第5話
王立学園でのあの阿鼻叫喚の卒業記念舞踏会からしばらく経った日。
公爵邸の応接室にて、アルドリックは、陽光が差し込む窓際のソファで優雅に紅茶の入ったカップを傾け訪れたという客人を待っていた。カチャリ、と上品な音を立ててソーサーにカップを戻すその姿は、一見すればどこをとっても絵画のように美しい貴公子である。
だが、その平穏は、激しい足音とともに開け放たれた扉によって一瞬で打ち砕かれた。
「アルドリック様!」
聞き慣れた、しかし今は息が荒く、瞳孔の開いたコーデリアの声が響く。
彼女はまっすぐアルドリックの元へと歩み寄ると、手元にあった別のティーカップを、ゴンッとものすごい音を立ててテーブルに叩きつけた。紅茶がわずかに跳ねるが、コーデリアは睫毛すら揺らさずに身をこわばらせる。
「一体どういうことよ、説明してください!」
「おや、コーデリア嬢。ご機嫌斜めですね。そこの特製のダージリン、香りが素晴らしいのですが召し上がりますか?」
「ふざけないでっ!」
アルドリックののらりくらりとした態度に、コーデリアの細い肩が激しく波打つ。彼女は両手をテーブルにつけ、身を乗り出すようにしてアルドリックを睨みつけた。
「貴方が!あの卒業パーティーで、弟の襟首を掴んで壁に放り投げ、ついでに王太子殿下を法律と条約のフルコンボで社会的に完膚なきまでに抹殺したせいで!」
顔の皮膚が引きつり、唇の端が痙攣している。
「私のところに、新しい縁談が一切、これっぽっちも来ないじゃありませんか……っ!!」
「ほう、それはまた意外な。貴女ほどの麗しき令嬢であれば、引く手あまただと思っていましたが」
「当たり前でしょ!!社交界の男性陣が全員、青い顔をして私から文字通り全力疾走で逃げ出していくのよっ!」
コーデリアは喉を詰まらせるようにして叫んだ。
「目が合っただけで、怪力公爵令息の嫁候補だ、殺される……!って失神しかけるの!先日は私の姿を見た伯爵令息が、恐怖のあまり庭の池にダイブして逃げたわよ!どうしてくれるのよ、私にまともな結婚の道はもう残されていないじゃない……っ!」
完璧だったはずの侯爵令嬢としての身の上と展望を、あの日の鮮やかすぎる暴力と理詰めによって盛大に粉砕された恨み節が、応接室の天井を突き抜けんばかりの勢いで炸裂した。
庭の池にダイブした伯爵令息の話まで持ち出して悲痛に訴えるコーデリアに対し、しかし当のアルドリックは、相変わらず優雅に紅茶を啜っていた。カチャリとカップを置き、彼はふっと涼やかな笑みを浮かべる。
「何を怒っていらっしゃるのですか、コーデリア嬢。そんなに他の男に言い寄られたかったのですか?」
「そういう問題じゃないでしょっ!私の社交界における価値が、貴方のせいで歩く危険物に変わったのよ!責任取ってよ!」
「ええ、ですから最初から我が家へ嫁げばいいではありませんか」
「……は?」
あまりにもサラリと言い放たれた言葉に、コーデリアは抗議の声をぴたりと止めた。
「な、なんですって……?」
「ですから、我が家へ来れば解決するということです」
アルドリックは金縁の眼鏡を外し、テーブルの上に置くと、いよいよ隠す気も失せたのか、底意地の悪そうな、しかし最高に整った黒い笑顔を浮かべた。
「知っていましたか?貴方ほどの優秀な人材が、あの脳みそお花畑の王太子、いわば王太子妃という名に縛られているのが、私には昔から歯痒くて仕方がなかったのですよ」
「は……?」
「あんな無能に利用され、将来的に国ごと沈みゆく船の生け贄にされかける貴方を見ているくらいならいっそ――」
アルドリックはすっと立ち上がり、驚愕で固まるコーデリアへと歩み寄る。その美しい顔が、すぐ目の前まで迫った。
「あの卒業式の茶番はですね、貴方をその不毛な契約から完全に解放し、我が家に迎えるための最高の舞台装置だったのですよ。ええ、すべては最初からの計画通りです」
「なっ……!?」
頭をハンマーで殴られたような衝撃に、コーデリアの頬が一気に真っ赤に染まった。唇が小さくわなわなと震え、言葉にならない息が漏れる。
「計画通りって……なに勝手に私の人生の進路を……!ふざけんじゃないわよ、誰があなたなんかと!」
「おや、不満ですか?私以外の男が貴女に近寄れない方が、私としては圧倒的に都合がいいので、このまま逃がすつもりはありませんが」
「なっ……なっ、何図々しいこと言ってるのよこの筋肉変態男っ!!」
あまりの暴論と圧倒的な独占欲の塊のようなセリフに、コーデリアはもはやツッコミの言葉すら追いつかなくなり、その場にガクと崩れ落ちるように膝をついた。




