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憧憬のルーネリアン  作者: 翠屋みとこ
第2章 入学式

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第18話 曇天

 アミキティア魔法学院がある、ルヴェーラ州のグベルナーレ島。

 その町役場の二階、執務室にて。





 苦手な書類仕事を片していると、いつの間にか夜は更けていた。男は資料から顔を上げると、眼鏡を外し目頭を押さえながら天井を仰いだ。先ほどから執務室を充満させるほど、何度も深いため息をついている。


「っあー、腰が痛ぇ」


 男は薄灰の髪をがしがしと掻き毟りながら、ペン先を齧る。目の疲れを訴えてくる黄土色の瞳は、機嫌の悪さも相まって濁りが強くなっていた。


「クソ野郎。余計な仕事増やしやがって」


 悪態をつきながら勢いよく机に足を乗せた時、背後にある窓が開いた。わざわざ振り返る必要もない、と思った男は咥えていたペンを机に放り投げる。噂をすれば、という奴だ。


「お疲れ様です。……おや、随分と荒れていらっしゃる」


 白々しい物言いに、カチンと来る。


「……てめー、誰のせいだと、思ってんだ、ああ?」


 薄灰の髪の男は仰け反ったまま、ギロリと侵入者を睨みつけた。

 照明の元で煌めく金髪に、見えているのだかわからない黒布の目隠し。近くにある学院の制服を着た十代半ばの少年が、口角を上げたまま見下ろしている。

 執務室は二階にある。玄関からは絶対に入って来ず、空から飛んで来る。こいつが来るときはいつもそうだった。まあ、ただの少年が町役場を出入りする方が不自然なので仕方がないのだが。

 苛立ちの籠もった声に、少年はわざとらしく怯えたフリをした。


「それについては、本当に申し訳なく思ってますってば。安心してください、【魔法で作られた金貨】の回収は全て終わりましたよ」


 グベルナーレ町長――クリストフ・レイスは苦々しい顔で舌打ちをした。


「やってあげました感出すのムカつくからやめろ、この老いぼれジジイめ」

「む、失礼な……確かに今年で九十歳ですけど、まだ老いぼれてなど」

「九十はもはや、死人だろ」


 吐き捨てた言葉に、少年は感心したように呟く。


「死人、ですか。あながち間違いでもありませんね」


 詳しくは知らないし聞くつもりもないが、この少年に見える男は人ではない【何か】であるらしい。

 魔法とかいう不可思議な力を操り、出会った時、つまり五年前から外見が全く変わらない、未知で不気味な生物。


(ったく。ようやくシュタルトの婆さんから解放されたと思ったら、次は得体のしれねー化け物の言いなりになるたあ、思わなかったぜ)


          *


 本来ならば、領土の統治は領主である貴族が行う決まりだ。

 しかしある時、代々グベルナーレ領主を任されてきた伯爵家シュタルトの当主が、統治から退きたいと帝国に申し出たのだ。

 理由は二つあった。現当主の高齢化と、次期当主の不在だ。現当主は六十を超えた老齢の女性。前当主である夫には早々に先立たれており、娘が一人いたが、島外で男と駆け落ちして以降消息不明らしい。

 ややこしいのだが、グベルナーレはルヴェーラ州に属すると共に、皇都ケラススの直轄領でもある。そのため珍しいことに、統治権限は領主ではなく帝国に直接委ねられていた。

 帝国は伯爵家の申し出を受け入れたが、官僚を派遣するのではなく、かねてより伯爵家に仕えていたレイス家に町を統治させよと命じたのである。

 父が町長となった後、クリストフは父に代わって、伯爵家シュタルトの当主である老婆の駒使いとして扱き使われる毎日を送っていた。

 そんな彼に転機が訪れる。父が町長を引退する、と言ってきたのだ。


「私はもう長くない。不本意だが、お前に任せるしかない」


 クリストフは喜んで引き受けた。あの頑固ババアの相手よりはましだ、それにこんな小さな町なのだから、どうにでもなるだろうと。

 ――だが、現実はそう上手くはいかなかった。

 政治のことは何もわからない上、口も態度も最悪なせいで元々の人脈は皆無。最初は父の残した椅子でふんぞり返りやりたい放題だったが、彼に付いていけなくなった職員が無言で去って行った結果、一年後には既に雲行きが怪しくなっていった。

