第17話 それでも隣に
「どうしてあの時、あの子を引き留めたの?」
目の前に母がいる。机に肘をついて、自身の口元を指さしていた。何をしているのだろう、と思うより先に、母の手がこちらへ伸びる。どうやら、口元にスイートポテトのかけらがついていると教えてくれていたようだった。
「あの子には、何か退っ引きならない事情があるみたい。それはわかってたのよね? いつもなら彼女を止めなかったでしょう。だってあなたは……無理に人に言葉を求めない。『聞かれたくないように見えたから』『今は話しかける時じゃない』なんて言って……ベッドの中ではいつも後悔ばかり」
だけど、と母は続ける。
「今のあなたの後悔は、別の所にある」
これは夢なんだと、ぼんやりとした頭で思う。あの頃の母の形をした朧げな思考が、幼い姿の自分に問いかけているのだ。
――どうして自分は、あの時アルルを呼び止めたのか。
聞いても言ってくれないとはわかっていた。彼女の心には錠がついていて、ティアリにはその錠にぴったり合う鍵を持ち合わせないのだから。
「……多分、だけど。影響されたんだと思う」
まっすぐに自分の想いを伝えられる少年に。言葉が間違っていても、足りなくても、とにかく届けようとする真摯な姿に。
――そんな彼に救われたから。少しでもそうなりたいと、願ったから。
「あのね、お母さん。ライカくんもあの子もね、しっかりとした自分がいるのが凄いって思うんだ」
いつの間にか、大好きなスイートポテトを頬張っていた、幼い頃の掌は大きくなっていた。母を見下ろす。彼女はずっと微笑んでいた。
自分の想いを伝えるのを、母は待ってくれている。
「わたしもそうなりたい。もっと皆と、話がしたい」
視界がぼやけていく。
夢の終わりが近づいている。
机の向こうに座る母は、穏やかに手を振る。そして確かな言葉を贈ってくれた。
「頑張れ、ティアリ」
前へ進むと決意した、娘をしっかりと送り出すように。
*
目覚めと共に起き上がってすぐ、隣のベッドの膨らみに気づいた。昨晩アルルが残していった人が眠る姿の見せかけだが、ちゃんと人がいるように見えるので、少し驚く。けれどそれに触れてしまえば、中身は空虚であるという事実に引き戻された。アルルは本当に町へ行ってしまったようだった。
顔を洗い、髪を結う。食堂で朝食を済ませて寮を出る。
春と言えど、朝はまだ肌寒い空気が残っていた。ティアリが縮こまりながら、寮の正門まで向かっていた時。
あの声が、聞こえてきた。周りの視線を気にしない、明るくて透き通るような声が、少し冷たい風に乗ってティアリの元まで届いた。
「ティアリさーん!」
――彼はきっと、大勢の友達に囲まれて登院するはずだと、そう思っていた。
その姿を見るのも、見たくない自分も嫌だった。だからティアリは、登院時間をかなり遅らせていたのに。
にもかかわらず、ライカはそこにいた。
「おはよーございまーす!」
手をブンブンと振るライカに駆け寄ったティアリは、開口一番彼に尋ねた。挨拶をすっ飛ばしたまま。
「もしかして、待っててくれたの?」
「え? はい。一緒に行きたかったんです! ……だめ、でした?」
今度はティアリが首をブンブンと振った。
何故だろう。こんなにも胸が熱くなるのは。
「……だめじゃない。むしろ、嬉しいというか」
逡巡する。次の言葉をどう続けたらいいのか。どうすれば今思っていることが、きちんと彼に伝わるのだろうか?
