第14話 少年の糾弾
――母の形見を返せ。
ライカはまっすぐに、ただそう告げた。
(ライカくんのお母さんって、確か)
ティアリは思い出した。学院に向かう列車の中で、ライカは「幼い頃に両親が亡くなった」と言っていたことを。
(……これが、ライカくんが学院に来たかった理由なの?)
――どうしても取り返したいものがある。
あの時の、決意に少しの怒りを滲ませた言葉と表情を思えば、母の形見がライカにとってどれほど大切なものであるか、容易に想像がつく。
アランは知っていたのだ。ライカが学院に来た目的が、学院長から形見を取り返すことであると。だから【最初に学院長と鉢合わせるだろう入学式】に警戒した。けれどアランもまさか、舞台に上がり込むことまでは予想していなかったに違いない。
「覚えていますか? 僕は忘れもしません。三年前の、あの日のことだけは!」
「……ええ、勿論です」
「あの日、貴方は――」
ライカが息を呑む姿に、誰もが注目する。皆知りたいのだ、これから語られるであろう、学院長との邂逅を――。
「夜にそーっと入ってきて、くいっと首元を引っ張って! それでシャーッと逃げたんですよね!?」
その瞬間、明らかに舞台と座席とで空気が分かたれた。
「まあ、端的に言えばそうですね」
(……全く説明になってない!? というか、学院長はそれでわかるんだ!?)
この場にいる誰もがそう思っただろう。ティアリは口をわなわなとさせながら、前よりも言葉が足りていない気がする! と慄いた。当事者でなければ何が何やらさっぱりだ。学院長も流石にその空気を察知したらしい、今気づいたとでも言うように黒の手袋で顎を擦る。
「……ふむ。どうやら皆さんには伝わっていないようなので、ちゃんと説明してくれますか?」
そう促されたライカはムッと頬を膨らませたが「勿論です! よーく聞いてもう一度考えてくださいね!」とはきはきと説明し始める。
大分興奮しているらしく、話の順序が乱れていたので、ティアリは整理しながら聞くことにした。
事件は三年前、フレーウム州にある屋敷で起こった。この屋敷は、測量家兼歴史学者である彼の師匠こと、アラン・ウィシュタリアの持つ別荘の一つであるという。ライカは幼少の頃からアランと共に、大陸全土を巡る旅をしていたらしい。
別荘で一泊することになったライカはその夜、寝ようとしても月明かりが眩しくて、中々寝付けなかった。
「ベッドの上でゴロゴロしてた時です、部屋に誰か来たんです。師匠じゃないなって思いました、師匠は必ず扉を叩いてから部屋に入るんです。でもどこから入ってきたのかはわかりませんでした。
僕は窓を見ました。月の明かりで、姿が見えました。金色の髪をした、僕より少し大きな男の子でした」
(寝返りを打っていたら、アラン先生じゃない人が部屋に入ってきた。気づけば部屋の中に、金髪の少年がいた……)
「それが貴方ですね! 服とか目隠しも同じだったから、間違いないです!」
(ということは、学院長の姿は三年前から変わらないんだ……本当に何者なの?)
ティアリは学院長の横顔を窺う。幼気な様相の中に、どこか老成した雰囲気が垣間見える謎の少年。果たして本当に年を取らないのか、または得体の知れないものなのか。
(……なのに、なんでだろう。悪い人には、見えないんだけどなあ)
ティアリにはどうしても、学院長が人のものを奪取するような悪人には思えなかった。軽快と丁寧を掛け合わせたような話し方に流されているのだろうか?
しかし、断定するには材料が足りないのも事実。何しろ彼とは出会ったばかりで、まだ面と向かって会話すらしたこともないのだから。ティアリはそう思案し、再度ライカの話に耳を傾けた。
「そして笑いながら近寄ってきて……くいっと引っ張った」
(不適に微笑んだ学院長先生がベッドに乗り、多分ペンダントか何かの……紐を指で引っ張った?)
