吉備の王 十二
§ 十二 §
イサセリの腕を貫いた矢が、ミョンバたち百済人の放ったものである、ということは直に調べが付いた。
そのミョンバたち百名足らずの百済人たちを追討すべく、ワカタケを中心とする討伐隊が組織された。
香川県の女木島には、岡山県同様桃太郎伝説が残されている。女木島に逃げ込んだミョンバたちと、ワカタケ討伐隊との熾烈を極める戦いの伝説が、今も残っているものと思われる。
また、香川県高松市には鬼無という地名が今でも残されている。地元の言い伝えでは、桃太郎が鬼退治をして鬼が居なくなったから、この地名が付けられた、ということだ。
同じく香川県高松市の一宮町にある「田村神社」も必見だ。
何とここの祭神は、モモソとイサセリ他五柱。
因縁が無いとは言えないのだ。
そして極めつけは、香川県の桃太郎のモチーフである。驚くべきことに、イサセリではなく、ワカタケなのである。
このことからも、桃太郎伝説を単なる童話として片付けてしまうことが出来ないのである。
更に、岡山や香川だけでなく、今も日本全国に散らばる「桃太郎伝説」であるが、それもミマキが全国に派遣した「四道将軍」の活躍記と捉えてみると如何であろう。
平定されるべき、元から地元に根付いていた権力者たちを鬼と称し、ヤマト一族の四道将軍が桃太郎として鬼退治を行うのである。
ミマキが全国を平定し、新たな神話と共に日本を一つに統一するにあたって、その自らの正当性(言い訳)をこのような形にして広めていったのだと思われる。
ウラたちの亡骸は、その後十三年の間河原に放置されることになる。そこに首がある、ということで付いた地名が「首部」である。
そして、その朽ち果てた亡骸に顕花を捧げる人が後を絶たなかった。ウラやアゾタケ、ミョンバたちを懐かしんですすり泣く声は、その後も延々と続いたと言う。
イサセリは吉備津彦と自身を名乗り、自ら西日本の王であることを全国に宣言した。
後に出雲の平定に精を出すことになる。
カントや吉備の国主ら、吉備の重役であったものたちは、それぞれ奈良の新都で厚く遇された。
これから数世紀に亘って、吉備と奈良の関係が密接になっていくのであるが、こうしたカントらの働きが大きかったと言えよう。
やり方はどうあれ、吉備の血と名を残すことに成功したのは事実である。その功績は賞賛に値する。
吉備はヤマト連合国を形成する主要メンバーとして、その地位を確保したのだった。
しかし、それを吉備に住む人々が望んでのことでないことは、今更言うまでもないことではある。
ともあれ、戦いは終わった―。




