第12話 入学式
担任による簡単な説明が終わった後、生徒たちは入学式が行われるという講堂へと向かった。
講堂は裏門の近く、多くのケラススが林立する中にあった。一年生全体で五十人はいそうな生徒を収容するには些かこぢんまりした外観かに思えたが、一歩中に踏み入れたティアリは瞠目した。
(凄い……!)
ティアリの周りにいた生徒たちも「劇場みたい」「こんなに大きな講堂、州都の演奏会以来だわ」と感嘆していることから、かなり広く立派なのだろう。
所狭しと座席が並び、合間に敷かれた赤いカーペットがなだらかな坂を描いている。座席側は薄暗いが、下った先にある舞台は眩い光に照らされており、まるで陽光が木々の隙間を縫い、森の一角を照らすかのように煌々と輝いていた。
アミキティア魔法学院の入学式が、ここで行われる。そう思うと緊張する。
前を行くライカに続いてカーペットの上を歩いていた時。ティアリはふと目を遣った左側前方の舞台下に、見知った人影があることに気づいた。
(あ。アランさ……アラン先生だ)
ライカの保護者であり、教師でもあるアランがにこやかに手を振っている。その横には担任ミシェルもいた。
アランは一年生担当だと言っていた。一学年につき二組しかないため、おそらくは隣の一年二組の担任なのだろう。
(そういえば、アラン先生に何か、注意するよう言われていたような――)
振り返すべきか悩んでいた手を、ライカが素早く捕まえた。
「ティアリさん、早く! 一番前に行きましょう!」
彼はティアリを引っ張って座席の最前列へと歩いて行く。ミシェルが「席は自由でいい」と言った時点で、好奇心旺盛なライカが舞台に一番近い席に座りたがることは予想できたが、まさか自身も巻き込まれるとは……ティアリはそう思いつつも、観念してライカの隣に座った。
横から見る彼は、まるで駅でティアリを助けてくれた時のように、紫色の瞳をまっすぐ舞台に向けていた。
(ライカくん、張り切ってるなぁ)
ティアリは呑気にもそんなことを考える。
――先ほど思い出しかけていた【アランの忠告】をすっかり忘れたまま。
九時を告げる鐘が講堂内に響き渡った。
定刻通り、入学式が始まる。
生徒たちのざわめきが収まった後、舞台に三方向から光が集中する。そして、舞台袖から一人の男が現れた。
黒の総髪に、左眼だけの丸眼鏡。その奥で水底の如き深い青の瞳が潜んでいる。
目の吊り上がった初老の男性は、舞台の真ん中まで来ると咳払いをした後、口を開いた。
「――只今より。第四回、アミキティア魔法学院入学式を挙行いたします。
ではまず、在校生による祝辞です」
男と入れ替わるようにして、続けて二人の男子生徒が舞台に現れた。
一人は漆黒の髪に、雨空を映したような瞳を持つ青年。絵画に描写されていそうな均整のとれた顔立ちに、甘く柔和な表情を浮かべている。胸元のクロスタイは青色である。
もう一人は黒髪黒目の、堂々たる体躯の青年。顔に色がなく、歩く以外の動作が全くない。雨空の瞳を持つ青年が絵画ならば、漆黒の青年は彫刻のようだとティアリは思った。こちらは緑のクロスタイをつけていた。
――絵画の方が演台に立った時。一部の生徒から驚愕と歓喜の声が上がった。
「ねえ、あれってクラウス様じゃない?」
「え、あの【青桜】のクラウス皇子!? 本当に?」
「その後ろにいらっしゃるのはきっと【黒桜】のヒューゴ様ね。あたし、一度舞踏会でお見かけしたことがあるから知ってるわ!」
生徒のうち、皇族をよく知る貴族の子たちが騒ぎ出した。そんな彼らに釣られて講堂にざわめきが広がっていく。その間にも、クラウスは名画のような微笑みを絶やさず、後ろに控えたヒューゴは石像の如く目を伏せて動かない。
(皇族の方が、まさかこんなところにいるなんて)
ティアリが驚いていると、突然隣のライカが身体を寄せ、小声で質問してきた。
「……ティアリさん。あの人たち、皇子様なんですか?」
「わたしも会ったことはないんだけど、そうみたい」
「へえー、皇子様……初めて見ました。ええと……みんなが言ってる【青桜】とか【黒桜】とかって、何でしたっけ」
それはティアリも貴族となってから知ったことだ。ティアリは彼の前に手を広げ、【五】を示してから説明を始める。
「皇帝には、それぞれの州から選ばれた五人の妃――【州妃】が産んだ子供がいて。
皇子様は、州妃の出身を中間名にするっていう決まりがあって……たとえばあの方。クラウス様の本名はクラウス・カーレルム・ケラスス。カーレルム州妃が産んだ皇子様ってこと、だったかな」
皇子たちは、赤のルヴェーラ【赤桜】、青のカーレルム【青桜】、黄のフレーウム【黄桜】、白のアルブ【白桜】、黒のゲルテア【黒桜】という二つ名で呼ばれることがある。
どれも貴族たち、ひいては皇族が社交界などで用いる俗称だ。
「皇子様って、お城にいなくてもいいんでしょうか?」
「第一皇子である【赤桜】様が、皇太子様だったはず。だから皇太子様以外の皇子様は、ある程度自由なのかも」
いきなり皇族が現れたとあって、講堂内の空気は更に熱を帯び始めた。特に平民の子らだろうか、後ろの方から「皇子様だってよ」「すげー!」と声が上がっている。皆初めて見る高貴な存在に興奮しているようだ。
その視線に耐え兼ねたのか、声を上げようとしたヒューゴを、クラウスが右手で制した。
その僅かな動作で、沈黙が波紋のように広がっていく。
ティアリも貴族の端くれであるが故に、皇族の一挙一動には気を払わねばならないことは心得ている。同様の考えを持った生徒が自ら口を閉ざすことで、講堂内は再び静寂に包まれた。
(……流石、皇子様だ)
一言も発さずに場を鎮めたクラウス。皇族はやはり格が違うと、そう思い知らされる。
けれどもどこか遠い存在の人のようで、未だに同じ空間に居るとは思えないと――そう思って彼を見ていた時。
(……え?)
