第20話 初めての魔法
「もし、魔法があったとしたら。あなたは何がしたいと思う?」
初めてアルテナ学園に登園した日のこと。かつての恩師レリアは、ティアリにそう訊いた。
あれは確か――レリアが絵本【ルーネリアと魔法の石】を読み聞かせてくれた後……「ルーネリアの魔法が誰にも信じられなかったことが可哀想だ」と、ティアリが感想を述べた時のことだ。
幼いティアリは、魔法などこの世にはないことを知っていた。
けれど、もしもの話なら……いくつでも言える。
いっぱいあった【したいこと】のうち、最初に浮かんだのは、ルーネリアの前に読んでもらった話を聞いて思いついたことだった。
(あれになりたいな、そうしたらきっと、どこへでも行けるはず)
ティアリは顔を上げて、答えを待つレリアを見た。
「わたしは――」
その時からずっと、ティアリは【願い】を持ち続けていた。
*
杖が僅かに振動し、指した方向に淡い光が出現する。
音はない。ただ静かに、上から下へと糸を紡ぐかの如く光が移動していく。ティアリはそれを、片時も目を離さず見守る。
「……!」
地面まで光が到達した時、針が抜かれるように光が消滅する。
変わりに出現したのは……白と黒が混ざった毛並みを持つ、緑の目をした猫。
ティアリが入学試験で記した願い――それは【猫になりたい】だった。
童話【猫と王子様】に出てくる、王子様と旅に出る幸運な猫。どこまでも、自分たちの行きたい場所へ行ける二人を、幼いティアリはずっと羨ましく思っていたのだ。
(絵本に登場する猫とは毛の色が違うけど……可愛い!)
ティアリは猫に近寄ると、膝を折って猫の目の前に座る。
「初めまして、わたしはティアリだよ」
真ん丸な瞳でこちらを見つめる猫に、微笑むティアリ。
ティアリは昔から動物が好きだった。殊更猫に対しては、見かければ必ず近づいて話しかけようとする節があった。
多くの猫は近づくと逃げてしまうが、この子はその場から動かず、尻尾も振らない。目線だけをティアリに向けている。この子は自身の瞳に映るティアリを、どう思っているのだろう。
いつだって話しかけるのはティアリの自己満足で、今まで一度も返事を期待したことは無い。
(魔法で喋れるようになったり、しないかな)
けれど夢の端に触れられたことで、願いは水が温まるように、胸の内から沸々と湧き上がってくる。
叶えられると知ってしまえば、その先に手を伸ばしたくなる。
「……出来れば、あなたとお話したいな」
ティアリが猫と見つめ合っていると、辺りが一段と騒がしくなっていることに気づく。
緑一色だった草原には、正しく十人十色と言うべきか、生徒たちそれぞれの【魔法】が花開いていた。
ある者は宙に浮き、ある者は炎や水を噴射させたりしている。誰一人として全く同じ魔法は見当たらない。
一層騒がしいのは学院長が浮かぶ真下に集まった生徒たちだ。ティアリと同じく魔法で生物を生み出した生徒たちらしく、彼らの周りには多種多様な動物がついている。
彼らは口を尖らせ、学院長に抗議しているようだ。
「先生! 俺が試験で書いた魔法は【かっこいいドラゴンになりたい】だぜ!? ドラゴンっつーか、ただのデカい鳥じゃねぇか!」
「そうよ、これじゃあ変身じゃなくて召喚よ」
言われれば、ティアリも本来の願いは猫そのものになることで、厳密には叶っていない。ティアリと同じ類いの願いを持った生徒たちが、次々に不満の声を上げるが、学院長は彼らの反応を予想していたらしく、淀みなく返答した。
「まずは魔法生物が夢と異なる件。これは簡単なことで、一年生のブローチに付与した魔力量は極めて少なく、故に貴方たちの夢にも再現できる範囲があるという話です。
次に【変身魔法】ですが……これは危険が伴うので、厳密には禁止しています。簡易なものなら三年生から使用可にしていますが」
「危険?」
「そう、とーっても危険です。想像してみなさい、たとえば貴方がドラゴンに変身する場合、骨格から変化させる必要がありますよね。それが叶えられたとして、元に戻るためにはまた正確な詠唱が必要となる。【元に戻して】なんて魔法には通用しません。魔法が作用するのは、時間ではなく空間ですから」
「なんだよ、じゃあ魔法って何でも出来るわけじゃないのかよ……」
落胆したように肩を落としたり、批難の声を上げる生徒たち。ティアリは申し訳ないと思いつつ、そう言いたくなる気持ちも理解出来た。『貴方たちの夢を叶える時です』と盛大に謳っていたのにもかかわらず、願ったそのままを叶えられないというのは、何のためにここまで来たのか疑問に思いたくもなるだろう。
ティアリは学院長の返答を待った。この人だってその反応は予想していたはずだ、ならば何も考えていないはずはないと。
「そうですね、ごめんなさい。
――けれど夢に近づくことは出来ます。ブローチの魔力量は定期試験に合格すれば増やしますし、変身とはいかずとも同等の体験を得られる【操縦魔法】がありますから」
