたいと思ったことがあるんだ」





 皇都ケラススにある桜城(おうじょう)において、皇帝は花芯に当たる中央に、州妃と皇子たちはそれぞれ、花芯から伸びた花弁の如き州宮に住まう。そこまでは学園にいた頃授業で習ったが、初めて知ったのは城が上から見ると本当にケラススの形をしているらしい、ということだった。


「僕が九歳の時の話だ。当時はまだ皇太子が決まっていなくてね、皇子である僕らは公務や式典以外の場において、顔を合わせることはほとんどなかった」


 皇太子は長子だからといって決まるわけではないらしく、選定基準は皇族でないティアリには見当もつかない。彼の話しぶりからわかるのは、皇子同士よりも周囲の環境が彼らを隔てていたのだろう、ということだけだった。


「けれど僕は、他の兄弟のことが知りたかった。だからどうにか理由をつけて、彼らとの茶会を取り付けたんだ」


 クラウスは自身の州宮に他四人の兄弟を招き、選りすぐりの茶と特製の焼き菓子を振る舞った。幼い彼から見たそれぞれの印象は、第一の兄が豪放磊落、第三の弟が慇懃無礼、第五の末妹が天真爛漫だったという。

 美味しい茶と菓子は見事彼らの心を解き、幾分かの交流を得た……ただ一人、第四の弟を除いて。


「その中でもヒューゴは本当に無口だった。二言目に聞こえているのか、と尋ねてしまったくらいでね」


 沈黙寡言だったというヒューゴは、何を話しかけても頷きを返すだけで、焼き菓子なども言われなければ手を付けなかった。彼の後ろで慌てふためく従者の方が目についたくらいだった、とクラウスは語る。


「そこで幼い僕は、話してくれないのなら行動を見よう、と考えた」


 実行したのは次の茶会の時、三種類の焼き菓子を三つずつ用意させた。従者や護衛が居ては弟が萎縮するかもしれない。そう思ったクラウスは毒味の手間を省くため、自分で焼き菓子を作ったのだという。


「二人きりになった後、僕はヒューゴに『四つ食べていい』と言ったんだ。ヒューゴは言われた通り、一種類ずつ食べて。……そして四つめに、もう一度辛味菓子を取った」


 そこでティアリはクラウスの意図を理解した。


(最後に取った一つが、好きなものってこと……)


 彼の言っていた【行動を見る】とはまさにこのことだった。咄嗟に取ったものをヒューゴの好物だと思ったのだろう。


「今思えば、偶然取っただけかもしれないのにね? 当時の僕は勝手に舞い上がっていた、弟のことを始めて知れた気がして。だから次は辛味菓子だけを作って振る舞った。机いっぱいに広げて、好きなだけ食べていいと。

 ……そうしたら、弟が初めて口を開いたんだ。驚いたよ、本当に。何て言ったと思う? ……『すみませんでした』と謝ってきたんだよ」

「え……」

「『兄上の手を煩わせて申し訳ありませんでした』って、泣きながら」


 弟の言葉を思い返すクラウスの表情は寂寞な砂漠を思わせた。ティアリは彼を見上げ、手から零れる砂を眺めるような遠い目を垣間見る。きっとヒューゴの言葉は一言一句違わないのだろう、それほどにクラウスの話し方は自戒を込めたものだった。


「僕はヒューゴのことを、勝手に判断していたんだ」


 何と言えばいいのか、すぐには出てこなかった。胸に鈍痛が走った――ティアリにも思い当たる節があったからだ。


(わたしも、同じだ)


 ティアリもアルルの気持ちを推し量り、聞かないという選択肢を取った。


「ティアリ。僕はどうすれば良かったと思う?」


 話題を振られ、俯きかけていた顔を再びクラウスに向ける。同時に、何故クラウスが過去の話を聞かせたのかようやく理解した。

 ティアリはクラウスの話に聞き入って……否、自分ごとのように共感していた。状況は違えど、どちらも沈黙を選んだ者との対峙である。故にクラウスは問うことで、ティアリの答えを導こうとしているのだろう。


(わたしなら、どうするのかな)


 テーブルに向かう自分の姿を思い浮かべる。目の前にいるのは勿論薄紅色のリボンをした少女だ。

 似ているとはいえ、ティアリはクラウスとは異なり『相手の気持ちを勝手に判断した結果、それが正しかった』場合である。けれど彼と同じくティアリもまた、対話で得られた感情に納得していない。


「クラウス先輩がどうしたらよかったのかは、正直わかりません。だけど多分、わたしも……同じ失敗をします」


 幼い頃からの癖だった。相手の言葉よりも行動に目が行き、声の出し方や態度で感情の方向性を判断してしまう。自ずとその口から出る言葉も想像のつくものになり、それが自分を傷つけるものならば聞きたくないと思ってしまう。


「だから、ちょっと前のわたしだったら、そこで諦めていたと、思います。

 でも今は……失敗した後で、相手にどうしてそうしたいと思ったのか、全部説明したい、です。ちゃんと伝えられたって思うまで」


 けれどティアリは知った。

 思考と言葉は一致しない、そうでなければ対話など必要ない。過去を振り返ったところで戻れはしない、そこにあるのは自らが選んだ言葉だけであると。


「言い方はたくさんあると、思います。その子に合った言葉を考えたい、です」


 間違えたと思うなら、そしてまだ伝えたいと思うならば変えればいい。なんてことのない結論だが、アルテナにいた頃では絶対に辿り着けなかった答えであるとティアリは思う。


「――そう、なら頑張って。応援しているよ」


 クラウスの声は、湯で温められた器のようにじんわりとした優しさを孕んでいる。その微笑みは、高貴なる皇族というよりも保護者のような柔らかさがあった。そういう点では彼は学院長と少し似ている気がする。


「……ありがとう、ございます。クラウス先輩」


 つい先ほどまで【先輩】と呼ぶなんて恐れ多いと謙遜していた。けれど今は心から尊敬する人として、寧ろそう呼びたいと思える。クラウスが静かに頷き返したのを見て、ティアリもそっと胸を撫で下ろした。

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