第6話
華やかな学園の卒業パーティーから一転、王家が直面したのは、言葉を失うほどの過酷な現実であった。
アルドリックが暴露した国家婚姻特約の行使により、高位貴族たちの王家に対する忠誠義務は即座に解除され、さらに侯爵家および公爵家を筆頭とする連合から突きつけられたのは、王家の総資産の3割にのぼる天文学的な額の違約金請求だった。
元々、有力貴族たちの後ろ盾と税収のバランスで辛うじて保たれていた王庫は、この一撃で完全に枯渇する。国庫は空っぽになり、王宮の燭台の油すら満足に買えないほどの致命的な財政難へと叩き落とされた。
すべての元凶である王太子ギルバートに下された処分は、情状酌量の余地すらないものだった。
王位継承権は即座に剥奪され、廃嫡。それどころか、国庫に巨大な穴を開けた国家反逆レベルの大罪人として、王宮の一室の冷たい石畳の上に放り出される。
「そ,そんな……父上、母上……!私は悪くない、ルナを救おうとしただけだ……!」
かつては金色の髪を撫で上げ、我が世の春を謳歌していたギルバートの姿はそこにはない。豪華な王太子の正装は剥ぎ取られ、代わりに支給されたのは、穴の空いた粗末な平民の労働着だった。青白い顔でガタガタと震えながら、彼は床にしがみついて泣き叫ぶが、誰も見向きもしない。
そして、その隣。
「いやっ!嫌よ、こんな服!触らないで、私を誰だと思っているの……!」
絶叫していたのは、男爵令嬢のルナだった。
彼女を待ち受けていた現実もまた、あまりにも残酷なものだった。学園での断罪劇の直後、彼女の父親である男爵は激怒した国王と貴族院からの圧力により、我が家にこれ以上累を及ぼすなと告げ、即座に彼女を勘当し、家門の爵位すら自主返上させられていた。
身を寄せる実家もなければ、甘い言葉をささやいてくれた王子様の権力もない。身につけていたきらびやかな宝石や高級ドレスはすべて没収され、今や彼女が纏っているのは、ガサガサした麻の布きれ一枚だった。
「お父様ぁ……!うそよ、こんなの嘘よ……!私を置いていかないでよぉ……っ!」
ルナは顔を真っ青にし、床に崩れ落ちて大粒の涙をこぼしながらわめき散らす。しかし、彼女を待ち受ける運命の冷酷さは微塵も揺らがない。
「うるさい。出発の時間だ、犯罪者ども」
衛兵の声とともに、王宮の扉が音を立てて開く。
二人に言い渡されたのは、王国最果てに位置し、一年の大半が吹雪と泥濘に閉ざされる遠隔地の寒村への無期限謹慎という名の島流しだった。開拓すら満足に進んでいない、魔獣のうろつく凍てついた極寒の地である。
王宮の片隅で、護送の馬車に乗せられる直前。
ボロボロの木製テーブルの前に座らされたギルバートとルナの目の前には、カチカチに凍りついたパンの塊が一個ずつ、無造作に置かれていた。
「……っ……これ,食べるのか……?」
ギルバートが視点を失った白目を剥きながら、震える手でその石のように硬いパンを掴む。
ルナもまた、涙と鼻水まみれの顔でパンをかじり、あまりのパサパサ感と冷たさにひっと小さな悲鳴を上げて噎せ返った。
甘いロマンスに酔いしれ、世界が自分たちのために回っていると勘違いしていた者たちの末路。
明日をも知れない極寒の地への旅立ちに歯を鳴らしながら、二人は冷たいパンを涙で濡らし、暗い馬車へと押し込まれていった。
すべての騒動の巻き添えとなった公爵家の次子・ライトの現在地は、栄達の王宮ではなく、実家の裏にある過酷な訓練場であった。
青空が広がる穏やかな昼下がり。
訓練場の特等席に置かれた組み立て式のガゼボの中で、アルドリックはティーカップを優雅に傾けている。ふぅっと立ち上る上品なダージリンの香りを楽しみながら、彼は訓練場の中央で泥まみれになりながら喘いでいる弟を一瞥した。
「おや、ライト。動きが鈍いですよ。国家経済の構造に関する論文、あと2万8千字残っているのにお休みですか?」
「ふざっ……ふざけんなぁぁぁっ!こんなのもう肉体労働じゃなくて拷問だろ兄貴――ッ!!」
ライトは地面に転がった100キロはありそうな大きな黒い石――更生用と銘打たれたその石を抱え上げながら、絶叫した。
卒業式での大失態の代償としてライトに言い渡されたのは、貴族としての空疎な脳みそを物理と学問で無理やり叩き直す、超過酷なプログラムであった。
アルドリックは優雅に紅茶を飲み干すと、ふっと微笑み、ガゼボからひらりと軽やかに飛び降りる。その足取りは、風のように音もない。
しかし、ライトが強張った表情で後ずさろうとした瞬間。
「さあ、休憩時間終了です。頑張りましょうね,我が愚弟」
ビューン、と風を切り、アルドリックの華奢で美しい手がライトの首根っこをガシッと掴んだ。
次の瞬間。
「ひぎゃっ!?」
まるで子猫でも摘み上げるかのような軽々とした動作で、アルドリックは片手だけでライトと100キロの石をひょいと真上に持ち上げた。重力という概念が揺らぐような怪力である。
「国家の財政破綻、外交的孤立、そして王家の自滅。あのとき殿下と一緒にドミノを倒した貴方の頭の中では、今頃どんなドミノが崩壊していますか?ほら、走りながら3万字の構成を考えなさい。足が止まったら、次は文字通りその石の下に埋めますよ」
「わかった!走る!走るから首を締めるな!死ぬ!本当に死ぬからぁぁぁっ!!」
ライトは強張った顔で絶叫しながら、石を抱えて訓練場を全力疾走させられる。
頭の中では国家予算、違約金、兄貴の笑顔がぐるぐると混ざり合い、自身の愚かさと共に盛大に崩壊していく。
今日も今日とて、怪力公爵家の長男による圧倒的な力の響く中、ライトの終わらない更生地獄の幕が開き続ける。




