第11話 一年一組の教室
漆喰の壁に、薄色の木材が敷き詰められた床。二枚の板が上下する長い黒板、本が何冊も置けそうな幅の広い教卓。教卓から少し空けて、長机が左右に四つずつ配置され、後ろに行くほど座席が高くなっている。
天井は見上げるほど高く、大きく縁どられた窓からは目一杯の陽光が差し込む。勇気を持って踏み入った場所は、ティアリを受け入れるかのように開放的な空間だった。
教室には赤いクロスタイをつけた生徒がざっと二十人ほどいた。数人で談笑していたり、神妙な面持ちで席に座っていたり……クラスメイトとなる彼らは、始業時間まで各自思い思いに過ごしているようだった。
そんなまったりとした空気の中、一直線に突き抜ける声が響き渡る。
「おはよーございまーす!」
ライカがそう高らかに挨拶すると、数人がこちらを見た。横にいたティアリも釣られて「お、おはよ、ござっ」と続こうとするも途中で撃沈。「おはよー」「お前元気だな!」などと返される一方で、ライカはずかずかと教卓まで歩くと、ティアリに向かって手をこまねく。
「ティアリさん、黒板に何か書いてありますよ!」
黒板には【出席番号順に座ること。表は教卓の上】と書かれていた。ティアリはライカと共に表を確認する。
「僕は後ろから二番目、二十三番ですね」
「わ、わたし三番だ」
これも学園の時同様に、苗字のアルファベット順になっているらしい。一組は全員で二十四人のようで、運悪く二人はかなり離れることになってしまった。
「……ん? あれ、見てください。なんかいっぱい箱が並んでます」
長机に並んだ小箱。それを手に持ち話す生徒や、さっそく中を開けている生徒も見られる。
「何でしょう、何でしょうか!? 僕気になるので見てきますね!」
「あっ、ま……!」
(ひ、一人にしないで……!)
そう声が出そうになったが、それすらも言うのが怖くて、恥ずかしくて。嘆きは音にならずに消滅した。
一人教卓に残ったティアリは、数多の視線が自身に集まっているのを感じ取った。丸まった背中に日差しが当たり、燻されているかのように熱を持つ。
きっと新しく入ってきた生徒を見ているだけだと、理解している。けれど彼らの話し声全てが、自分のことを……ひいては悪口を言われているような気がして。
そんなことない、思い込みだとわかっているのに、ざらざらした気持ちは止められない。
ティアリは身を翻して、さっさと三番の座席についた。鞄を両手に抱え、息を吸って、吐くを繰り返す。
(……大丈夫、大丈夫。ここにはわたしを知ってる人はいない)
もう【あのエフォルティーネの娘】ではない。
だから――。
「キミ、大丈夫?」
びくっと、肩が震えた。
咄嗟に右横を見ると、そこには心配そうにティアリの顔を覗き込む、肩まで伸びた赤髪の女子生徒がいた。
「気分が悪いのかい?」
「い、いえ……だ、大丈夫、です」
「それなら緊張しているのかな。わかるよ、ボクもどきどきしてる」
ティアリはチラリと女子生徒を見た。
しっかり姿勢を伸ばし、掌も交互に重ねていて礼儀正しく、かつ堂々として見える。本当は心臓がうるさく鳴っているなんていう風には思えなかった。
「ボクはキャシー・アップリテ。ルヴェーラ州のアップルテール出身」
艶のある赤髪はよく実った林檎、明るい緑色の瞳は林檎の木の枝葉のよう。さながら瑞々しい果実を体現したかのような少女は、気取っているようにも思えるが、爽やかな印象もあって嫌な感じはしない。
