ジーナの長い一日
あぁ、とうとうこの日が来てしまった。
窓から差し込む朝日を遮るように、私は布団で頭を覆った。
昨日、家に帰ったらご機嫌なジェシーがいた。なんでも、無事にフィニくんと仲直り出来たんだとか。
それは素直に嬉しかった。でもその反面、凄く焦った。
フィニくんは頑張ってジェシーに謝ったのに、私はヴィクトリアと全然仲良くなれていない。未だに触れようとすると威嚇される。
こんな状態でルディー嬢に勝てるわけ……そもそもテストをまともに受けることも出来ないだろう。
特待生として、一つの教科も悪い成績を取るわけにはいかない。このままだとルディー嬢には付きまとわれ、最悪 退学という悪夢のような未来が訪れることになる。
……今日という日を飛ばして明日に行ける方法は無いんだろうか?
「ジーナ、そろそろ起きないと遅刻するよー!?」
「具合でも悪いのですか?」
無いんだろうな。もしあったら世界的な大発見だ。
「……大丈夫、今起きる」
階下から聞こえた二人の言葉に返事をしてから、私はのそのそと布団から這い出し、壁に掛けてある黒マントを羽織ると洗面所へ向かった。
ジーナは、例え家の中でも黒マントを欠かさない。時々面倒だなぁと思うこともあるけれど、黒マント=ジーナみたいな所があるし。それに、私もこれが無いと落ち着かなくなってきた。
顔を洗ってからリビングに行くと、テーブルには既に朝ご飯が用意されていた。
サラダ、牛乳、果物、魚 etc.……今日の朝ご飯当番はジェシーか。
私達は料理に特徴がある。私は比較的スタンダード。ジュリアは「~の丸焼き」とか男みたいな豪快な料理、ジェシーは脂っこいものの少ないヘルシー料理。
今朝の当番がジェシーで良かった。朝からジュリアの料理は少し重い。美味しいけどね。
椅子を引いて腰を下ろすや否や、先に座っていたジュリアとジェシーが両手を合わせた。私も二人と同じポーズをとる。
「さぁ、今日も元気に行こうか!いただきます!!」
「「いただきます」」
ジュリアが音頭を取る、三人揃ってのご飯はもはや日課となってしまっている。
父さんと母さんを失って、三人で暮らすようになってからもう二年ぐらい経つもんなぁ。
「お姉様、今日は一緒に登校出来ますか?」
「……えっ」
しみじみとそんなことを考えていたら、突然ジェシーに声を掛けられた。
驚いて、掴んでいたトマトを落としちゃったじゃないか。
「今日も私は早く出るから。一緒には無理」
ティッシュで落ちたトマトを拾いながら答える。
あー勿体ない。ジジジ食べないかな……猫ってトマトOKなんだっけ?
「ねぇ、猫ってトマト…」
食べてもいいんだっけ?と尋ねようと顔を上げ、そして口を噤んだ。
だってジュリアもジェシーも涙目でこっちを見ていたから。今にも泣き出しそうな美女二人を前に、割りとどうでもいい話題を出せるほど私は空気が読めない訳じゃない。
「……昨日も一緒に行けなかった」
「今日こそはまた三人で登校出来ると思っていましたのに……」
「えっと、その……別に登下校は一緒じゃなくてもいいんじゃないかなって思う…のだけれど」
二人といるととても目立つから、あまり一緒に居たくないんだよね。とは言えないから、かなりオブラートに包んで言ったつもりだった。
ところが私がそう言った途端、ジュリアがガタンと音をたてて立ち上がった。
何事だと見上げる私の瞳と、涙で濡れながらつり上がったジュリアの瞳がかち合う。
「ねぇジーナ、姉妹ってさ、一緒にいるものじゃないの?常に、四六時中、ベッタリと離れずに寄り添いあって生きていくものじゃないの!?」
……そういうものではないと思う。
というツッコミをぐっと飲み込む。突然叫んだと思ったら、何を言い出すんだこのシスコンは。
ジェシーに助けを求めようとしたが、ジュリアの発言に力強く頷いているのを見て諦めた。お前もかブルータス。
なんとかこの状況を切り抜けられないかと思考を巡らした私の脳裏に、ある物の存在が過った。
スカートのポケットに指を滑り込ませ、その存在をしっかり確認してから口を開く。
「ごめんなさい、やっぱり一緒には行けない。でも、姉さんとジェシーが嫌なわけじゃないの。だから、お詫びと言っては何だけど」
ポケットから出したそれを静かにテーブルの上へ乗せる。
すると二人の視線は自然とそれへ注がれた。それをみつめる綺麗な瞳が次第に見開かれていく。
私はテーブルの上のブツ――保健室のヤエル先生から貰ったBランチの無料券を指差しながら言った。
「今度一緒に行かない?三人で」
元々、私一人で食堂に行く気は無かったし、誰かに譲ろうかとも考えていた物だ。二人の機嫌を直すための犠牲になっても何ら惜しくはない。
私がそう言った途端、両側から凄い勢いで抱き付かれた。左右からの猛烈なプレス、内蔵が潰れるかと思った。
「ちょ、苦し…」
「ジーナジーナジーナ!なんていい子なの!?天使なの!?大好きっ!!」
「ううっ……お姉様、泣かせる気ですか?ツンデレですか?卑怯ですよ大好きです」
「ねぇ、そろそろ離し…………」
――――――――…