(……落ち着いて、大丈夫。言うんだ、わたし)
「――あのね、ライカくん」
「はい!」
元気な返事に救われる。待ってくれているのだ、ティアリの言葉を。それだけで、安心できる。
「…………わたしは、その。だから……と」
「と?」
(――『伝えたい想いがあるなら、ちゃんと言葉にしなきゃ』だめ……そうだよね、お母さん)
忙しなく動きそうになる手を力強く組む。そこに全ての緊張と不安を預け、ティアリは勇気を振り絞って言葉にした。
「と! と……友達に、なりたい、です!」
言えた。とても唐突だったが、ちゃんと形になった。
ティアリには友達の作り方がわからない。アルテナにいた頃は、作る必要すら無かったからだ。
学院に来てから、ライカやキャシーは優しく話しかけてくれたが、自分が友達と思っていいのかどうかはわからなかった。面と向かって「友達だ」と言われていないから、と思う。
だから言葉にする。想いを確かなものにしておきたかった――今ならば、そう願った母の気持ちがわかる。
目を瞑っていたティアリは、恐々とライカの返事を待った。
すぐに気の抜けるような答えが返ってくる。
「――仲間と友達って、違うものですか?」
「……へ?」
「いや、違うから言葉も違うんですよね? ごめんなさい、僕、ティアリさんのことは仲間だと思ってて。……でも、友達にもなりたいです! というかそのつもりでした!」
そういえば、出会ってすぐに駅で【同じ学院に行くなら、もう仲間】だと言っていた気がする。
(……なんだ、じゃあ、最初からもう……友達、で良かったんだ)
強張っていた肩の力が一気に抜けていく。じんわりと胸が温かくなった。
「改めて、よろしくお願いしますね」
そう言って歩き出したライカに、ティアリは「……うん」と小さく頷く。
並んで学院に向かう道すがら、ライカは昨日の放課後、皆で町へ買い物に行った時の出来事について話した。
グベルナーレはそこまで大きな町ではないが、学院が近くにあるためか、ペンやノートなどの勉強用具を取り扱う店が多くあったという。他にも、若者が好きそうな装飾品や味の濃い食べ物を売る出店などで大層賑わっていたらしい。
「大変だったのはレストランの時ですよ。お料理はとっても美味しかったです……でも」
ライカはティアリに訴えかけるように切実な声で。
「ほんとに、ティアリさんがいてくれたらなーって思ってました。ほら、僕が学院長に迫った時の話です。
皆に『結局何を取られたのか、何をされたのか全然わからんからもう一回説明して』って、皆がわかってくれるまで、拘束されてたんです」
正直疲れました、とライカは力のない声で続ける。
「僕の勘違いだったらあれですけど、ティアリさんは舞台での話だけで、わかってくれてたんじゃないかなって」
ティアリは予想外の言葉に目を丸くする。どこでそんな信頼を得たんだろう、と思いつつ、ティアリは一応自身の見解を話してみた。
「全部はわからないけど……取られたのはペンダント、で合ってる?」
「そうです、流石ですね!」
褒められているのだろうが、それは自分が凄いのではなく、他の生徒と比べてライカの話し方に少しだけ慣れているせいもあるのでは、と思うティアリ。
「僕、学園にいた時から、変なことを言ってるみたいでちゃんと話を聞いてくれなくて……でも、ティアリは違うって思ったんです」
「え……」
「あの時僕、ちらっと客席を見たんです。皆驚いている中で、ティアリさんは僕の話を聞こうと、真剣な目をしてた。それが凄く、嬉しいなあって。ありがとうございます、本当に」
その言葉は、あの時、ただ見ていることしか出来ないと落ち込んでいたティアリを救うものだった。
「……お礼を言うのは、わたしのほうだよ」
「え? どうしてですか?」
「えっと……秘密?」
「なんでですか!?」
そう話しているうちに、学院の正門が見えてきた。
ライカは荘厳な門を見ながら「そう言えば」と切り出す。
「学院長がペンダントを置いているっていう、ええと……魔法空間【秘密の部屋】、でしたっけ」
「行き方は『魔法を学び、理解した時扉は開かれる』と、学院長は言ってたね」
「つまり、どういうことなんでしょう?」
確かに抽象的で的を射ない。扉が本当にあるのか、そもそも比喩表現なのかもわからなかった。
「言葉通りに受け取るなら……ちゃんと魔法の授業を受けてねってこと、かな」
ライカは決意に満ち溢れた瞳をティアリに向ける。眩しいなあ、と幾度となく思わされる。
「なるほど! 正直、なんで僕の宝物を盗んだのか、すんなり返してくれないのかは知りません。でも考えたってしょうがないので、とにかく言う通りにしてやりますよ! 待っててくださいよ、学院長ー!」
その時、予鈴が鳴った。日に照らされた時計塔が、正門をくぐる生徒たちを見下ろしている。
ライカはティアリの手を取る。
「授業初日から、遅刻はいけませんからね! 急ぎましょう、ティアリさん!」
「……うん!」
ティアリは握った手に力を込める。離さないように、置いていかれないように。
――隣に、いるために。
鐘に負けないくらいの靴音を響かせて。
二人は教室へと駆けて行った。