キャシーは肘をついてこつんと首を傾け、朗らかな笑みを浮かべてティアリに問う。
「キミの名を聞いてもいいかな?」
「ティアリ・エフォルティーネ、です。ふ……フレーウム州のアルテナ、という町から来ました」
言えた。少し吃ってしまったけれど。
キャシーは全く気にしていない様子で、にっこりとした笑顔をティアリに向けた。
「よろしくね、ティアリ」
いきなり名前を呼ばれて心臓が跳ね上がるも、懸命に頷いた。
話題は互いの学園から出身地に発展していく。けれどアルテナはこれと言って特徴のない平凡な町である。会話が途切れることを恐れたティアリはすぐさま「アップリテさんの出身地はどんなところだったの?」と聞いた。
キャシーは「名前でいいよ?」と言いながら、自身の胸を叩いた。
「田舎も田舎だよ。林檎がたくさん採れるだけのね。することもないから、学園に行っている時以外は大抵、ツィリーと野山を駆けずり回って過ごしてた。あ、ツィリーっていうのは家で飼ってた犬の名前だよ」
「そ、そうなんだ」
「人も少なくてね……でも、皆家族みたいなものだったんだ。ボクが学院に通うことになった時、皆が喜んで、お祝いも入学金も用意してくれて……ほんと、感謝しきれないよ」
キャシーは真新しい制服を大事そうに腕で抱え込んだ。彼女にとっては制服も、家族たちが用意してくれた大切な贈り物に等しいのだろう。
「皆に『田舎者だってバカにされんように、きちんと喋りぃよ』って言われてさ。昔町に来た劇団の女の人を参考に話し方を考えたんだ。……どう? ボクはちゃんとできているかな?」
ティアリは目を丸くして、そして少し頬を緩ませた。
(そっか、それで役者さんみたいな話し方を……)
決して田舎者を馬鹿にしたいわけではない。
ただ、彼女を可愛がる大人たちが、ああだこうだ言いながらキャシーに助言し、彼女が新しい環境でもよりよく過ごせるようにと試行錯誤する姿が――とても微笑ましく思えた。
……それに、少し羨ましいとも、思ったのだ。
「う、うん。できてると、思う」
「良かった。朝一番に教室に来て、話し方の最終確認した甲斐があったかな」
その言葉に、ティアリはどきっとした。
キャシーは朝早くに寮を出た。もしかすると、キャシーこそ同室相手なのではないか?
けれどその予想はすぐに崩れ去った。
「同室の子が非常にお寝坊さんでね。朝早くに彼女を起こして、一緒に登校しようと言ったんだけど……『水浴びしてから行く』と言い出して。仕方がないから、ボクだけ先に来たんだよ」
「へ、へえ……」
キャシーは頷いた後「あの子、まだ来てないんだ。遅刻しないか心配だよ」と呟いた。
(……キャシーは同室の子じゃない。じゃあ、一体誰なんだろう?)
ティアリは鞄を横に置くふりをして、教室を見渡す。
(この中の誰か、いや、隣のクラスってこともあるよね)
その時、ふと奥の端にいたライカが目に入った。
てっきり持ち前の明るさで相手を翻弄しているのかと思いきや――なんとその逆。
目に飛び込んで来たのは、あのライカが困惑してたじろいでいる姿だった。
隣の女子生徒が興奮気味にライカの手を握り締め、何やら捲し立てるように話しかけているのだが、距離があるため会話は聞こえてこない。
徐々に壁際へと追い詰められていくライカは、ティアリと目が合うと精一杯「助けてください!」と言わんばかりに口をパクパク動かした。
(ど、どういう状況!?)