生徒たちの反応は半々だ。「まあ、それなら」という者と「いやでもなあ」と依然として不服そうな者。ティアリはというと、静かに納得していた。
(夢に近づく、か)
完璧に叶えられなくともいい、とティアリは思う。夢もまた環境を受けて変化するものだと考えるからだ。
(うん、猫ちゃんが喋れるようになったらいいな)
よし、頑張ろう――ティアリがそう思っている間にも、生徒からの質問は止まらない。
「でも先生、魔力に制限があるって言うけどよ、あいつはどうなんだよ! 俺らより明らかにデカい魔法出してるじゃんか!」
出席番号四番、教室でティアリの隣の席でもあるフレッドが指を差しながら叫んだ。
その矛先は――少し離れたところにいる、ライカが発動させた【半透明な壁】に向けられていた。
仄かな紫を纏う壁は、ライカを起点にして取り囲むように展開されていた。中にいるライカは大分ぼやけており、壁に映るのは薄紫色の影だ。少年の影は忙しなく動いていて、何かを叫んでいるのだろうが、壁がかなり分厚いためにこちらには届いていない。
「ライカは本当に、よく目立つ子だね」
【手のひらに林檎を生み出す魔法】を発動させていたキャシーの感嘆にティアリも頷く。
「うん……どんな魔法なんだろうって思ってたけど、びっくりした」
ライカの魔法は、発動前から注目の的だった。
あらかじめ学院長がライカを指し「貴方は離れたところで。その距離では他の生徒を巻き込みますから」と彼を移動させていたので、不思議に思っていたが……今、その理由がわかった――魔法の範囲が大きすぎるのだ。「出してくださーい!」と言わんばかりに両手を高速で振るライカをみかねて、学院長はすぐさま彼の魔法を解除した。
ライカはティアリとキャシーの元に駆け寄る。
「ああ……びっくりしました!」
「こっちの台詞だよ。ライカ、君の願いは何だったのかな?」
キャシーが尋ねるとライカは首を捻った。
「えっと、わからないです」
「あ……そうか。ライカくんは入学試験を受けてないから、最後の問題に答えてないんだ」
個人の願いが問われたのは筆記試験の最終問題。ならば学院側も、彼の願いを把握していないはずだが、ライカのブローチはきちんと用意されていた。
「それって、貴方の願いは何ですかーって奴ですよね? 今だったら【お母さんの形見を返してください】って答えると思います」
ライカが学院に来た理由はそれだけで、故に確固たる願いである。
だが実際にライカの魔法として展開されたのは【透明な壁】だった。まるで彼自身を守るかのような、強固で不可侵な領域――いくら与えられた魔力の可能範囲でとはいえ、返してほしいとの願いからは少し遠ざかっている気がする。
(学院は……あの人は、ライカくんのブローチに何を書いたんだろう)
ティアリは答えを求めて、不意にあの人――学院長に顔を向ける。しかし彼に語る気はないようで、ただ笑みを浮かべるだけだった。
「良い質問ですね、フレッドさん。ブローチに付与された魔力量は皆同じですよ。
小さいけれど中の詰まった実と、大きいけれど空洞の実が同じ重さであるように、貴方の鳥とライカさんの壁も、単体で見れば同じ魔力量で出来ている。彼の願いによって、設置範囲が広くなっているというだけですよ」
「んー、なるほど……?」
「これでも、皆さんの願いに少しでも近づけるよう【魔術指示文】を捻って継ぎ接ぎして削って……もう大変だったんですからね」
「魔術指示文?」
「魔法を使う際に用いる文章です。ブローチに書かれたものですよ。魔力に対して、どういった風に魔法を使うかを指示するためのものです」
ブローチを裏返す。そこに書かれた文字が全て【魔術語】と呼ばれる言語であるらしい。帝国語とは形象がまるで異なるそれは、読み方の糸口すら掴めそうにない。
「この言語は簡単に習得出来るものではありません。ですが折角魔法学院に入学したのに、最初から机に向かっていてばかりだとつまらないでしょう?」
確かにそれでは、魔法という奇跡の力に辿り着く前に心が折れる生徒もいるだろう。
「だからブローチは私からの入学祝い。貴方たちの願いが一つの言葉で発動するようにしたんです。
……まあ、正確にとは行きませんけれど、方向性は守ったつもりです」
ブローチに刻まれた魔術語は生徒によって異なっていたが、唱える言葉は皆同じだった。
「初めての魔法は、好きなものであってほしいと思ったので」
目隠しでわからないものの、片目を瞑って笑うように首をこくんと傾げる学院長に、思わず顔が綻んだ。なんだかんだと言いながら、各々が自身の願いと向き合い、そして多少なりとも叶えられたと感じているのだろう、生徒たちは柔らかな表情を浮かべている――きっと、学院長の狙いは成功している。
ティアリは再び猫を見つめ、そしてそっと抱き上げた。
(……うん、わたしも初めての魔法が、あなたで良かった)
温かさはまるで感じない。けれど手のひらに当たる毛並みの感触を、ティアリは無言で噛み締めていた。