――気の所為、だろうか。
クラウスと、目が合ったような気がしたのは。
彼が僅かに瞠目し、少し口を開きかけたように見えたのは。
(……いや。たまたま、だよね)
ティアリは咄嗟に目を逸らす。恐る恐る視線を戻した時には、彼は演台に両手をつき話を始めていた。
「――春はようやく来た、私は今日の良き日をそう形容する。
君たちの意志は学院における新しい芽吹であり、この先知識という恵みを受け、健やかに成長していくだろう。芽はやがて大木となり、学院を支える側となる――つまり君たちは、学院の命を繋ぐために必要不可欠な存在だということだ。
私たち在校生は、君たちという春を歓迎する。ようこそ、アミキティア学院へ」
クラウスの声は心地の良い低音だが、確かに芯があった。この場にいる者全員へ、必ず己の声を届かせるという矜持が感じられる。語られる祝辞も、用意されたものではなく本心であるかのような淀みのなさであった。
「……とまあ、堅苦しい挨拶はここまでにして。私の話を聞いてほしい。
改めて自己紹介をしよう。私の名は、クラウス・カーレルム・ケラスス。この名が示す通り、私はレアリィーオ帝国の皇子だ。……何故神の一族たる皇族の私がここにいるのか、疑問に思う生徒もいることだろう。【神と魔女】を知る者ならば尚のこと」
首を傾げるライカに、今度はこちらから尋ねてみる。
「知ってる、かな? 大陸に伝わる神話なんだけど」
「えーと、確か……」
「大陸にいたとされる悪い魔女を、神様が倒したっていう大昔のお話だよ。皇族は、その神様の子孫と言われているの」
神の血を引く皇族が、かつての敵であり、廃すべき魔女の力である魔法――そんなものを学ぶための学院に在籍している。
それは所謂、大陸の唯一神ロンジェへの冒涜にあたるのではないか。
クラウスはそういった疑念を抱かれることを予測していたのだろう。はたまた、数年の学院生活で実際に向けられたものであったのかもしれない。
「だが誓う。私は決して神に背くのではない。
ただ信じたいのだ。魔女が聖女であったあの頃、遍く人々を救ったという善性の力としての魔法を!」
魔女は初めから魔女だったわけではない。最初は心優しき聖女だったと言われている。暖かな希望の光であった彼女は、ある時瞳に絶望を宿す魔女となった。
クラウスは主張する。聖女として用いた力と、魔女として奮った力が同じであるならば――魔法を【破壊の力】としてではなく【救いの力】として学びたい、と。
誓約を終えたクラウスはここで一呼吸し、口を閉じた。頭上からの光に照らされた前髪、それによって出来た影が自嘲を浮かべる顔に落とされている。
「……ほとんど、自己弁護になってしまったけれど。言いたいことは伝わってくれたと信じている。
魔法は正しい精神と知識を持って、初めて希望の力になれる。君たちには、そんな【魔法使い】になってもらいたい」
穏やかな声色から始まり、激情し、最後には一つの音で締められる――まるで楽譜通りに演奏された音楽を聴いているようだった。
どこからともなく拍手が上がり、連鎖する。ティアリもライカも、気づかぬうちに手のひらを合わせていた。右手を上げて拍手を止める姿すら、経験を積んだ指揮者みたいだ、とティアリは思った。
「ありがとう。……そろそろ君たちも魔法について知りたい、と感じ始めたことだろう。それについては私から多くを語るつもりはない。言うよりも見せた方が早い。
――そうだろう? 学院長先生」
彼の言葉を最後に、講堂は突如として光を失った。
「……素晴らしい祝辞でしたよ、クラウスさん!」
暗闇の中、声が響く。抑えきれない興奮を滲ませ、どうしようもなく愉快だという風に。
なんだ、どうした――そういった生徒たちの困惑は、次の瞬間指を鳴らす音一つで消え去った。
――パチン!
それが合図だとでも言うように、講堂内に再び明かりがつく。
新たな光と共に現れたのは、金の髪を持った少年だ。演台の縁に座って足を組み、不敵な笑みを浮かべている。
ネイビーを基調とした男子制服だが、膝が見えるほどの短いズボンにソックスガーター、丈の短いケープ。そして上級生の誰一人にも見られない白い紐のつけネクタイに付けられた白の石もまた、光を反射して艶を纏っていた。
「え……? いつの間に、あそこに?」
「なんの音もしなかったぞ……」
特異な点があるとすれば、左側だけ伸びた前髪、眼帯の右目をもって視界を塞いでいることと、光が消えたあの一瞬で、一切音を立てずに壇上に登ったことの二つ。
少年は演台から降りる。皆が見守る中、少年――アミキティア学院長の唇が、半円型の弧を描く。
「初めまして、私はルーネリア。アミキティア魔法学院の、学院長です」
ティアリは息を呑む。何かが決定的に、たった今始まりを告げた――そのように考えるのは自分だけではないと彼女は確信する。講堂内の異様な雰囲気が、そう教えてくれているのだから。