 そしてクリストフが、破綻寸前になった町役場を前に全てを放棄しようとした、その時であった。





 大きな月の出ていた、静かで不気味な夜のこと。


「その火で、どうするおつもりですか?」


 ――汽笛が、鳴ったのかと思った。海の近くでもないのに。

 誰もが寝静まり、虫の鳴き声すら聞こえない静寂の中において、その声は凛と、そして重く響いた。

 今まさに松明を振り上げていたクリストフは、驚いて声のする方を探した。揺れる赤い炎では、辺りを照らせるほどの力はない。


「焼き尽くしたとしても、全てを無かったことになど出来ません。馬鹿なことはやめなさい」


 もう一度声がした。上だ、空に何かがいる。クリストフは月を見上げた。

 そこにあいつがいた。白い月に重なるよう宙に浮かぶのは、瞳を前髪と眼帯で隠した少年。

 少年は驚愕に満ちた男を見下ろし、苦笑した。


「酷い顔。随分とお困りのようですね。――私が助けてあげましょう」





 それからは早かった。少年はまず、散らかり放題の執務室に上がると、その手を振りかざした。すると、まるで紙が意志を持ったかのように一人でに舞い上がり、隊列を組むかの如くいくつかの束ごとに積み上がっていく。少年はそれらにざっと目を通し、更に優先事項と長期課題に振り分ける。すぐに手を付けられる部分は、さっと書き上げてしまう。

 ――これら一切の動作を、その手を付けることなく完了させてしまった。

 目まぐるしく行われた【お片付け】に、クリストフは開いた口が塞がらなかった。


(な、なんだよ、これ……魔法? そんなまさか)


 クリストフはそれを信じない。物語の中の存在で、あり得るものではないと思っていた。だけれど……実際に見せられたのならば、信じるしかないのだろうと思える冷静さは残っていた。

 仕事を終えた少年は、一息ついてクリストフに向き直る。


「これからは私が町の行政を手伝います。ですので、代わりにお願いがあるのです」

「……なんだよ」


 どうして先を促したのだろう。もう町長なんて、真っ平ごめんだと思っていたのに。こいつの願いを聞いてやる義理も、叶えられる保証もないというのに。

 少年はクリストフの返答に驚嘆し、嬉しそうに飛び上がった。その時だけは化け物なんかじゃない、ただの子どものように思えた。


「えっ、ありがとうございます! 実は――二年後に、このグベルナーレに学院を作りたいと考えておりまして。その存在を容認していただきたいのです」


 彼は自身を、ルーネリアと名乗った。


          *


 ルーネリアはクリストフの見ていた資料を手元に引き寄せた。


「……『特別手当配布のお知らせ』。なるほど、被害者や総額もわからないので、町民全員に分配して有耶無耶にしたと。ちゃんと考えたんですねぇ、偉い偉い」

「バカにすんな殺すぞ。元はと言えばお前のせいだろ」


 頭を撫でようとする手を払い除け、クリストフは息を吐く。


「しかし、犯人サマは一体何がしてぇんだ。魔法で偽の金貨作ってジジイ共にばらまくなんて。俺だったら他人にあげたりなんかせず、自分で使うね」


 偽金貨を最初に見つけたのはシュタルトの老婆だった。彼女はクリストフに「金貨に偽物が混じっているから調べろ」と命じたのである。

 面倒くさいと思いつつ調査すると、偽金貨を受け取ったのは数人だけで、使用されて広まったのはここ数日だったことが判明した。幸いなことにその期間中船は一隻も島外へ出ていなかったため、大ごとになる前に対処できたのだ。

 しかし、未だ犯人は特定できていない。何しろ目撃者が老人たちのため、証言が曖昧なのである。


「単純に考えれば、本格的に使用する前に騙せるかどうか町民で試した、といったところでしょう。であれば、中心から離れた地域の老人たちが狙われたのも納得です。なにせ中心地は学院関係者が大勢いますし、私に見つかっては台無しになる」


 グベルナーレ島の町民は五年前から明確に二分化している。一族代々島にすむ者と、そうでない者だ。

 島は近年著しい高齢化に悩まされてきた。子どもたちは、十歳頃になると学園に通うために一旦島を出る。そして義務教育を終えた時、島に帰って来ない子どもの方が圧倒的に多かった。田舎よりも、豊かで就職先も多い都会へ惹かれるのは仕方のないことだろう。