「僕……びっくりして動けませんでした。そしたら切れたんです。そのままするすると離れていって」
(動揺していると、切れた……紐が、かな。学院長先生が紐を切ったんだ)
頭に浮かんだのは、白く眩い月光を背景に笑みを浮かべる学院長が、円環を断ち切って綻びを作り、それを自身へと手繰り寄せる姿だった。
「そして、こう言ったんです。【私はアミキティア魔法学院の学院長。これを返してほしければ、我が学院へ来なさい】と」
「…………」
学院長は一切口を挟まない。
「はっきりとした声でした。その後、バン! と音がして、開いたから、窓に駆け寄りました。貴方はそこから逃げたんです!」
(学院長先生は窓を開けて、逃げた……)
魔法が使える学院長ならば、窓を開けることも、追いつかれずに逃走することも容易だっただろう。
「そうやって貴方は形見を持ち去った……いや、奪ったんです! 思い出しましたか!」
その相手に貰ったばかりの杖を向けるライカ。怒気を含んだ声は剣の如き鋭さを放っていて、舞台上の空気ごと斬り捨て押し進むような勢いがあった。
けれど学院長の唇は未だに弧を描いたままだ。
「……私の言ったこと、一言一句違わずに覚えていてくれたんですね。嬉しいです」
「話を逸らさないでください!」
「ふふ、すみません。でも奪ったなんてそんな……【借りた】んですよ。ちゃんと返す気でいますよ?」
「なら今すぐお願いします!」
「勿論。私の言葉通りにここまでやって来てくれたんですからね。
……ただ、私。大事なものは部屋に仕舞っておく性分でして」
学院長は、軽やかな足取りでライカとの距離を詰める。そして自身に向けられた杖の先端に、黒の手袋に覆われた人差し指を当て――動揺したライカが杖に力を込めた瞬間、彼の手を自身の胸元に引き寄せた。
ライカと学院長の視線は更に近づく。後ずさろうとしたライカに、しかし彼は負けじと追随し、そして秘め事を述べるような声色で告げた。
「なのでライカさん。貴方が私の部屋に取りに来て頂けませんか?」
小声で話すかのような囁きは、実際には講堂に響き渡る音量だった。この魔法空間による力なのだろうか、大きさだけを変えたような不自然な響き方に、ティアリは背筋を震わせた。まるで学院長という存在が分裂し、耳元に息を吹きかけられた気分だった。
――その直後、誰かの微かな笑い声が聞こえた。それすらも講堂にこだまする。
見ればそれは、舞台の端にいた皇子のものであった。クラウスはその端正な顔を緩めて、仄かに笑みを浮かべている。
学院長がクラウスに身体を向ける。
「……クラウスさん? どうかしましたか」
クラウスが「失礼しました」と言い、言葉を続けた。
「学院長先生も人が悪いな、と思いまして」
「人ではありませんけどね?」
「知っていますよ。学院長室といえば、生徒の誰も所在地を知り得ない第六魔法空間――【秘密の部屋】のことでしょう? 取りに来させる気がないように思えますが」
上級生たちも、魔法空間とやらの全てを把握しているわけではないらしい。
学院が至る所で掲げる白は、濃霧のようだとティアリは思った。全貌がまるで見えてこないのに、限りなく巨大な何かが潜んでいる気がしてならない。
「そんなことはないですよ」
学院長は心外だとでも言うように口を尖らせ、ライカと距離を取った。
学院長の一挙一動に合わせて、さわさわと衣擦れの音がする。黒い手袋に覆われた手のひらを花のように開き、少年に向けた。
こちらにおいでと、そう誘うように。
「私は待っています。ずっと」
彼は予め用意した台詞のように、必然の如く軽やな口調で告げる。
「貴方だけではありません。ここにいる皆さんが魔法を学び、全てを理解した時――部屋への扉は開かれるでしょう」
そう告げて、一瞬にして壇上から姿を消した。