結局あの後、抱きしめたままなかなか離さないジュリアとジェシーのせいで、早めに出るどころか遅刻ギリギリの時間になってしまい、三人で学校まで全力疾走することになった。(ジェシーはジュリアがおぶって走った)
おかげで朝から疲れた。私は二人のシスコンレベルを甘く見てたらしい。
まさかあんなに無料券で喜んでくれるとは思わなかったし……うん。いや、喜んでくれたのは嬉しかったけども。
疲労のせいで襲い来る睡魔と格闘しながら、なんとか午前の授業をやり過ごした私は、昼休みになった瞬間に机に突っ伏した。
乗馬のテストがあるのは今日の七時限目。
ルディー嬢が朝から「とうとうこの日が来たわね、覚悟してなさいジーナ・リリーク!」と絡んできて少し鬱陶しい。
眠いけど、午後の勝負のために食事はちゃんと取らないといけない。
鞄をまさぐり、取り出した弁当を広げると、こくりこくりと船を漕ぎながらもおかずを口に運んでいた。
きっと普段の私なら、廊下の騒がしさから何かを察知し、逃げることが出来ただろう。だがその時の私はおかずの味も、まして自分が今何を食べているのかもわからないほど夢うつつな状態だった。
だから
「おいっ!ジーク、居るか!?」
勢いよく私の近くのドアが開くのと同時に、少しの焦りを含んだ最近よく耳にする声が聞こえても、すぐには対処できなかった。
前髪の黒で覆われた視界に、鮮やかな金色が映り込む。
目の前の人物を特定しようと、思考が回転を始める前に
「良かった!無事だったんだな!」
その人は私の頭を抱き抱えた。
周りから突き刺さる異様に多くの視線、そしてこのとんでもない状況に、徐々に私の頭も覚めてくる。
突然のことに静まり返るギャラリーを気にもせず、張本人であるフィニくんはぎゅうぎゅうと私の頭を抱き締めている。
あぁ、まずい。非常に。
どうして一年生のフィニくんが二年生の教室にいるんだろうとか、どうして私の安否を心配してたんだろうとか、色々聞きたいことはあったけれど
「なぁ、俺ジークに確認したいことが…」
「~~っ!それどころじゃない!!」
フィニくんの腕を引きながら、私はその場から逃げ出した。
一人は皆から避けられる魔女と呼ばれる女、一人は全校の憧れの的である四銃士。この組み合わせはどうしても人目を引く。
そんな私たちが落ち着いて話を出来る場所を、私は一つしか思い浮かばなかった。
「おじさん、少しの間お邪魔させてください!!」
久しぶりに訪れた用具室の奥の座敷、そこに座ってお茶を飲んでいた用務員のおじさんは、慌てて入ってきた私たちに目を大きくした。
「この前のお嬢ちゃん、と……もしや、ホリート家の……?」
「ごめんなさいおじさん、ホリート様と話をしたいんですけど、他に落ち着いて話せる場所がなくて…」
物珍しいのか、辺りを興味深そうに眺めるフィニくんを取り敢えず置いといて、おじさんに頭を下げる。
なるべく迷惑はかけたくなかったのに、まさかこんなことになるなんて私も想像してなかった。
そんな私の耳に、おじさんの朗らかな笑い声が入ってくる。
「気にするな、何かあったらここに来なさいと言っただろう?逢瀬にでも何にでも使ってくれて構わんよ」
「……おじさんっ!」
なんて素敵なんだ。私があと40才年を取ってたら完全に惚れてたと思う。
ただ、逢瀬っていう単語が引っ掛かるけど。
お言葉に甘えて畳の上に上がらせて貰うと、おじさんは「ごゆっくり」と言ってニヤニヤしながら部屋を出ていってしまった。
……なんか、多大な勘違いをされている気がする。
後でちゃんと弁解することを心に決め、私はフィニくんを見た。
「あの、色々聞きたいことが」
「ちょっと待った」
たくさん尋ねたいことがあったのに、私の言葉をフィニくんは手を広げて遮った。そんな彼の眉間には皺が寄っている。
そう言えば、フィニくんも教室で何かを言いかけていたっけ。
暫く目を瞑って唸ったフィニくんは、これから言うことを躊躇っているようだったけど、私が促すと、弱々しくこう尋ねてきた。
「あ、のさ、こんなこと聞くのも変だけど……、お前の名前って、ジーク……だよな?」
思わずポカンと口を開けてしまった。
え、今?というのが率直な感想だ。私も半ば諦めてジークを容認しようとしていた所なのに。
でもこれはまたとない訂正のチャンスだ。そう思った私は正直に答えた。
「いえ、ジークではなくジーナです」
「……嘘だよな?」
「……え?」
「だって、お前の名前がジーナだったら、ジーナ・リリークになんじゃねーかよ」
「そうですけど……」
そう答えると、フィニくんは顔を片手で覆った。
一体どうしたんだろう?
「えっと、ホリート様?」
「あぁ、やっぱりな……。ジュナイトに聞いてから嫌な予感はしてたんだ。でも、出来るなら別人であって欲しかった」
……本当にどうしたんだろう?
肩を落として何かをブツブツ呟くフィニくん、そのただならぬ様子にこっちまで落ち着かなくなってくる。
何も出来ずに私がおろおろしていると、深呼吸をして落ち着いたフィニくんがこちらを真っ直ぐに見据えた。
真剣な眼差しのまま、ゆっくりとフィニくんは口を開く。
「ジーク、いやジーナ。……副四銃士長は知ってるよな?」