 そんな寂しい島に若者のための学院が作られ、麓となる町の中心地にも生徒らが訪れるようになった。

 当然町民たちは手放しで喜び、彼らを歓迎した。その学院が、一体何を学ぶためのものなのか深く考えずに。


「……で、犯人の目星はついてるのかよ?」


 ルーネリアは少し考え込んだ後、クリストフへと向き直る。


「貴方も知っての通り、魔法は学院外で発動しないようになっているでしょう?」


 学院関係者以外の住民が魔法を目にすることはない。そのため、彼らは学院のことを【まじないを学ぶ所】と思っているようだ。


「ただし緊急時に備えて、教師陣には【予備魔力】を与えています。犯人はその発動条件を書き換えて使用した」

「……つまり、先公がやったってことか?」

「ええ。そしてそんなことができるのは、私と共に魔法を教える側の人間に限られます。魔法以外を教える教師には無理です。私の【魔術指示文】を書き換えるのは、かなり高度なことなので」


 強い憤りを滲ませた声で、ルーネリアはそう言い切った。

 開院から三年。現在、ルーネリアの他に魔法の授業を受け持つ教師は極僅かだと聞いている。彼らとは学院創設計画時からの仲であるとも。

 つまり、教師の中でも古参陣営に犯人がいることになる。


「おい、おいおいまじか。センセ、信じたお仲間に裏切られた気分はどうだ?」


 クリストフはここぞとばかりにルーネリアを煽ったが、思ったような反応は得られなかった。

 魔法学院の長たる男は冷静だった。冬の夜の、凍る直前の泉のように。


「最悪です。しかも金貨をみるに、自分ではない誰かに詠唱させてますね……なんと狡猾な」


 ふぅん、そんなこともわかるのか。クリストフはそう思ったが口にはしなかった。理解できない魔法の原理など語られても面倒くさいと思ったからだ。

 代わりに素直な疑問を口にした。


「誰かって誰だよ」

「……()に言われたんですよ。『自分の推薦枠として、学院に入れてほしい少年がいる』と。曰く【魔法の天才】なんだそうです。――この私と同じく」


 ルーネリアはクリストフが放り投げたペンを魔法で手元に手繰り寄せた。空中で、ペンがくるくると回っている。


「これは推測ですが、彼はその少年に魔法を教え、自分の代わりに使わせたのでしょう。

 ところが入学式前日……昨日ですね。突然『その生徒は島外へ逃亡した、よって入学は辞退させる』とか言い出したんですよ。偽金貨の件が、私に気づかれたとでも考えたのでしょうか、それともその少年と仲違いをした?」


 再び思考の世界に戻ろうとするルーネリアに負けじと、クリストフも頭を捻る。目の前で回り続けるペンのように、頭の方を全力で回転させてみるものの……結局ペン先が、答えの位置で留まることはなかった。


(……わからねぇ。偽金貨もそうだが、犯人はなんで全部他人にやらせてるんだ?)


 そもそも、ルーネリアの言う【彼】とは誰なのか。

 腹が立ってきたので、いつまでも動くペンを掴み取ろうとした時。それは一瞬で停止し、クリストフの手元へと運ばれた。


「ともかく、あなたは今後も警戒をお願いします。

 ――私は、彼を問い質します」


 彼と呼ぶことから察するに、ルーネリアは既に犯人を特定している。だが確証が無ければ罰することはできないのだろう、ルーネリアはそういう規則を重んじる男だった。


(……マジで、なんもわかんねぇけど。ぜーんぶ魔法でわかったりしないもんなんだな)


 クリストフたち平民にとって【魔法】とは【何でも願いを叶えてくれる万能な力】である。

 しかし、かつて【魔女】が世界に厄災をもたらしたように、何でもできる力であるからこそ、悪人が使えば夢は悪夢へと変化してしまう。

 故に、クリストフにはわからない。

 この男――ルーネリアのことが。


(……こいつは本当に、悪い奴じゃないと言えるのか?)


 魔法を使い、けれど自分だけのために使わず人に教え広めようとしている、人ではない【何か】。偽金貨を配った犯人の目的が【悪事を働くための試行】なら、こいつは? ルーネリアは何のために魔法学院など作ったのだろうか?

 ……考えるのは苦手だ。

 クリストフは思考を放棄した。まだ顎に指を置き、真剣に考え込むルーネリアを横目に、目を閉じる。





 次に意識を取り戻した時、執務室の窓から覗く空は明るくなっていた。

 しかし、太陽は分厚い雲に遮られたまま。


(これは、一雨降りそうだな)


 薄暗い空に向かい、クリストフは一応快晴を願っておくことにした。

第2章 入学式 完

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