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憧憬のルーネリアン  作者: 翠屋みとこ
第2章 入学式

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第16話 遠ざかるリボン

 ライカはキャシーや数人の男子たちと共に、町へ買い物に行くらしい。ティアリもキャシーに誘われたが、疲れたからと断ってしまった。ぞろぞろと教室を出ていく彼らの背中を見送った後、ティアリも席を立つ。

 とぼとぼと寮に帰ったティアリは、自室の扉を開けてヒュッと息を呑んだ。


 薄紅色を纏う少女――アルル・ユフィールが、大きな鞄を持って部屋の真ん中に立っていたからだ。


 改めてアルルを見つめる。水彩のような繊細な薄い紅の髪に比べて、瞳はルビーの如く密度の濃い赤色だ。その目は強く凛々しい眼光を放っている。けれど睨まれていると思わないのは、彼女の佇まいにそこはかとない気品を感じるからだろうか。

 アルルは裾を持ち上げ、礼をした。引き結ばれた唇が解かれる。木々を移り渡る小鳥のような、可愛らしい声だった。


「初めまして、アルル・ユフィールと申しますわ。昨晩はご挨拶できずに、大変失礼いたしました」

「い、いえ、大丈夫です……あっ、ティアリ・エフォルティーネと申します、よろしく、お願いします……」


 途中でこちらも名を告げることを思い出し、慌てて付け加える。礼儀がなっていないと思われるだろうか、と心配するティアリだったが、アルルは特に咎める様子はなかった。


「どちらのベッドにするか、というのもわたくしが決めてしまい……今からでも変えましょうか」

「あ、大丈夫ですっ! このままで……」


 ティアリが寮に来るのが遅かったのだから仕方がないし、寝られればどこだって構わないので、手をブンブンと振って断った。それに今更、ベッド周りにきちんと整頓されている、ピンクの小物たちを動かすように彼女に言うのも気が引ける。

 アルルは申し訳なさそうに眉を下げて言った。


「わたくしがあのユフィールだからと、気を遣わなくても構いませんのよ」


 淋しげな微笑みは、そう扱われることに慣れている人のものだった。


 【あのエフォルティーネ】と呼ばれ、敬遠されたティアリにも覚えのあるもの。

(あれ? でも確か、ユフィールって)


 その名には聞き覚えがあった。学園で先生が口酸っぱく「ここは絶対試験に出すから覚えてよー!」と言っていたような……。


「あ……ユフィールって、エリシア――」

「ええ、そうですわ。わたくしは【教育の母】こと、エリシア・ユフィールの末裔です」





 エリシア・ユフィール。

 今から六十四年前に、帝国教育法を立案した第一人者であり、初代教育省長官だった女性。

 彼女は辣腕を振るい、帝国に対して教育の重要性を説いた。そして全大陸――今もなお、ゲルテア州にはない場所もあるが――の町に、義務教育を学ぶための教育機関である【学園】を作らせた。小さな町アルテナにすら学園が存在するのは、彼女が生涯をかけて制度確立に奮闘したからである。

 その子孫であるユフィール家現当主も、ルヴェーラ州庁の教育省長官を任されているという。つまり、アルルは由緒正しき公爵家ユフィールのご令嬢。子爵であるティアリとは比べ物にならないくらいの高貴な存在である。

 賢まらないで、と言うアルルの表情は、自分を通して先祖を見出そうとする人が多くいたことを物語っていた。

 何と言えばいいのかわからない。ティアリが視線を彷徨わせていると、アルルの持つ鞄が目についた。そういえば、ティアリが部屋に入ってきた時から持ち上げていたようであった。まるで、今から出掛けるとでも言うように。


「……あの、町へ行かれるんですか」

「ええ。そのことで、エフォルティーネさんにお願いがあるのですわ」

「お願い?」


 アルルは芯のある声で言う。


「――わたくしは、これから町の宿で寝泊まりをします。学院へはそこから通いますので、寮監が巡回に来た際にはこう告げて欲しいのです。『アルル・ユフィールならそこで寝ている』と」


 ピンク色のシーツが敷かれたベッドは、人が寝ているかのように偽装された膨らみがあった。


(……な、なんで?)


 真っ先に疑問が口をついて出そうになった。もしや自分と同じ部屋で過ごすのが嫌なのだろうか、とも思ったが、緊張を帯びた顔は別の問題を暗示しているような気がする。

 思えばそれは、今朝遅刻してきたアルルがすれ違いざまに見せたものと同じように思えた。

 アルルは何か事情を抱えている。

 ――入学式の前日も、アルルは夜遅くに帰宅し、朝早く出ていったことを思い出す。


「手前勝手でごめんなさい。……けれど、どうかお願い致します」


 ……その理由をティアリに話す気はないのだと、彼女の目を見て理解してしまった。

 ともすれば泣き出しそう薄紅色の少女を前に、ティアリはとうとう頷いてしまった。


「ありがとうございますわ……! お優しい方で良かった」


 慈悲を忘れない微笑みは、彼女のために何かできて良かったと、そういった満足感を抱かせた。

 アルルという少女は、きっと強い人なのだろうとティアリは思った。自分のことは自分でやりきるために、他人に協力を願える人だ。


(……でも、本当にこれでいいの、かな)


 このまま、アルルを行かせていいのだろうか?

 その思いに駆られるまま、口を開いていた。


「期間は」

「え?」

「その用事は、どれくらいかかりそうなんですか」


 アルルは聞かれるとは思っていなかったのか、目を丸くしたがすぐにたおやかな笑みに戻った。


「……それはわかりませんの」


 ではこれで、と一線を引きつつ扉に向かうアルルを、ティアリは咄嗟に「あの!」と引き留めた。その後に何を言うかを考えないままに。


「あ、あの。……やっぱり、許可を取った方が。事情を説明すれば、先生だって――」

「なりませんわ!」


 いきなり肩を掴まれて、ティアリは鞄を落とした。中身が散らばる。今日学院長に貰ったばかりの杖が、木の床をころころと転がっていく。


「先生には、絶対に、絶対に言ってはいけません」


 声と共に掴まれる力が強くなった。険しさを増すアルルの表情に気圧される。

 やがて杖が動きを止めた。静寂の中、心臓の音だけがけたたましく鳴り響く。ティアリはきつく目を伏せて顔を見ようとしないまま、何度も頷いた。

 ……そうするうち、肩から手が離された。恐る恐る目を開く。アルルの瞳は、もう怒気を含んだものではなくなっていた。


「……申し訳ありませんでした。わたくしはもう行きます」


 アルルはふいと目を逸らし、鞄の取っ手を握り直すとティアリに背を向けた。カツカツと鳴る靴音がティアリの心音と重なる。

 扉の隙間に吸い込まれていった、金具付きの赤色のリボン。遠ざかるそれを、ティアリは呆然と見つめていた。

 胸の内に燻る想いに名付けられないまま、日は落ちる。

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