ティアリは戦慄いた。どうしようと悩んでいると、キャシーが「ねえ」と声をかけてきた。
「ひゃい!」
「驚かせたかな? ごめんね」
「いや、その……だ、大丈夫! どうしたの?」
「お願いがあるんだ。ティアリのブローチ、見せてほしいと思ってさ」
「ブローチ?」
「その箱の中身だよ」
ここでようやく、ティアリは箱が目の前に置かれていることに気づいた。キャシーに促され中を開けると、白の石でできたブローチが入っており、よく見ると、石の中に薄っすらとケラススの模様が浮かんでいる。
「裏側を見て。何か書いてあるだろう?」
言われるままに見てみると、そこには何らかの模様が数行に渡って彫られていた。
「何これ……」
「ふむ、やっぱりボクのとほぼ同じだね」
キャシーはティアリのブローチを覗き込むと、自身のブローチも机の上に置いた。
「ほら、ここ。下二行は全く同じ形だけど、上はまるで違う」
「あ……ほんとだ」
「その下に名前が彫ってあることから見ても、どうやら個人で書かれた内容は異なるようだね」
ティアリはじっとブローチを見つめた。教室の灯りに反射して白く光るブローチ。そこに刻まれた、不思議な模様。
(これも【魔法】に関係あるのかな。……たとえば、呪文、とか)
ここにきてようやく、【魔法】に迫るという実感が湧いてきた。
「ま、詳しいことは今から来る先生にでも聞けばいいさ」
キャシーの言葉とほぼ同時に、始業を告げる鐘が鳴る。生徒たちは各々自分の席に着き、その時を待った。
やがて、廊下からコツコツという靴音が聞こえてきたかと思えば、教室の扉が勢いよく開かれた。生徒たちの視線が入口に集中する。
「――はい、皆さん席に……あら、もう着いてますね」
亜麻色の髪と瞳を持つ、すらりとした体系の若い女性だ。男子たちが「おお……」「すっげぇ美人」と小声で言い合うのが聞こえてくる。確かに彼女は、劇団の主演女優だと言われても納得できる、とティアリは思った。
女性が教卓まで歩く間に、ティアリは居住まいを正す。
彼女は持っていた用箋挟を教卓に置き、息を吸い込んで自己紹介をした。
「初めまして、一年一組の皆さん。私はミシェル・ウィンカー。このクラスの担任を務めることになりました。どうぞよろしく」
「よろしくお願いしまーす!」
「ありがとう。私もまだ皆の顔と名前が一致してないから、本当は皆にも自己紹介してほしいんだけど……九時から入学式があるからそれはまた後にするわね。まずは出欠確認をします、呼ばれたら返事をしてください。
じゃあまず、ジェイド――ああ、彼は入学が遅れるんだったわね。では次の、キャシー・アップリテ」
「はい」
「ありがとう。……ティアリ・エフォルティーネ」
「は、はい!」
「ふふ、そんなに緊張しなくても大丈夫よ。……フレッド・ジョンソン」
「はーい」
ミシェルが名簿を手に、次々に名を呼んでいく。
途中、キャシーの同室である少女の名前が呼ばれるが、姿が見当たらないので案の定遅刻になった。キャシーが隣で頭を抱えている。
「次、ライカ・ウィシュタリア」
「はい!」
「今までで一番元気な挨拶ね! では次が最後の子ね。アルル・ユフィール」
しん、と教室が静まり返る。ティアリもキャシーも、皆ライカの隣にある空席に顔を向ける。
「あら、まさかの遅刻二人目かしら。ユフィールさ――」
ミシェルがもう一度名を呼ぼうとしたその時、荒々しい足音が近づいてきて――再び扉が勢いよく放たれた。
「しつれい、いたしますわ!」
入ってきたのは一人の少女だ。かなり急いで来たのか、扉にもたれかかるほど息を切らしている。
少女はケラススと同じく薄紅色の髪に、柘榴石のように鮮やかな赤色の瞳をしていた。
教室の空気ががらりと変わり、誰もが薄紅色の少女に視線を向けている。
「……ユフィールさん。本来の授業なら遅刻になっていましたよ」
「申し訳、ごさいませんわ」
「次からは気をつけるように。席に着きなさい」
アルルと呼ばれた少女はふらふらになりながら、ティアリの横を通り過ぎようとした――その時。
(あ……赤いリボン、だ)
後ろ髪の上半分を纏め、他は下ろした髪型。その束ねられた部分にあるのは、昨日化粧机にあった、あの端に金具がついた赤いリボンだった。
ならば間違いない。この少女――アルル・ユフィールこそ、ティアリの同室相手だ。
(でも……どうして?)
本当にアルルが同室相手ならば、ティアリよりも先に部屋を出たはずである。なのに遅刻すれすれになってまで、彼女は一体どこで何をしていたのだろうか。
「……?」
――それに。
アルルは、何故あんなにも思い詰めた顔をしているのだろう。
ライカの隣に座る少女。その瞳に秘められた謎の感情が、ティアリは気になって仕方がなかった。




